第5章 連続ひったくり事件

「三日連続!?」病院の廊下で、華が思わずといった調子で大声を上げた。


「シーッ!」透は慌てて人差し指を唇に当てる。華を挟んだ向かいでは、首藤警部が全く同じポーズを取っている。それを見て自分のミスに気付いたのか、華も自分の口をパッと手で覆った(今さらな気もするが……)。場所も場所だが、内容も大声で話していいものではない。


 華が声を潜めて、首藤警部に質問し直した。「どういうこと、三日連続って?」


「どうもこうも」警部はため息を吐いた。「一昨日、昨日と連続してこの近辺でひったくりが発生しているんだ。今朝の屋敷 澄彦すみひこ君で三人目かな」


 警部の話によれば、ひったくりの手口はどれもバイクで後ろから忍び寄って追い抜き様にカバンをひったくるという同じもの。それだけでなく、被害者や目撃者が証言した犯人の服装やバイクの特徴から、全て同一犯の仕業と警察では考えているらしく、警部も被害に遭った人物に片っ端から話を聞いているのだという。


「君たちも今朝の現場にいたのか。何か、気付いたことはなかったかね?」警部の問いに、華は首を傾げる。


「うーん、あたしが気付いた時にはあのバイク、その屋敷って人からバッグをひったくって逃げるとこだったから……透は?」


「僕も……華と違って音がするまでひったくりに気付かなかった……」透も残念そうに首を振るしかなかった。


「まあ、ひったくりなんて町中ではそう遭わないだろうしな。そこまで気にしなくていいよ」首藤警部は優しく二人に言葉をかけた。


「それよりも、警部」透はどうしても気になることがあり、口を挟んだ。


「ひったくりに遭った他の人たちって、どんな人なんですか?」


「それが」そこで警部は、なぜか顔を曇らせた。「妙なんだ」


「妙って?」


「うむ。屋敷君も含めて、被害者は三人とも、溝大の学生なんだ」


「三人ともですか?」


「ああ。単なる偶然なのか、それとも……」


「偶然なんかじゃないわっ!」突然、華が大声を上げた。本人はそこまで大声を出したつもりはなかったのかもしれないが、透は思わず耳を塞いだ。警部も確実に十センチは飛び上がった。


「どうしてそう思うんだよ」透は間近でダメージを受けた左耳を庇いながら聞く。それに対する華の答えはあっけらかんとしたものだった。


「直感よ。あたしの直感がそう言ってるの」


「ち、直感、ねえ……」華はやたらと自信満々だが、透は微妙な表情をするしかない。いくら何でも、そこまで直感を堂々と言うのはどうなんだろう?


「そーよ。自慢じゃないけど、あたしの直感は今までほとんど外れたことがないんだから! この前の事件だって、あたしの直感であのコンビニに行ったから手がかりが掴めたんじゃないの!?」


「う、うーん、そうかもしれないけど……」


「でしょ! だから」と、華は首藤警部の方を向いた。


「警部、ひったくりに遭った三人の名前と住所、教えてっ!」


 華のまさかのお願いに、側で聞いていた透はすんでの所で「はあ!?」と言いそうになった。それは警部も同じだったらしい。警部は目を白黒させ、明らかに戸惑う反応を見せた。「な!? い、いや、それは……」


「どうして駄目なの? 前に警部、また何か事件があったらあたしたちの力を借りたいって、そう言ったじゃない!」


「た、確かにそう言ったが……だがあれは、この前の密室殺人のように全く見当のつかない場合の話であって……」


「だったらやっぱり探偵団の出番でしょ! この事件だって犯人が誰か分かってないんだし」


「いや、分かっていないというより、今はまだ初動捜査の段階というか、その、捜査が始まったばかりで……君たちの力を借りるのはいわば捜査に行き詰まった時の最終手段であって、そうみだりに小学生を捜査に関わらせるのは……」警部がそこまで言った時だった。


「駄目じゃない華っち、警察の人に迷惑かけちゃ」という声が華の言葉を遮った。声のする方を見ると、いつの間にか美緒里が三人の側に立っていた。どうやら病室を出てここまでやってきたらしい。


