掌編・『強さ=力』

夢美瑠瑠

第1話



   かねがね、自分はどうも虚弱、繊弱、…精神面でも肉体においても、どうも世間一般の人類と比較すると有意に「腑抜け」「腰抜け」というか、そういう特性があって、そこが諸悪の根源という気がしていて、それはつまりどういうことかと、いろいろ悩んでいる。


 まず、「強さ」を定義づけるとしても、TPO、あるいは人によって、答えはさまざまと思う。

 格闘技、レスリングに強い、相撲に強い。あるいは喧嘩に強い。これは膂力、運動神経、もろもろの身体能力が優れている場合。

 試験に強い。将棋に強い。だと、頭脳の優秀さの比重が大きくなる。

 恋愛に強い?だと、容姿とか、性的魅力のファクターも与ってくると思う。


 なにごとも、勝負に勝つには心技体の充実が必要で?、だから、精神力も大きな要素だと思う。


 で、ある人物を構成するパラメターは無数にあって、一概にどれをとって、「ダメ」とか「優秀」とかは言えない…勉強はできても?他人と交流するのが下手で、不登校になると、人生ごと損なってしまう…これは社会的には「負け組」の烙印を押されるので、まあ「弱い」ヒトに分類されるかもです。(ボクの場合ですw)


 社会的に強い、弱いというのは、今は資本主義社会だから、金力が大きい。

 家が大富豪なら、無条件に強い、強さの極み、とそういうことはあるが、なんとなくむなしいような話でもある。


 で、素朴に少しでも強くなっていこうとすると、ボクの場合は、まず「完全に他人を排除する、捨象する、必要悪とみなす」ところからはじめないとしょうがないのでは?とも思う。


 自我が弱い、自我境界不分明、優柔不断で、プライドが高いくせに、変に豹変して掌を返したように甘えた態度をとったりする。


 のべつまくなしに中途半端に他人から侵襲される、そういう図式から脱却するには、…「強さ」というのはつまり、自分の場合はまず最低限のそういう独立性を確立できていないので、「他人を侮蔑してもいいし、攻撃しても、殺してもいいので、他人を完全に排除する」、精神的にはそういう覚悟を固めることで、自我の確立というのは基本的に他人を、場合によっては殺すと、容易にそういう心境に至れることではないか?_


 甘い、と言って、結局は中途半端なことである。例えば「蠅の王」という、人間の本質に悪を見ているゴ-ルディングの小説は、しかし、人間否定というよりも、そういう絶望から、希望を見ようとしているのかもしれない。

 ボクのだから、「殺すことも辞さない」というのは、本音のところでそう思っていないうちは一人前ではないのでは?という「弱さ」の脱却への自ら出した唯一の処方箋なのだ。


混乱してるかな?が、当面は日々の精進で、心技体の向上と良好なコンディションの維持に勤しもうと、そういう穏当な発想もしてはいます。

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