わがまま第二王子からの溺愛は、ご遠慮申し上げます

茜カナコ

第1話 出会い

 アーチャー家での令嬢たちのお茶会は、いつものように賑やかだった。

 天気の話、流行りの舞台の話、そして、王宮のうわさ話……。


「リリー様、そろそろロバート王子の誕生日ですわね。今年も立派な舞踏会が開かれるのでしょうね。皆さま招待状は受け取りましたか?」

「まだですわ。……ロバート王子は見るだけなら目の保養ですけれどもね……。そう思わなくて? リリー様」

「私はロバート王子のお人柄を知りませんから」

 私は紅茶を一口飲み、微笑んで言った。


「噂で聞いているでしょう? 手に入れた子犬や子猫をおもちゃのように扱っては、飽きたら捨てるとか」

「私が聞いたのは、豪華な家具や宝飾品へ度を越えた散財をしているという話ですわ」

「どちらにしても、あまり良いお人柄とは思えませんわよね」

 令嬢たちのうわさ話を聞いて、私は水を差すとおもったけれど一言いわずにはいられなかった。


「お会いしたこともないのに、悪く言うのは失礼かと存じます」

「……まあ、リリー様はお優しいのですね」

 令嬢たちの笑い声が響いた。

 そして、令嬢たちは話題を変えることなくロバート王子の悪い話をそれぞれ続ける。


 ……これだけ色々な話があるなら、本当に良くない方なのかもしれないと私も思ってしまいそうだ。火のないところに煙は立たないというし。

 でも、もし違ったら?


 私がぼんやりとしていると、令嬢の一人が言った。

「このフルーツケーキ、とっても美味しいですわ。リリー様、召し上がりました?」

「まだですわ。私もいただきます」


 ケーキの心地よい甘さとオレンジの良い香りに顔がほころぶ。

「ほんとに美味しいですわね。あとで調理人をほめておきましょう」


 私はロバート王子のうわさ話など、すっかり忘れてしまった。


***


穏やかな風が気持ちよい晴天の日。私はいつものように家族でお茶の時間を楽しんでいた。中庭で柔らかな日差しを浴びながら紅茶の香りを堪能していると執事がお父様に声をかけた。


「ご主人様、手紙が届いております」

お父様は執事から一通の手紙を受け取った。その手紙を読んだお父様は顔色を変えた。


「リリー、王から舞踏会への招待状が来たぞ」

「まあ、良かったわね、リリー」

 お母様の明るい声とは対照的に、お父様の表情は硬い。


「お父様? 顔色がよくありませんわ。招待状に何か書かれていたのですか?」

「ああ……リリー。第二王子のロバート様が舞踏会で結婚相手を選ぶかもしれないそうだ」

「え? あのロバート王子ですか?」

 私はごくりと唾をのんだ。


 この国の第二王子、ロバート・ハリントン様と言えば悪い噂ばかり聞く。この前のお茶会でも冷酷だ、わがままだ、贅沢が好きだ、かなりの気分屋だ、とか言われていたのを思い出す。すべてが真実かどうかは分からないけれど、積極的に関わりたいと思う方ではない。


