第二章

死に戻り 二



 意識を取り戻した時、目の前にいたのは、よく知る生意気な鬼だった。


「俺が一度手を付けたのでこれは俺のものです」


 桔梗は、清影と互いに膳を持って奪い合う状態だ。ばっと膳から手を離して周囲を見回す。

 変わらぬ離れの、畳の一室が広がっている。皿の上に置かれているのは桔梗が昨日作った夕食だ。


(これって……昨日の夜……?)


 時を支配するといってもどの地点に戻るかまでは予測がつかなかった。

 先生を殺されたことに衝撃を受け、勢いに任せて死んでしまったが、かなり危険な賭けだっただろう。

 まだあの光景が瞼の裏に残っている。先生の冷たい手、床に広がる黒ずんだ血の跡、最期に残してくれた言葉。思い出すたびに血の気が引き、体が震えた。


「……どうかしましたか?」


 桔梗の様子がおかしいことに気付いたらしい清影が顔を覗き込んでくる。


 桔梗はどこから説明していいか分からず、すぐに声を出すことができずにいた。

 すると――ふと温もりに包まれた。

 桔梗は隣に座る清影に抱き締められていた。突然のことに動揺し、ほんの一瞬だけ、嫌な記憶が吹き飛んだ。


「顔色が悪いです」


 耳元で、低く静かな声が響く。

 腕の中に閉じ込められたまま、ただ静かに呼吸するしかなかった。

 清影の胸元から、熟れた果実のような妖しく甘やかな香りがした。鬼の香りだというのに、清影のものであるとほっとする。

 着物越しに感じる清影の体温は温かく、少しだけ心を落ち着かせることができた。


「……何するの」

「震えているので、寒いのかと思ったのですが。違いましたか」

「…………」


 どうやら清影なりの善意らしい。

 抱き締められているうちに記憶を整理することができ、どっと安堵が襲ってきた。今が昨日の夜であれば、先生は殺されていないだろう。

 桔梗は大きく息を吐き出した後、顔を上げて言った。


「明日、朝から先生に会いに行く。夜には先生が殺されるから」


 まるで未来を知っているかのような桔梗の発言に、清影がはっとしたように目を見開く。


「時の支配の方法が分かったのですか?」

「そう。未来から今戻ってきた。でも分かったのは、私が死ねば戻るということだけ。どの地点に戻るかをどうやって支配するのかは分からない。だから、現時点ではあなたが捜している女性を見つけるためには役立てない。それを聞く前に先生が殺されてしまったから」


 月光が青白く差し込んでいる。

 落ち着いた桔梗は清影から少し身を離し、窓の外に浮かぶ月を見上げた。


「殺された? 誰にです?」

「未来で私の家族を殺した鬼よ」

「それは、君が止めたいという七年後の殺人事件のことですか?」

「そう。その鬼は七年後、私を襲って子をなさせて投獄し、その間に藤山家の人間を皆殺しにする。奴の目的は分からないけど、今も私を狙っているのは確か。私と関わった人は危ないのかもしれない」


 そこまで言って、桔梗は察しの良い清影の方に視線を戻した。

 他人にあの時の悲劇の話を詳細に打ち明けたのはこれが初めてだ。このような辛い出来事、話すつもりなどなかった。しかし状況が変わった。何も知らせずに清影を傍に置いておくわけにはいかない。


「……あなたも。あなたは私を使ってその体の母親を捜したいのかもしれないけれど、その前に殺されてしまったら元も子もないわ。嫌だったら私から逃げて」


 鬼同士でも殺し合いは起こる。鬼の情報が清影からもう出てこないのであれば、ここで彼を手放した方がいいだろう。

 しかし。


「それ、本気で言ってます?」


 清影は、何を言ってるんだ? とでも言いたげな、愚かしい者を見るような目を向けてくる。

 こちらは心配しているというのに呆れ果てた顔をされ、桔梗はむっとした。


「私を狙っているのは本当に恐ろしい鬼なのよ。大の男を何人も殺した鬼で……」

「俺はその辺の鬼よりも強いですよ」


 清影は怯える様子もなく、涼し気な顔で言い切る。

 嘘をついている顔には見えない。その目には、揺るぎない自信が宿っている。


「君は俺を使った方が賢明です。命じれば言うことを聞く弱者に、何故選択肢を与えるんです?」


 確かに、奇術を使って従わせることができるという点では、清影は彼の言うところの弱者なのかもしれない。けれど。


「……もう誰かが死ぬところは見たくないの」


 桔梗は先生に協力を頼んで死なせたことを引き摺っていた。

 もうあんな思いはしたくない。あんなことになるくらいなら、もう誰も関わらせず、極力一人で動いた方がいい、と。


「人間の君が俺を庇うと?」


 清影の問いに小さく頷く。

 清影は、く、と喉を鳴らすように笑った。


 恐る恐る視線を上げれば――清影は、おかしそうに目を細めていた。

 いつもほとんど無表情なだけあって、柔らかい表情を浮かべているのは珍しいように感じた。


「……やはり君は、少し似ている」


 誰に、と聞く前に、清影が静かに手を持ち上げた。

 え? と思ってその手を見上げる。


 清影はその手を握り締めることもなく、拳を振るうこともなく、ただ、風を払うように軽く手を振った。


 ——その瞬間、離れ屋の壁が外まで弾け飛んだ。



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