第31話
『という訳だが。桜子ちゃん、今回君にやって貰いたいのは説得な訳だけど、最優先でやって欲しいのは、その、ご家族の感情を動かす事だ。どうも朋絵ちゃんのご家族は良い悪い以前に彼女の趣味に関心が薄いようだから』
◆
夜。
7時。
私は日乃本さんと一緒に彼女の家の前まで来ていた。
外から見ると極々一般的な家庭だ。
何の変哲もない、どこにでもありそうな一軒家。
今からここへ突入し、日乃本さんの母親と話して彼女の夢を理解して貰う事、それが私に与えられた使命だった。
「それで」
「……ん?」
私は少し緊張している面持ちの日乃本さんに話しかける。
「どうしますか?」
「どうします、って?」
「ここまで来てなんですけど、正直言って今なら引き返せますよ? 引き返すというか、貴方が普通に帰宅するって事ですけど」
私は続ける。
「武さんは言わなかったですけど。正直言って、貴方の母親に貴方の夢について語るという事のメリットは薄いです。今まで通りに彼等には何も告げず、独りで夢に向かって努力するというのも手だと思うのですが?」
「あ、ああ。そういう事」
私の言いたい事を理解したのだろう。
深く頷いた上で、彼女は答えを返してくる。
「ううん、それでも。私は母さんに、私の夢を理解して貰いたい」
「意味がなかったとしても、ですか?」
「意味ならあるよ。これから何も気にせずイラスト製作をする事が出来る訳だし、それに」
「それに?」
「やっぱり、理解してくれる人が増えるというのは、嬉しいから」
「そうですか」
そういうものか。
そういう人も、いるんだな。
頷いた後、私は「さて」と日乃本さんに向かって言う。
「それじゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
再び緊張した顔に戻った彼女を引き連れ、私達は家へと足を踏み入れる。
……家の中も案の定普通の様子。
結構小奇麗で、掃除が行き届いている事が分かる。
そして日乃本さんに引き連れられる形で家の中を歩いていき、そして。
「帰ったよ、母さん」
「ちょっと、朋絵。遅くなるなら連絡を寄越しなさい――」
リビングで、テレビを見ていた女性が私を見るなり目を丸くする。
そして少し表情を険しくし、それから苦笑いのような笑みを浮かべた。
考える事が手に取るように分かる。
多分、友達を連れてくるなら前もって連絡しなさいよ、とか考えているのだろう。
でも、私がいる手前そんな事は言えない、だから仕方なしに笑顔を浮かべている、そんなところだろう。
とりあえず、私は先制攻撃と言わんばかりに挨拶をする事にした。
「初めまして、お母さん。私は天童桜子と言う者です」
「桜子、さん? 桜子さんって、あの?」
あの?
「確か、入学式の時、新入生代表として挨拶をしていた子よね? 成績優秀で、だから」
「あ、ああ。そんな事もありましたね」
そんな事も確かにあった。
昔の事なのに、よく覚えているモノだ。
「えっと、その。それで、私は日乃本――朋絵さんと仲良くさせて貰っているのですけれど」
「ええ、と。その前に、ちょっと待っていて頂戴ね。少し、お茶を用意するから」
と、そう言うなり彼女はぱたぱたと急いでキッチンへと移動していく。
私は朋絵さんと目配せをし、それからダイニングへと移動し椅子へと座った。
それから発言通り湯飲みを三つ持ってきた彼女はそれを私達の目の前にことんと置き、それから「で」と話の続きを促してくる。
「その、桜子さんは、家に何の用があってきたのかしら」
「実は朋絵さんの夢、つまりはイラスト製作について話をしたいんです」
私の言葉に彼女は少し嫌な表情をしたが、構わず話を続ける事にする。
「彼女、朋絵さんは今までイラスト製作を熱心にしていました。本格的に始めたのは最近から見たいですけど、実力をメキメキと身につけているみたいで」
「……はあ」
「ああ、勿論学校の授業に関してもしっかりと受けている事は、友人である私が保証します。最近あった期末テストでも、彼女、平均点以上の点数を取っていました。多分、今までよりも点数が良いんじゃないでしょうか」
「それは、そうねぇ」
頷いて見せる、彼女。
しかし彼女は渋い顔のままだ。
そして朋絵さんに視線を送り、「まったく」と少しキツイ口調で叱るように言う。
「朋絵、貴方。夢がどうの言っていたけど、それで友人を巻き込んだの? まったく、桜子さんに失礼でしょう」
「それは、巻き込んでしまったのは申し訳ないと思うけど。だけど、こうでもしないと母さん、話を聞いてくれないでしょ?」
「私を理由にするのは止めなさい」
「それは――」
「それで」
このまま行くとグタグタ話続けそうだったので、私は強引に話に割り込む事にする。
「朋絵さんが何をするのかはさておくとして。彼女は今、本気で努力をしています。勉強とイラスト、二足の草鞋で。それはとても大変ですが、今のところはちゃんと両方ともにこなせているみたいです」
「……はい」
