瑞河亜琉とフルートの女

nishimori-y

第1話:瑞河亜琉と環状線

 僕のマンションの最寄駅である地下鉄御堂筋線天王寺駅は、JR大阪環状線、関西本線、阪和線、近鉄などが隣接している、大阪市南部の主要なターミナルとなっている。大阪市の主要部を時計のように周回しているJR大阪環状線は、東京の山手線のようなものをイメージしてもらえればいいのだけれど、そのことを征樹おじさんに言うと、


「大阪環状線を山の手線と同じにするもんちゃう。環状線は奈良にも通じとるし、USJにも行けるし、関空にも行くし、快速だって走っとるし、山の手線みたいにグルグル回るだけのつまらんもんやない。環状線をなめたらアカンで」


 と、堰を切ったように否定された。環状線をなめているなんて一言も声にしていないのに、「東京のもんには負けへんわ」と強がりまでダメ押しされて、こっちの人は東京が絡むと、どうしていつもこうムキになって突っかかってくるのだろうと、僕には不思議でたまらない。


 大阪駅から西九条、新今宮、天王寺を通過して京橋、そして大阪駅に戻るまで四十分になる。天王寺から大阪駅までは約二十分、線路が街をぐるりと回るため、地下鉄御堂筋線よりも五分ほど余計にかかる。大阪駅もしくは梅田駅へ早く向かうなら断然地下鉄の方が便利だけれど、定期を持っているおじさんはJRで向かうことが多い。今日も梅田で知り合いと飲むらしく、近鉄百貨店で購入したとかいう新品のジャケットを着て、玄関脇の棚に置かれていたJR定期とスマホと小説を鞄に入れていた。


「今日って夕飯いらないんですよね」


「おう、うどんか蕎麦かスパゲティか、ご飯も炊いとるしカレーでもええで。亜琉の食べたいもんを、適当に冷蔵庫漁っといてな」


「はあ……待ち合わせって夕方なんですよね? まだ三時ですけど、早くないっすか」


「家におっても暇でなあ、電車をぐるりと一周しながら、座ってゆっくり本でも読むつもりや」


 ほんな、ま、留守番頼むなあと言い置きをして、飲み会、飲み会、ふふんふんと鼻歌を鳴らしながらおじさんは外へ出ていった。


 環状線を一周すると四十分掛かる、ということは、一周半で一時間ピッタリだ。JRと、時刻表を考えた人と、それを忠実に守る運転手さんは天才だと思う。この一時間という区切りがなかなかに素晴らしく、しかも冷暖房が完備してるとあって、おじさんは大阪駅へ出るときの貴重な読書タイムとして有効に使っているようである。


 さて僕はどうしようかと、部屋に戻って椅子に座る。明日の理工学概論の爪広教授はレポートが厳しく授業も早い。予習でもするかと教科書を広げたけれど、お日様の当たる窓辺でポカポカと平和な幸せについ瞼が下がってしまう。気分転換にコーヒーを飲んで机に向かうも、窓から見える晩秋の青空に集中力が奪われる。おじさんがいないから部屋が静かだ。時計の音がよく聴こえる。カチッカチッという規則正しい針の動き。ああこれは弦楽器のピツィカートだ。弦を弾く短い音。次の定演のアンコールはピツィカート・ポルカに決まった。可愛い曲調だけれど、木管には出番がなくてつまらない。ヨハン・シュトラウス二世とヨーゼフ・シュトラウスの兄弟二人が合作したもので……などと、眠気のせいで想像力の逃避行が始まった。


 こりゃダメだ、仕方がない、今日は勉強中止にしようと自分勝手な言い訳をして、僕もぶらりと出かけることにした。

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