双極鬼



 桔梗の作った夕食を食い尽くす清影を呆れたように見つめているうちに、ふと誠二と藤山家の使用人の会話を思い出した。


――『双極鬼様にはどう報告するんだ。この後ここへ来るんだぞ』


 双極鬼とは、誰のことだろう。

 あの場に後から来た人物といえば鷹彦だ。鬼が鷹彦のことを双極鬼と呼んでいるということは、鷹彦を食った鬼の名前なのかもしれない。


「清影。双極鬼という名を聞いたことがある?」


 駄目元で問いかけると、清影は噛んでいた米を飲み込んだ後、衝撃の事実を口にした。


「双極鬼は俺です」


 一瞬、桔梗の思考が停止する。

 程なくしてその動きは再開し、混乱しながらも問い直した。


「……待って、清影は偽名ってこと?」

「清影はこの体の名前です。双極鬼というのは平安の世で俺が呼ばれていた呼び名で、もう俺をそう呼ぶ人間はいないでしょう」

「まさか……平安の世から生きているというの? 鬼ってそんなに長寿なの?」


 鬼に関しては謎が多い。

 どこからか現れて人を食らい、人の姿を完璧に模倣する恐ろしい肉食の妖怪である、ということくらいしか分かっていない。

 情報が少ないからこそ人間は鬼のことを討伐できずに苦しんでいる。


 清影は茄子の煮浸しを食しながら、呆れたように答えた。


「人間はそんなことも知らないんですか? 鬼は人間を食らい続ければその人間の寿命に従って生き延びられます。老いれば次の人間を喰らえばよいだけのことで、そうして長く生き続けている鬼も多いんですよ。そこまでして生に執着する気持ちは、俺には理解できませんが」


 うまいものを与えたために機嫌がよいのか、やけに饒舌だ。素直に情報をこちらによこす気になったらしい。

 しかしそれでは、明治の世まで生きながらえている清影も、平安の御世より人を食って成り代わり続けてきたということではないか。

 桔梗は動揺しながら質問を続ける。


「あ、あなた、食ったことがあるのはその体の男だけって言ってたわよね?」

「俺は特殊です。鬼の姿のまま長年氷の中に封印されていたので体が腐らず、この時代まで生き延びました。〝清影〟を食ったのはその後です」


 氷漬けにされて封印。

 その話に心当たりがあった。

 鬼は基本群れない。しかし、平安の世には鬼の頭領が存在したという古い言い伝えがある。その鬼は非常に強い力を持ち、本来群れぬはずの他の鬼たちまでをも従わせていた。

 手足は八本、頭が二つある異形の鬼で、両の頭は互いに意志を持つが、一つの肉体を共有していたらしい。

 朝廷の陰陽師によって本体を真っ二つに裂くことに成功し、片方の鬼は氷の呪詛によって永久に冷たい地の底に封印され、もう片方は逃げたものの、力の半分を失い長い間潜伏することを余儀なくされたとされている。


 桔梗の中に一つの仮説が生まれる。

 いやしかしそんな馬鹿な、と思いながら、恐る恐る問いかけた。


「……あなたもしかして、大昔に鬼の頭領をやってたりした?」

「一応、封印される前は」


 もぐもぐと秋刀魚を食べながら答える威厳のない元・鬼の頭領。

 何が一応だ! と隠されていた事実による衝撃が大きすぎて清影の頭を叩きたくなった。

 『俺はその辺の鬼よりも強いですよ』と言った清影の発言にも納得だ。伝承に残るほどの鬼。多くの鬼を従わせ、引き連れていた頭領。そんなもの、強くて当たり前である。

 情報収集のためとはいえ、我ながらとんでもない鬼を引き当ててしまった。


「氷の中から一体どうやって逃げたの?」

「この体の人間が助けてくれたんですよ」

「……助けてくれた子供を食ったってこと? なんて恩知らずな……」


 桔梗は口に手を当てあまりにも惨い仕打ちに震えたが、どうやら違うらしく、清影はすぐに否定してきた。


「失礼ですね。俺はその辺の下品な鬼と違って何でもかんでも食ったりしません。俺が彼を食ったのは、彼が美しかったからというのと、彼自身がそれを望んだためです」


 あっという間に夕餉を桔梗の分まで食べ終えてしまった清影は、箸を置いて過去について語り始める。



「清影という名の子供は、労咳を発症していました」




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