「だから、その。お母さん、朋絵さんの努力を、少しは認めて上げて欲しいんです。イラストレーターになるという夢はとても過酷な道なのは確かで実を結ばせられる人間は限られていますが、しかし今、朋絵さんはメキメキと成長しています。その事を、見守って上げてはくれませんか?」
私の言葉に彼女は「はあ」とため息を吐き、それからじろりと朋絵さんの方を見る。
「ねえ、朋絵?」
「……なにさ」
「さっきから桜子さんばかりに話させて、貴方は何も言わないの?」
「……っ!」
「そんなだから、私は反対なのよ。友達に助け舟を出して貰って、それで夢なんて叶えられるの?」
「だって、私が夢を語っても、いつも本気で受け取ってくれないじゃないか!」
「また、それね。私を理由にして。そんなだったら他の家の子にでもなれば良いじゃないの?」
「……出来ているなら、そうしているよ!」
「そう! なら話はお終いね! すみません桜子さん、こうして家のこのために来て貰ったのに」
「い、いえ。だから――」
マズイ。
二人とも一瞬で頭に血が昇ってしまった。
これじゃあどれだけ理性的な話をしても耳を貸さないだろう。
ど、どうしよう。
でも、こうなってしまったらどうしようもない――
「落ち着きなさい、二人とも」
ー―と。
助け船は、予想外な場所からやって来た。
振り返ると、そこにいたのは壮年の男。
「と、父さん? か、帰ってきたの?」
「お前が、大事な話がしたいから出来れば早く帰ってきて欲しいってメールをしたのだろうが」
そうだった。
彼女は、(父さんは忙し過ぎていつも家に帰ってこない)と渋っていたが、武さんに言われて念のために彼女の父親にそう言った内容のメールを送っていたのだった。
しかし、彼はとても忙しい身らしい。
それでも、娘の為に早く帰ってきたのか。
「話は、途中から聞いていた。というか、最初から今まであまり話はしていないみたいだが。どうやら――桜子さん、だったね。君には迷惑を掛けたみたいだ」
「い、いえ。その」
「そして、智子さん。ちょっとは、落ち着いて欲しい。そうやって頭に血を昇らせていては、まともに話し合いが出来ないだろう」
「そ、それは」
「そして、朋絵。智子さんの言う通り、大事な話は自分の口からするべきだ。大切な話、なんだろう?」
「そ、うだね」
「さて」
と、彼はお母さん(智子さんと言うらしい)の隣の椅子に座り、そして朋絵さんに問いかける。
「それで? 朋絵は僕にどんな事を話したいんだい?」
「え、えっとその。私の、夢の話を」
「イラストレーターになりたい、だったか。それは前にも話していたな。しかしそれはとても厳しい道だろう。それだけで食っていくのは至難の業だし、まずは大学に進学し、資格などを取得してから改めて目指しても良い筈だ」
「それは、そう。私も、高3までに何一つとして結果を残せなかったら、大学には進学するつもりだった。でも、私が言いたいのは、今、イラストレーターになるための努力を認めて欲しいって事」
「そんなに急ぐ必要はあるのか?」
「今は、一杯絵を描きたいって思うんだ。沢山絵を描いて、それをみんなに見て貰って」
「つまりは、イラストレーターになるのはあくまで手段であって、目的はむしろソレって事か?」
「それは――そうかもしれない」
「好きな事をして生きていきたいという事を否定するつもりはないが――しかし仕事というのは時に自分の嫌いな事もしなければならない事がある。それで、絵を描く事を嫌いにはならないか?」
「大丈夫。だって」
私は、絵を描くのが好きだから。
その言葉を聞き、彼は深く頷いて見せた。
「朋絵。はっきり言って、僕は朋絵のしている事は何一つ分からない」
「……」
「分からないから、何もしてあげる事も出来ない。だから、やるなら自分だけでやりなさい」
「それは、うん」
「お金も出して上げられないが。それでも朋絵名義の貯金を下ろす事には目を瞑ろう。その時は、ちゃんと前もって説明するように」
「――それじゃあ」
「智子さん」
彼は少し呆れたような表情をしている智子さんに言う。
「そういう訳だから、貴方も多少、彼女のしている事を甘く見て上げていて欲しい」
「まったく、貴方は朋絵に甘過ぎです」
「まあ、普段滅多に会えないからね。多少はそうなってしまうさ」
「まったく……」
そして二人は今度は私を見る。
「ありがとう、桜子さん。朋絵は、君がいたからこうして僕達に話をしてくれたのだろう」
「それは、いえ。私のした事なんて」
「それでも。ありがとうと、伝えさせて欲しい」
ぺこりと頭を下げてくる彼等。
それに少し困惑する。
えっと、この場合、私はどうすれば良いんだろう。
私、武さんにあれこれ入れ知恵させられていたのに、それを全く生かせなかった。
今回、私は何も出来ていない。
だから感謝される謂れはないと思うんだけど。
でも。
「ありがとう、桜子さん」
と、私に告げる朋絵さん。
笑顔の彼女を見ると、私は何となく「まあ、いっか」といった気持ちになってくるのだった。
まあ、いっか……
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