第5話 祭り・つがいさんの章
前回の婿取りから二十年目の今年、新たなつがいさんが選ばれた。若く、身寄りが無い、だが、身体の丈夫な細工師の男だ。
今の里には食い詰めた男は居ない。少し前まで片腕両足の不自由な男が居たが、つがいさんの選定直前に、心の臓に発作を起こして亡くなってしまった。
身代わりのように細工師が選ばれたことに、反対する者は出なかった。寧ろ、里に帰って来る初めてのつがいさんになるのではと、一種厄払いを期待する者も少なくなかったくらいだ。
――俺は何とか暮らせる程度の腕もあるし、身体も丈夫だ。養わなきゃならん身内ももう居らん。二十年後、つがいさんでなくなっても、独りで暮らすのに支障はないから援助はいらん。それは里の為にでも使ってもらおう。
さして深く考えもせず、細工師の男――凪は、つがいさんを引き受けた。
そして、祭りの当日。
朝から冷たい井戸水で身を清め、用意された真っ白な装束に着替えた凪は、これから長く住むことになる神社の離れで一人過ごしていた。部屋は広いが簡素で、衝立の向こうに二組敷かれた夜具と、凪が持ち込んだ作業道具が隅に置かれている以外何もない。沐浴以外、儀式めいたことをさせられることも無く、ただ時が過ぎていく。
静かだった。
「かげろう祭り」の日、里の者は家から一歩も出ない。段々と、この世には自分しか居ないかのように思われ、凪はそわそわと立ったり座ったりを繰り返す。
(落ち着かん……)
部屋の真ん中にごろりと大の字で寝転び、うとうとと微睡むがそれも続かず、すぐに目が覚めてしまう。
ようやく日が暮れ、一人の若い女が二人分の膳を運んで来た。数刻ぶりの人の気配に凪は思わず安堵の息を吐く。
簡素な衣を纏った女は、特段美しいわけではなかったが、涼し気な目元ときびきびとした動きが、いかにも神に仕える者といった風情だ。女は、手伝おうと腰を浮かせた凪を「私の仕事ですから」と押しとどめ、膳をまず凪の左隣に、次にもう一膳を凪の前に置き、丁寧に頭を下げる。
支度を終え立ち去ろうとする女に、凪は己の目の前に置かれた膳を指し、
「あの、この
「勿論です」
女が頷く。
「あー、その、俺も、何か手伝いを……」
「そのままそこにおいで」
廊下から別の女の声がした。その声に、膳を運んで来た女が凪に黙礼し、部屋を下がる。入れ替わりに、ほっそりとした女が姿を現した。
女は凪の向かいに座り、一礼し、
「お初にお目にかかる。祭主を務める『あわい』と申す。婿殿がすることは何もない。そのまま大人しゅうしておいで」
あわいは、幻の様に美しかった。
不思議な気配の女だ。年の頃は凪とそれ程変わらないように見えたが、話し方といい、どこか老成した雰囲気を漂わせている。
神を祀る人というのは、やはりどこか自分達とは違うのだろうか……凪はそわそわと、
「あの、あわいさん」
「呼び捨てでよい。で、何か? 飯が足らぬか?」
「いや、飯は足ります。それより、俺はこれから何をしたらいいんですかね?」
「何も」
沈黙が続く。
用は済んだとばかりに腰を上げかけたあわいに、慌てて凪が訊ねた。
「あわいさんは若そうだが、本当にここで一番偉い人なのか? いや、気を悪くしないでくれ、その、今迄一度も顔を見たことがないから……。なあ、あわいさんが、つがいさんを選ぶんだろう? 何故、俺が選ばれたんだ?」
あわいは上げかけた腰を下ろし、
「呼び捨てでよいと言うたに……婿殿の言いたい事も分からぬではない。我等はあまり、かげろう様のお側を離れるわけにはゆかぬからな」
彼女達の身の回りのものは、里の者が神社に運ぶことになっている。かげろう祭り以外の毎年の祭りや、行事の殆どにも祭主家は係わってはいるが、巫女達が里に下りる際には、常に頭から垂れ面を被っていたし、里の者は幼い頃から、偉い巫女様を詮索するのは罰当たりだと教わって育つ。凪に限らず、里の殆どの者は巫女達の顔を見たことなど無くて当然だった。
「だが、この場から離れられぬ身でも、周囲を知る術はいくらでもある。無論、婿殿のこともな。細工師である事も、父御母御は既に居らぬ事も、隣の童に
凪は頬を赤らめ、唇を引き結んであわいを睨む。
「ほほ、可愛らしいこと。まあそんな顔をするな。だからこそ選んだのだ。心身、かげろう様によくお仕えせい」
あわいはにたっと笑って腰を上げ、今度こそ本当に立ち去った。凪は暫く憤慨していたが、頭が冷えてくると疑問が湧く。
(何で勘太に風車を作ってやったことを、あわいさんが知ってるんだ? つい昨日の事なのに……)
得体のしれないものに絡めとられ、徐々に身動きできなくなるような感覚に眩暈を覚える。目の前の膳は冷え、腹は減っている筈なのに、食欲が湧かない。
ここに来て初めて安請け合いを悔いる凪の耳に、母屋の方から赤子の泣き声が聞こえたような気がした。
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