あづまくだり

小日向葵

あづまくだり

 関ケ原の戦い、その前夜。



 「それで、姐さんは何方どちらが勝つとお思いで」

 河童の娘があやかしの顔色を窺いながら尋ねる。

 「知らないよ、あたしは元々西方の国の怪異だ。此の国の争い事なんぞに首を突っ込む心算つもりは無い」

 「だからこそです」

 娘は一枚の絵図面を卓上に広げる。

 「姐さんが今後もずっとこのもとで暮らして行こうと言うなら、声を上げておくのが宜しかろうと」

 「面倒臭いな」

 「処世術なんてそんなもんですよ」

 絵図面は、これから起ころうとしている人間たちの大決戦、その布陣と数を簡単に書き記した物だった。東と西に分かれての戦い。

 「今回ばかりは、屋島の狸も徳川とくせんに付くと」

 「おいおい、徳川と言ったら源氏みなもとうじだろうに」

 「徳川は織田を身内に抱えておりますゆえ平氏たいらうじへの恩義も矛盾せんと狸は言うてます」

 「処世術か」

 豪奢な金髪を軽く揺らして、妖は低く嗤う。

 「農民の出の羽柴などは、平氏を捨てて藤原を名乗ったものな」

 「それも処世術」

 からからと河童の娘は笑った。

 「この周囲の妖怪変化うぞうむぞう共は、姐さんがどう動くかを息を潜めて見ております」

 「碌に力も使えないあたしに、何を期待しているのか」

 「多分姐さんの不老不死でしょうなぁ。何時までも若いという、秘訣を知りたいと」

 「ふん、この百年であたしへの見方も随分と変わったものよ。そんなものはないと言い続けておろうに」

 言って妖は、卓上の盃を持ち上げて絵図面の上にとんと置いた。

 「ま。どう見ても徳川の勝ちだろうよ」

 「良かった」

 河童がほっと息を吐いた。

 「良かった?」

 「ここらあたりの妖怪は、まだ西に利ありなんて言うんです。真田親子が居るからと」

 「あっこは長男が徳川についておる。本気で西が勝つと思っているなら、綾子が逆になってるだろうが」

 「流石姐さんだ」

 褒める河童に対して照れるでもなく、妖は小さく息を吐いた。

 「それで?」

 「はへ?」

 盃を戻し、絵図面をくるくると丸めながら河童の娘が気の抜けた声を出す。

 「お前のことだ、他に何か用事があって来たのだろう」

 「はは、流石姐さんご明察」

 丸めた絵図面を傍らの物入れ袋に仕舞ってから、河童の娘は妖の前に改めて正座をした。

 「もしこの戦いで東が勝ったら、わっちの一族は板東ばんどうに領地を貰って引っ越します。そこでそのう、もし宜しければ姐さんもご一緒に、と」

 「板東?」

 「はい板東です。山の近く、水の綺麗な場所と聞いております。確かに堺には異人も居ります故、姐さんのその御髪おぐしも目立たないでしょうけれど……」

 「良いか」

 静かに妖は言う。

 「お前等も妖怪とは言え、その命には限りがある。あたしが共にいてもそれは変わらぬ。お前の母御もそうだったろう」

 「はい」

 「あたしはただ生きていく為なら何も必要とせん。不老不死とはそういうことで、誰かと共に生きることは叶わぬ。あたしとお前等では、生きると言う概念そのものが違うのだ」

 「儂はそれでも、それだからこそ姐さんと一緒に

 行きたいか生きたいか。まさか逝きたいではあるまいな、と妖は目を閉じて微かに笑う。

 「儂は餓鬼の時分から、ずっと姐さんの事を」

 「皆迄言うな」

 妖はそっと手を伸ばして、河童の頭の皿を撫でてやった。河童の娘は嬉しそうに身を捩らせる。

 「何方にせよ、東が勝たねば空手形だ」

 河童の娘は応えず、ただ妖の手に其の身を委ねた。



 関ケ原の戦い、その前夜。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あづまくだり 小日向葵 @tsubasa-485

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