「君は?」不思議そうな顔の首藤警部に、美緒里は透たちに対する時より丁寧な口調で自己紹介する。


「初めまして。華っち……華の従姉で三島美緒里といいます。この度は華がご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 と、警部に向かって頭を下げる。その姿を見て透はホッと胸をなで下ろした。良かった、これで華の暴走を止めることができる……しかし、次の瞬間、美緒里の口から出てきたのは予想もつかない言葉だった。


「という訳で、警部さん、その三人の所、代わりにこのあたしが責任を持って連れて行きます!」


 透の口から今度こそ「はあ!?」という声が漏れた。何だか話がとんでもない方向へと転がっている気がする。警部もポカンと口を開けたまま固まっている。そんな中、


「やったぁ! 美緒ちゃんが連れて行ってくれるの?」と嬉しそうな声を上げているのは華。美緒里は得意気に、


「もちろん! だってひったくりに遭ったのって、三人とも溝大うちの学生だから、誰がいつ遭ったとか、SNSでとっくに広まってるよ。警部さん、それならいいでしょ?」


「ま、まあ、それなら……」


 警部は複雑そうな表情で頷いた。



 ひったくりに遭った他の二人には、翌日から一人ずつ話を聞くことになった。華が「探偵団の出番」と言い出したので、大吾、優、翼も一緒である。「有輝の暗号はどうするんだよ?」と大吾は不満げだったが、華によれば「こっちの方が面白そう」らしい。まあ、何事にも飽きっぽい華は、全くと言っていいほど解読の糸口がつかめない暗号に内心飽き始めていたようなので、この辺りは通常運転なのかもしれない。


 最初にひったくりに遭ったのは、理学部の黒木くろき耕史郎こうしろうという三年生で、大学ではラグビー部の副主将をしているということだった。横川駅のすぐ近くにある児童公園で会った黒木は、上下共に灰色のジャージという服装で、まるで象か巨大な岩のようだった。


「ああ、あのひったくりのことか」公園のベンチに座った黒木は、午後の日差しに目を細めながら、できれば思い出したくないといった感じで話し始めた。


「あのせいでひどい目にあったからな……四日前、つまり月曜日のことだけど、昼過ぎに大学を出てバイトに向かってたんだ。その途中、向かいから黒尽くめの、多分男が乗ったバイクが近づいて来たんだよ。それで、気付いたらバッグを盗られてたって訳さ。全く、散々だよ……」黒木はそこで大きなため息を吐いた。


「散々って、何かまずいことでもあったんですか?」優が質問した。


「いやまあ、財布とかは盗られなかったんだけど、バイト先の制服とかが入ってたからな……俺のせいじゃないってのに、店長にこっぴどく叱られちまったよ。ホントについてない」黒木は苦い顔で頭を掻いた。


「ねえねえ」そこに、華が口を挟んだ。


「そのことなんだけど、ホントについてないと思ってる?」


「……どういうことだい?」そんな質問をされるとは思っていなかったのか、黒木は糸目を丸くして聞き返した。


「えーと、だから、黒木さんが狙われたのは、偶然じゃなくてわざとなんじゃないかって、あたしたちは考えてるの。何か心当たりない?」


 正確には「あたしたち」ではなく今のところ華一人なのだが……。透は訂正しないことにした。それに、本人が言うとおり、確かに華の直感はよく当たるのだ。もしかしたらということも……。しかし、黒木は苦笑しながら首を横に振った。


「随分面白いこと考えるんだね、君。でも、偶然だと思うよ。そりゃ犯人も、何で俺みたいな貧乏学生を狙ったのかとは思うけどさ……」



 二番目にひったくりに遭った学生、工学部三年生の大川おおかわ岳昭たけあきの住むアパートは、横川駅の北口を東にまっすぐ行った所にあった。一階の突き当たり、隣の家と人一人がやっと通れるような隙間しかない角部屋のチャイムを美緒里が鳴らす。すると、部屋の奥からバタバタという足音、それから十秒もしない内にドアが開き、


「やあ、三島さん久しぶり! あー、これが噂の少年探偵団? へーすごいね、小学生なのにこうやって事件の捜査とかしてるんだ! で、君が三島さんの従妹? だって分かるよ、よく似てるねぇ。で、僕に何か聞きたいことがあるんだって?」


 と、ものすごい勢いで喋りながら、髪を茶色に染めた男性が顔を見せた。くつろいでいたのか、Tシャツに短パン、足下はサンダル履きというラフな格好だ。人懐っこそうな笑顔といい、お喋り好きな性格のようだ。思った通り、大川は他の二人よりも詳しく、積極的に自分がひったくりに遭った時のことについて話してくれた。