「聡明で穏やかな第一王子のアレン様なら結婚相手に選ばれたい令嬢も多いだろうが……」

「お父様。アレン王子はすでにご結婚されていますよ? それに、人を比べるのはあまり良くないことだと、いつもおっしゃっているでしょう?」

 私の指摘にお父様はハッとした顔をした。


「ああ、私としたことが。そうだな、良くないことだな。よく気づいたな、リリー」

 お父様に褒められて、私はかるく微笑んだ。それはそれとして、問題は舞踏会だ。

「お父様、舞踏会を欠席するわけには……」

「行くしかないだろうな。王家からの招待を断ることはできない。ロバート王子の誕生を祝うという名目もあるしな」

「……わかりました」


 私は不安を感じたが、落ち着いて考えてみれば、たくさんの令嬢が招待されているに違いないし、その中から平凡な私を、あのロバート王子が選ぶはずがないと思いなおした。

「舞踏会では、なるべく目立たないようにしなさい。わかったわね、リリー」

 お母様が微笑みを浮かべて言った。

「はい、分かりました」


 お父様は王宮に招かれるのは名誉なことだと言い、私に新しいドレスを買ってくれた。

 シンプルで特に特徴のない淡いブルーのドレスは地味すぎず、華美すぎず、きっと令嬢たちの中では目立たないだろう。私は安心して王宮の舞踏会の日を待った。


「ロバート王子に選ばれた方は大変ね。私が結婚するなら、優しくていろいろなことを知っているお父様のような人が良いわ」


 その時の私は、他人ごとのように考えていた。


***


「美しいものは、やはりいいな」

 自分の部屋で、先日買ったばかりの繊細な金細工のブレスレットを愛でていると、ドアがノックされた。

「誰だ?」

「私だ。ドアを開けなさい」

 俺がドアを開けると父上が入ってきた。


「ロバート、今月末にお前の誕生祝の舞踏会を開催する」

「舞踏会? ああ、もうそんな季節か」

 俺はうんざりした気分で父上の話を聞いていた。


「そうだ。ロバート、そこでお前の妻となる女性を見つけてもらう」

「父上、俺はまだ結婚するつもりはない」

 俺は立ち上がり、父上を睨みつけた。


「ロバートの結婚を進言したのは私です」

「兄上!?」

 俺の部屋に兄上も入ってきた。

「聞いたところによると、お前は仕事もせず馬に乗って遊びに行ったり、高価な美術品を求めたり、いつまでも子どものように過ごしているそうですね。妻がいれば、もう少し大人になるでしょう?」

「俺の勝手だ」

 俺が父上と兄上を睨むと、兄上と父上は首を横に振った。


「末っ子だからと、甘やかしすぎたようだ。毎年、お前の誕生日を祝う舞踏会だというのに最低限顔を出し終わったら逃げていただろう。今年はそうはいかないぞ? いい加減、王子としての自覚を持て!」

「もうロバートも十八歳ですよね。そろそろ子どもっぽい考えを改めなくてはいけませんよ」

「……ちっ」


 俺は兄上と父上に挟まれて、しぶしぶ頷いた。

「……分かった。……気に入った女性がいれば、考える」


「かならず一人選べ」

 父上は俺を見つめて言った。

「父上?」


「でなければ、私が令嬢を選ぶ。シンシア妃のような、立派な令嬢を」

「なにっ?」

 俺は義姉上のシンシア妃が苦手だった。あんな、腹の中で何を考えているか分からない女と一緒になるなんて……。兄上の妻を悪く言うのもなんだが、絶対に避けたい。


「……分かった。舞踏会で妻となる女性を俺が選ぼう」

 俺は舞踏会が中止になる様に、心底祈った。


***


 舞踏会の日は青い空が広がっていた。舞踏会の時間が近づき、空が赤から青のグラデーションを描いた頃、私は両親と馬車で王宮に向かった。


「リリー、くれぐれも目立たないようにするんだよ」

「わかっているわ、お父様」

「リリー、ロバート王子に近づかないようにね」

「ええ、お母さま」


 馬車はがたがたと道をはしる。流れていく風景を見ていても、私の心は晴れなかった。


 馬車が王宮に着いた。すでに、たくさんの馬車が列をなしている。私たちは順番に従い、馬車を降りて舞踏会の会場に向かった。広間の壁も柱も洗練されていて美術品のようだ。壁に掛けられた肖像画の美しさに、思わずため息がでた。


「王宮って、やっぱり素敵ね」

「ああ、そうだな」


 私があたりを見回していると、お母さまが私にだけ聞こえるくらいの小さな声で言った。

「リリー、きょろきょろとあたりを見ないでね。落ち着きがなくてみっともないですよ」

「ごめんなさい、お母様」

 私はあわてて前を向いた。


 広間に着くと、令嬢たちがさざめくようにおしゃべりをしている。人混みの中、音楽が響きだした。シャンデリアの光に照らし出される豪奢な広間。大きな花瓶に生けられた色とりどりの花。ああ、なんて素敵な舞踏会だろう。毎年、その華やかさは増している気がする。


