第38話 原石

「新田のおかげで、コンペでは満足のいく結果になったよ」

景隆は先日行われた『デルタイノベーション』の経緯を話し、改めて新田に感謝した。


景隆、柊、新田はいつものように貸し会議室で作業をしていた。

柊は霧島カレッジの声優コースの候補生の音声データを分析している。


「でも、大賞は取れなかったんでしょ? それでよかったの?」

「俺にとっては賞はオマケだから、技術的な評価を得られただけで十分だよ」

「あ、そ」


新田の返事はそっけなかった。

彼女は自分の知的好奇心が最優先で、承認欲求がないことは景隆もわかってきていた。

柊は鷺沼に認めてもらったことが嬉しかったのだろうと推察したが、口には出さなかった。


「それで、江鳩はどうなったんだ?」

「噂ではパーソナルコンピューティング部門に異動を希望しているらしい」

「まぁ、エンタープライズ部門には居られないだろうからな」


(お前がそう仕組んだんだろうが……)

景隆は新田がいなければ言ったであることを飲み込んだ。


「どゆこと?」

「デルタファイブは二つの大きな事業部に分かれるんだよ」

「それが、エンタープライズとパーソナルコンピューティング?」

「そう、それでデルタイノベーションはエンタープライズ部門に所属している社員全員が注目しているイベントだったから――」

「そこに居られなくなったってことね……まぁ、自業自得ね」


「そうだな。ただ、パーソナルコンピューティング部門は日本法人だと事業規模が小さいし、江鳩の給与レンジだと引き受けてくれるところがあるかどうか……」


デルタファイブでは社内公募制度があり、社員は公募が出ている部署に異動できる。

人事制度上から給与レンジを下げられないため、江鳩はマネージャー以上のポストがある仕事に就く必要がある。


「異動先が見つからなかった場合は?」

「転職だろうなぁ」

「なるほどね」


景隆は江鳩を追い込んだ柊を見たが、柊はすでに関心がないらしく、作業に没頭していた。


「む……これは……」

柊の表情が一変した。なにかを発見したようだ。


「ん? どした?」

「『名取モデル』で異常にスコアが高い子がいる」


『名取モデル』は、霧島カレッジの講師でありベテラン声優の名取から名付けられた。

音声データを説明変数として扱い、名取の評価を目的変数としたモデルだ。

要は名取の評価を機械に置き換えたのが、名取モデルとなる。


「異常値じゃないの?」

「その可能性が高いな……再生してみるか」


突出した才能があるなら、名取が見逃すことは考えにくい。

名取モデルの精度は発展途上のため、柊は何らかの数値を誤って高く評価した可能性が高いと判断した。


「――なんか、聞き取りづらいわね」


再生された音声は録音状況が悪かったのか、ノイズのような雑音が入っていた。


「新田、この音声のノイズを消せるか?」


新田はすでに機械学習を利用して音声データからノイズを除去する機能を実現させていた。

柊によると数年後に実現できるほどの性能だというから驚きだ。


「こ、これは……」「へぇ……」「あら……」

ノイズを除去した音声を聴いた三名は一様に驚いた。


「めちゃくちゃ聞き取りやすい声だな」

「そうね、耳の遠いおじいちゃんでも伝わりそう」


景隆と新田は感心していた。

再生された音声は非常にクリアで聞き取りやすく、まるで脳に直接響いてくるような感覚を与え、聴いた瞬間から強烈な印象を残した。

また、その響きには心地よさがあり、同時に官能を軽く刺激されるような気持ち良さを感じる。


柊は少し考え込んだ後に言った。

「そうか……名取モデルはノイズフィルターの前処理をしているからスコアが高かったのか!」


「なるほど、名取さんは元のノイズが入った音声しか聴いていないから評価しなかったのか……」


この音声データは霧島カレッジの入学審査で提出されたボイスサンプルで、提出者の名前は大河原菜月おおかわらなつきという少女だった。


「まだ高校生なのか?」

「この業界なら普通じゃないの? うちに来ていたしらーやもそうでしょ?」

「あぁ、そうだな」


景隆は逡巡した後、声を張り上げて言った。

「よし、決めた! 彼女をうちで使うぞ!」


柊と新田はぽかんとしていた。

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