「僕がカバンをひったくられたのは一昨昨日さきおとといの夕方でね、大学から帰る途中だったんだ。駅を出て家の方に歩いていたら、いきなり後ろからドカンさ。追い抜き様にカバンを奪われてね、おまけにひったくられた時にバランスを崩して転んじまってね、おかげでこのザマさ」


 と、湿布を巻いた左手首を透たちに見せる。それを聞いて、翼が口を挟んだ。


「後ろからバイクが迫って来ていたのに、何も気づかなかったのか」


「いや、それが」大川はバツが悪そうに頭を掻いた。


「ここのところ、行き帰りの間はずっとヘッドフォンで音楽を聴いててね、そのせいでバイクが近づいて来る音にも気づかなかったんだ。トラウマって訳じゃないけど、そのせいでヘッドフォンで音楽を聴くのが億劫になってね、あれから音楽は家で何も付けずに聴くようにしてる」


 それは違うんじゃ……。透はそう思わずにはいられなかった。というか、このアパート、見た目からして防音対策がきっちりとされているとは思えない。大川が普段からこんな声量で話しているとすれば、その内苦情が来そう……。


 その時、大川と同じくらい大声で喋る少女、華が昨日と同じ質問を繰り返した。


「それで、大川さんは自分が襲われたのは偶然だと思ってる?」


「ええ?」この質問にはそれまで喋り続けていた大川も不思議そうな顔をした。


「ひょっとして君、僕が狙われたのには何か意味があると思ってるの? ハハ、さすがに偶然だと思うけどねえ。それに、家の鍵や大学のノートとかは盗られたけど、ひったくりが一番狙いそうな財布は無事だったし、まあ良かったってところかな?」



 翌日の土曜日、五人は昼下がりの公園に集まっていた。


「どういうこと? 結局、あたしの直感は間違ってたってわけ?」ベンチに腰掛けた華は足をブラブラさせながら、不満げにぼやいた。


「そういうことなんじゃないかな」大吾が気のなさそうな返事をする。


「三人とも、性別と学年以外の共通点はなし。それより、有輝の暗号の方を考えてやろうぜ。あいつ、何も言ってこないだけでどうなってるのか心配してるだろうし」


 大吾としては、やはり友達の心配を一番に取り除いてあげたいのだろう。しかし、その提案に対して、華は唇を尖らせた。


「えー、あの暗号がどうやったら解けるのか、もうこれ以上は考え付かないわよ。あたしもう、考えるのに飽きちゃったし」


 やっぱり飽きてたか。華があまりにも予想通りのことを言うので、透は逆に心配になった。華ったら、最初は暗号を落とした男を「犯罪組織の一員」なんて言ってたのに……。しかし、透はひったくりに関する大吾の意見にも簡単には賛成できなかった。


「華の直感、意外と間違ってないんじゃないかな。僕も、あの三人が襲われたのは偶然じゃなくて、何かがあると思うんだ」


 それを聞いて、華の表情がパッと明るくなる。


「ホント? 透がそう思うんだったら間違いないじゃない!」


 一方、大吾はそれでもまだ難しい顔をしていた。


「何かって何だよ? まさか、三人とも男だったっていうのがそれだってのか?」


「確かに、ひったくりって女の人やお年寄りを狙うイメージがあるよね」優が口を挟んだ。「でも、だからって若い男の人が絶対に狙われないわけじゃないだろ?」


「うーん」透は腕を組んだ。「別に三人とも男の人だったからそうってわけじゃないけど、でも……」


「でも?」


「まず気になるのは、最初にひったくりに遭った黒木さんのこと」


「黒木さんが?」


「うん。黒木さんって、結構ガタイがよかったよね? ラグビーもやってるって言ってたしさ。普通、そんな人を最初に狙うかな?」


「それはそうだけど……」


「それともう一つ。警部の話だと、一日に一件ひったくりが起こってたらしいのに、昨日と今日は起こってない。これもちょっと、気になってるんだ」


「それは」大吾が首をかしげた。「たまたまなんじゃないのか? もしかしたら、屋敷さんの怪我が予想以上に重かったもんで、さすがに反省したとか。良心が咎めたってやつじゃないのか」


