異世界で新婚カフェを開いたら、王命で勇者の妻になりました

八星 こはく

第1話 可愛いはお金になるんです!

「私、もう駄目だわ」


 呟いたのと同時に、シルヴィーは地面に倒れ込んでしまった。冷たい風が吹いて、シルヴィーの頬を容赦なく撫でる。

 ぎゅる、とお腹が情けない悲鳴を上げた。けれど、食べるものどころか、飲み物すらない。


 金なし、食料なし、帰る家なし。


 それが、シルヴィーの現状だ。

 両親が賭け事にハマって作った借金を返すために、50歳も上の男と結婚させられそうになった。なんとか家を逃げ出してきたものの、頼れる相手もいない。


 私、もう死ぬのね。


 諦めて目を閉じた瞬間、濁流のように、頭の中に記憶が流れ込んできた。


「……思い出した」


 ぼんやりとした記憶が、どんどん明瞭になっていく。今さら前世のことを思い出したのは、今世が終わろうとしているからだろうか。


 久世早織。それが、前世での名前だ。

 日本生まれ、日本育ち。大学在学中に秋葉原のメイドカフェでアルバイトを始め、大学卒業後もそこで働き続けた。

 24歳になってメイドカフェを卒業し、普通の事務員として働き始めた。しかし長続きしなくて、今度は秋葉原の妹カフェで働くことにした。


 しかし、いつまでもコンセプトカフェで働けるわけじゃない。

 27歳になり、今度こそ普通の仕事を……! と思った早織は不動産営業に転職した。そして……。


「駅のホームに落ちて、死んだんだわ」


 早織の働いていた不動産会社は、いわゆるブラック企業だった。

 サービス残業は当たり前だったし、時代遅れのセクハラやパワハラは日常茶飯事だった。

 疲労がたまった早織はある日、駅のホームから落下してしまったのである。


「転生したっていうのに、また死ぬのね」


 また、幸せになれないまま人生が終わる。そう思うと悔しい。

 だけど。


「好きでもない男の物になるくらいなら、死んだ方がマシよ」


 覚悟を決めてシルヴィーが意識を手放そうとした瞬間、大丈夫!? と慌てた女性の声が聞こえた。

 しかしシルヴィーにはもう、目を開ける気力はなかった。





 目を覚ますと、茶色い天井が目に入った。


「あ、お姉ちゃん、だいじょうぶ!?」


 幼い少女の声がして、シルヴィーは勢いよく起き上がる。音を立てて軋んだベッドはかなりの年代物だが、毛布からは洗い立ての香りがした。


「よかったぁ、お姉ちゃん、起きて」


 私を見て、女の子がにっこりと笑う。亜麻色の髪の可愛らしい少女は、おそらく5歳くらいだろう。


「ママ―! お姉ちゃん、起きたよ!」


 少女が叫ぶと、階段を駆け上がる音がして、一人の女性が部屋に入ってきた。

 長い亜麻色の髪に、栗色の瞳。少女とよく似ているが、穏やかな大人の魅力を備えた女性だ。


「よかったわ。これ、飲めるかしら?」


 女性が差し出したコップには、温かいミルクが入っていた。


「ありがとうございます……!」


 すごく美味しい。生き返る感じがする。

 これがなかったら私、本当に死んでた……。


「私はミレーユ。ここ、フルールのオーナーなの」


 女性はそう名乗り、にっこりと笑った。


「フルール?」

「ええ。カフェを経営しているの。店員は全員女よ。女でも働いて生きていけるような場所を作りたかったのだけれど」


 ミレーユは深い溜息を吐いた。


「かなりの経営難なの。まあ、頑張るしかないんだけどね」

「だいじょうぶ! ママ、頑張ってるもん!」


 少女がそう言うと、ありがとう、とミレーユが少女の頭を撫でた。


「この子はパトリシア。私の娘よ。聞かれる前に言っておくけど、夫はいないわ」

「……そう、なんですね」

「気にしないで。私、幸せだもの。まあ、お店は上手くいってないけど」


 ミレーユは微笑んで、そっと手を差し出した。


「行くところがないなら、ここで働かない?」

「えっ!?」


 いきなりのことに返事ができずにいると、バン! と大きく音を立てて扉が開いた。そして、二人の女性が出てくる。

 一人はピンク色の髪に金色の瞳で、童顔で低身長だがかなり豊満な身体つきをしている。もう一人は黒髪に濃い紫色の瞳を持つ、クールな美人だ。


 ミレーユさんもだけど、ここって、美人しかいないの?

 まあ、私だって負けてない……はずだけど。


 シルヴィーは地元で有名な美少女だったのだ。ラベンダー色の髪と水色の瞳を持つ、楚々とした美少女である。

 だからこそ、金持ちの老人が求婚してきたのだ。


「アンタ、店の経営状況分かってんの? 新しい子を雇う余裕なんてないでしょ!」


 低身長の美人が怒ったように言った。見た目通り、高くて可愛い声だ。


「まあまあ、ルネさん。そういうところが、オーナーのいいところじゃないですか」

「オデット、アンタまでミレーユの味方するわけ!?」

「別にそういうわけじゃないですよ」


 ルネはむきになっているが、オデットは軽く受け流している。

 そんな二人を見るミレーユの顔も穏やかだから、きっといつものことなのだろう。


「あ、あの、えっと……」

「ごめんなさいね。でも、賑やかで楽しい職場よ?」

「いえ、そうではなく……単純に、疑問に思ったんですが」


 シルヴィーの言葉に、ミレーユが首を傾げた。


「こんなに美人ばかりなのに、本当に経営難なんですか!?」


 彼女たちはとびきりの美人だ。

 どんなコンカフェで働いたって、ナンバーワンになれそうなくらい。


 ……あ。こっちの世界には、コンカフェなんてないんだった。


 前世の記憶を思い出したせいで、ちょっと頭が混乱していた。この世界では、メイドカフェを始めとするコンセプトカフェなんて存在していない。


「褒めてくれてありがとう。でも、店員が美人だからって、カフェの経営が上手くいくわけじゃないと思うんだけど……」


 困惑した顔でミレーユが言った。確かに、ただのカフェならそうだろう。


 ついうっかり、コンカフェ脳で考えちゃってたわ。


「聞いてください、ミレーユさん」


 この世界には、コンセプトカフェなんて概念はない。

 可愛い店員のおかげでカフェの経営が上手くいく、なんて発想もないだろう。


 でもきっと、需要がないわけじゃない。

 むしろ、その逆だ。ライバルになるような店がないからこそ、上手くいくんじゃないだろうか。


「可愛いは、お金になるんです!!」

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