死骸

佐々井 サイジ

第1話

 横江はリュックの肩紐を片方の肩だけにかけてドアを開けた。つま先付近に何かを踏む感触がした。固いものの中身から液体が弾けだすような感触が足の裏に広がった。重心の移動に抗えず踏んだモノに力を加えてしまう。ぐしゃりと音がした。脚を上げると、琥珀色の破片とねばねばしたものが交じり合っていた。しゃがんで顔を近づけてみるとどうやらカタツムリのようだった。ほとんど原型はなく、体重でつぶしてしまったようだった。横江は潰した足を地面に何度か擦ってからカタツムリを除けてエレベーターまで移動した。

 フロアの灯る数字がゆっくりと増えていくエレベーターをぼんやりと見上げていた。カタツムリを踏んだ感触が右足の裏に残っている。何の抵抗もなく潰されていくカタツムリ。 

 小学生の頃の記憶がよみがえってきた。横江は小学生のとき、虫や小さな生き物を殺して遊んでいた。バッタの頭を引きちぎって胴体がいつまで動くか観察し続けたり、カマキリの腹を切り裂いてハリガネムシを取り出して切り刻んだり、カナヘビの四肢を全てちぎって蛇のようにしたり。小さな生き物を虐げることに何の罪悪感もなかった。自分でもそれが犬や猫、人間に興味が向かなくて良かったと思っている。実際、クラスメイトと喧嘩したときに、うっかり傷つけてしまったときは、心の中で罪悪感を抱いたことに安堵していた。

 靴の裏を向けると、カタツムリの体液らしきものがこびりついていた。それにしても横江の住むのは八階である。下宿先に選ぶ際にあまり蚊が飛んでこなさそうな高いところを選んだはずだった。望み通り蚊はみかけなかったが、カタツムリが八階まで来るのだろうか。

 横江が大学の授業から帰宅して下宿先に戻る頃には潰れたカタツムリの死骸はどこにもなかった。たまたま業者の掃除する日だったのだろうか。それにしてもこの下宿先に住んでから三年間、業者が掃除している場面と出くわしたことがない。横江は疑問に思いながらもドアを開けた。


 翌日、三限目の授業に向かうために家を出た途端、また異物を踏むような感触がした。右足を上げると、トノサマガエルが腹から内臓を飛び散らせて死んでいた。本体はすっかりふくらみが無い。また踏んでしまったらしい。横江は潰れたトノサマガエルに顔を近づけると、違和感を覚えた。トノサマガエルには四肢がなかった。まるでそこから逃げられないようにあらかじめもがれたように思えた。つまり、カタツムリもトノサマガエルも玄関の前にいたのは偶然ではなく、誰かが意図的に置いたということか。

 横江はここまで考えてから、また足を地面に擦りつけた。誰かの仕業だとしても思い当たる人物はわからない。隣の住民とのかかわりもなければ、大学での人間関係も希薄だった。仲の良い人がいなければ恨まれるほど関係が深い人物もいなかった。

 横江が外出するとき、必ず生き物が玄関の前にあるようになった。足をもがれたバッタやカブトムシ、翅のない蝶、丸まった何かの幼虫、卵からかえったばかりの小さなカメ、ブルーギル。

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