 三件のひったくりが全て新聞の地域面に出ていたことは、既に確認していた。それを読んだ犯人が自分のしでかしたことに罪悪感を覚えた可能性もゼロではない。しかし、透にはそう単純な話ではないように思えた。


「そう思わなかったわけじゃないけど……でも、何か違う気がするんだよなあ……」

透がそこまで言った時、


「あ、首藤警部って言ったら」華が声を上げた。


「美緒ちゃんから聞いたんだけど、昨日友達と屋敷さんのお見舞いに言った時、首藤警部を見かけたんだって。向こうは気付かなかったみたいだけど」


「へえ。屋敷さんに、まだ聞きたいことでもあったのかな」


「それが」華は怪訝そうな顔をした。「そんな感じでもなかったんだって。何人も部下っぽい人を連れて、すごく難しい顔してたそうよ」


「あれ、じゃあひったくりとは別の事件の捜査なのかな」透がそう口にした途端、今まで一言も発さなかった翼が「おい」と口を開いた。


「ずっと気になっていたんだが、どうして捜査一課の首藤警部がひったくりの捜査をしている? ひったくりは捜査一課の担当なのか」


「え?」一瞬、呆気にとられた透だったが、すぐにその意味に気付いて「あっ」と声を上げた。


「た、確かに……」


 すぐにスマホを取り出した優が素早く検索する。「本当だ。ひったくりは窃盗だから捜査三課の担当になるみたい」


「他にも不自然な所はある」翼は続けた。「以前に会った様子では、首藤警部は刑事を指揮する立場のようだった。そんな人物が、どうして関係者に話を聞きに来る? しかも一人で」


 なぜ、首藤警部が担当外であるはずのひったくり事件に関わろうとしているのか。その理由について、それ以上考える必要はなかった。


 公園の外が急に騒がしくなったと思うと、突然、路地から人影が弾かれるように飛び出してきた。髪を金に染めた、20代前半の男だ。手には黒のショルダーバッグを掴んでいる。男は一瞬バランスを崩しかけたものの、すぐに体勢を立て直すと慌てた様子で走り出した。


 ほとんど間を置かずに、男が飛び出した路地から今度はスーツ姿の男たちが十人ほど出て来た。


「いたぞ!」先頭の一人が男の姿を見つけて声を張り上げる。その声を合図に、スーツの集団は男の方に向かって駆け出した。男は振り返ることもなく、走るスピードを一段と早める。状況から、男がスーツの集団に追われているのは明らかだった。

「どけ、ガキ共!」公園の塀を乗り越えた男が、透たちの方に突進しながら怒鳴る。

しかし、透はあまり動揺していなかった。


 威嚇のつもりか、男が叫び声を上げながら突進してくる。と、思った瞬間、その体が前方につんのめり、男は顔から地面に激突した。衝撃でショルダーバッグが開き、中身が辺りへと散らばる。


「上手くいった?」華の声が尋ねる。


「ばっちりだ」大吾が親指を立てた。


 透が慌てなかった理由がこれだった。以前、探偵団が犯罪者を捕まえた際、子供だけで犯人を捕まえようとしたことで首藤警部からこっぴどく怒られた。そこで、父親が趣味で登山をしている大吾が、家から使わなくなったザイルを持ってきたのだ。今も、華と優が金髪の男の死角に潜んで、ザイルを使って男の足を引っ掛けたのだ。とはいえ、男が落ちた先は砂場なので、大したダメージはないだろう。そして、男を追っていたスーツの人物たちの内、何人かに透は見覚えがあった。


「君たちは……」ようやく追いついてきたスーツの一人が、目を見張った。やはり、以前に会った、首藤警部の部下の刑事だった。


「見て見て、あたしたちが捕まえたの!」華が得意気に言う。


「また危ないことをしたのかい? 全く……」刑事がやれやれとため息を吐く。しかし、透の目はショルダーバッグから飛び出た「あるもの」に釘付けになっていた。大吾、優、翼の反応も同じだった。


 透の足下に転がった一枚の紙。そこには、有輝に見せられたものと同じように、びっしりと数字が書かれていたのだ。


 呆然とする透たち。しかし、紙を見た刑事の口から出たのは、それ以上に衝撃的な一言だった。


「やれやれ、これで二枚目か……一体何なんだ、この数字は」

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