第55話 挑発
「ちょっと、これはどういうことですか!?」
長町は柊に詰め寄った。
「俺が送った音声データは聴いていただけましたか?」
「もちろんです! だからここに来ました!」
長町は急かすように言った。
ここはマンスリーマンションの一室だ。
翔動ではアルバイトを雇ったため、仮の事業の拠点としてこの部屋を借りることになった。
「もしかして……あなたがこの声を?」
「はい、大河原菜月と言います! 長町さんに憧れて、声優を目指しています」
長町は「あら?」と顔をほころばせたものの、大河原が名刺を差し出したことで驚いた。
長町は、大河原が候補生にも関わらず名刺を持っているため、すでに何らかの仕事を持っていると推察したのだろう。
柊は長町の反応を観察していた。
おそらく長町は大河原に対してさまざまな感情を抱いていると思わるが、柊ならこれをある程度把握できるのだろう。
「俺は石動と申します。大河原さんにお仕事を依頼しています」
景隆は緊張しながら、長町に挨拶をした。
景隆は長町の美しさに思わず見とれてしまった。
それと同時に、彼女が持つオーラに圧倒されてしまいそうだった。
(ん?)
長町は景隆と柊を見比べた後に、一瞬、ぽーっとした表情になった。
大河原は目をそらしている。
「――それで、話を戻しますが、この音声はどういうつもりです?」
改めて長町は柊と大河原に詰め寄った。
「MoGeのゲームの出演者候補を決めるオーディション用の台本を読み上げたものです」
霧島プロダクションでは、ゲームのオーディションの参加者を、内部のオーディションで決めることになっていた。
本番であるMoGeのオーディションの台本は、当日に渡されることになっているため、内部のオーディションでは名取がゲームの企画案から推察して台本にセリフを書いていた。
大河原は内部オーディションに合格し、本番のオーディションの参加枠に入ることができた。
大河原はこれを読み上げ、その録音したデータを柊が長町へ送ったのだ。
「ゲームの台本であることはなんとなくわかりました。問題はその内容です」
台本には長町が演じるメインキャラクターの『ナナ』と、その妹である『ファナ』のセリフが記載してある。
モバイルゲームの台本なので、セリフの量はかなり少なめだ。
柊が送った音声データには、長町は関与していないため、ほかの誰かがナナの声を当てていることになる。
「あの……これは全部私の声です」
「なんですって!?」
長町は驚いた。
大河原は一人二役でナナとファナを演じていたのだ。
赤の他人が聴いたら、ナナの声を長町がやっていると思われてもおかしくはないくらいの出来栄えだった。
少なくとも、景隆と柊は長町の声に聴こえた。
「素人の俺や石動からすると、よくできていると思いました。
もちろん、長町さんならもっとうまくやるのでしょうが――」
「そうね……私だったら……って! これは私への挑戦ってことですか?!」
長町の語気が荒くなったことで、大河原がびくっと肩を震わせた。
つられて景隆もビビってる。
「俺は長町さんが非常に多忙なことを知っています。今日はわざわざご足労いただいてありがとうございます」
「え、えぇ、呼び出した相手が柊さんでなければ来ませんでした」
(おやっ?)
長町の反応は事前に柊から聞いていたものとズレがあった。
「しかし、どんなに忙しくても、お仕事には一切手を抜かないことも知っています」
「そ、それはそうですね……ありがとうございます」
「我々はここにいる大河原さんがファナ役を取ると確信しています」
「そうなんですね……」
これは柊のブラフだったが、長町には効果があるようだ。
長町は事前情報がなかったため、柊の話を鵜呑みにしているように見える。
加えて、長町は柊のことを大分信用しているようだ。
「仮に大河原さんがこの役を取った場合、長町さんと大河原はお二人セットでアテレコ……またはプレスコすることになると思います」
「ええ、そうなるでしょうね」
「長町さんは練習も妥協しませんので、今回のゲームではファナ役と一緒に練習するのが効率がよいと思いませんか?」
「確かにそうかもしれないわね……」
「ところが、大河原さんはまだ高校生であり、熊本に住んでいるんですよ」
「じゃあ、練習する機会が少ないってことですね」
長町は真剣に考え始めた。
景隆は柊の話術に舌を巻いた。柊は大河原が役をとる可能性について議論の余地を与えなかった。
大河原は口をパクパクしながら驚いている。
「大河原さんは弊社、つまり石動の会社の仕事を請け負っています。
まれに今日のように東京に来ることがあるので、この貴重な機会に彼女と一緒に練習してみてはいかがでしょうか?」
「確かにそうですね……えっと、菜月でいいかしら?」
「は、はいっ!」
大河原は飛び上がるように返事した。
「ちょっと、この台本読み合わせてみる? 私、あと少しだけなら時間あるから」
「はい、もちろんです!」
景隆は開いた口が塞がらなかった。
***
「おぃ、柊」
長町と大河原が台本の読み合わせをしているところから離れて、景隆は声をかけた。
「なんだ?」
「もしかして長町さんって……」
「案外、チョロい」
***
「ねぇ? 菜月?」
長町は景隆と柊に聞こえないように小声で大河原に声をかけた。
「なんですか?」
「なんだか、あの二人が一緒にいると――」
「やはり、長町さんもそう思いますか?――」
長町と大河原はそれぞれ別な人物に視線を向けた。
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