よそ見をしていた私の目の前が、突然開けた。

「……あ」

「……?」


 見上げた目線の先にはロバート王子がいた。

目が合ってしまった。

ほかの令嬢たちの様子をうかがうと、皆ロバート王子とは目を合わせないように、うつむいている。


 ロバート王子を思いがけず間近で見た私は、その凛々しさにぼうっとしてしまった。

 細身だがしなやかな体にまとった燕尾服から覗く手と首は、少しだけ日に焼けた健康的な淡い褐色だ。私より顔一つ分上にある、薄い青色の瞳に目が吸い寄せられる。

「なんだ? 私の顔に何かついているか?」

「……美しい瞳が」


 私が素直な感想を述べると、ロバート王子の口元がゆがんだ。

「……面白いな、お前。そうだ! 婚約者はお前にしよう!」

「!! 嫌です!」

 ロバート王子の言葉に私は反射的に答えていた。


 会場のさざめくようなおしゃべりが止まり、楽団の音楽だけが鳴り響いている。


「……嫌だと?」

 ロバート王子の良く響く声を聞き、我に返った。ロバート王子から目をそらすことも出来ずに固まっていると、ロバート王子は右眉を上げた。


 会場は沈黙に包まれている。その静けさを破ったのは、ロバート王子の楽しそうな笑い声だった。その目は面白いおもちゃを見つけたかのように、生き生きときらめいている。


「気に入った! 今日この瞬間から、お前は私のものだ!」


 私は立ち尽くしたまま、全身から血の気が引いて行くのを感じていた。


 ――なんてことなの! あれだけお父様にもお母さまにも気を付けるように言われていたというのに!


 おぼつかない足取りで後ずさると、お父様とお母様が私を支えてくれた。

「お父様……お母様……」

「リリー……仕方ない。覚悟を決めなさい」

「……え? でも……」


「王子の申し出を断れるはずがないだろう?」

「……はい」

 私はお父様に支えてもらって、なんとか立ち続けた。

 

 ワルツが奏でられはじめ舞踏会の会場はまた、賑やかな話し声につつまれた。


***


 舞踏会が終わり、一週間が過ぎた。

 あれから、かわりなく平凡な日々が続いている。

ロバート王子の「俺のものだ」という宣言は戯れだったのだろうと、私は安心し始めていた。


「俺のもの、なんて初めて言われたわ。ロバート王子って冗談がお好きなのね」 


 のんびり部屋でくつろいでいると、ドア越しに執事が私に声をかけた。


「お嬢様、贈り物が届いています」

「え?」


「広間に運んでおきました」

「……ありがとう」

「お手紙も届いております」

「ありがとう」


 私はドアを開け、執事から受け取った手紙を裏返す。手紙には王家の蝋印が押されている。

「え? 王宮から!?」

 手紙を開けて中を見る。そこには<礼は要らない。ロバート>とだけ書かれていた。


 急ぎ足で広間に向かうと、そこには彫刻や南国の鳥のはく製、ペンダントや髪飾りがところせましと並べられていた。

「どうしましょう! こんなに高価なものをこんなにたくさん……! 受け取れないわ!」

 私が困っていると、お父様がやってきた。贈り物の数々を見て目を丸くしている。


「これはどうしたんだい? リリー」

「ロバート王子からの贈り物です。受け取る理由がありません。お返ししなければ……」

「そうだな……。何かの間違いだろう」

 お父様は少し考えた後、私に言った。


「一緒に王宮まで返しに行こう。ロバート王子に謁見したいと手紙を書くから、返事が来るまで待ちなさい」

「はい、お父様」


 お父様はさっそく手紙を書くと、召使に王宮にそれを届けるように言った。


 一週間後、ロバート王子から返事が来た。お父様が見せてくれた手紙には<王宮で待つ。ロバート>とだけ書かれていた。

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