第21話

 そもそもこうして竜胆家を訪れるのは二回目である。

 前回は桜子ちゃんの話をするために。

 今回は普通に誘われて。


 ……こうして愛奈さんに家に呼ばれる事が出来たのは、ひとえに日々ちゃんと彼女と交流をしてきたからだろう。

 毎日出会ったら挨拶。

 食事のおすそ分けなんかもしてきたし、根気よくお菓子とかも渡してきた。

 そのお返しにいろいろと貰って来たし、そのお礼と感想もちゃんと言ってきた。

 そういう日々の努力がこうして実ったという事に違いない。

 後はまあ、原作の強制力、とか?

 俺がこの家を訪れないと話が進まないだろうし。

 まあ、そこらへんはあくまで俺があるとしているだけで、実際にあるかどうかは分からないんだけどね。


 さて。

 そんなこんなで俺はダイニングに来ていた。

 そこで席に座り、愛奈さんに出された紅茶とクッキーをいただいていた。

 いただいていた、っていうか。


「あれ、これ」

「ええ、手作り。貴方、天童さんのよりはまだまだ全然だけれど、そこそこ美味しいでしょう?」

「いえいえ、竜胆さんの手作りのお菓子を食べられて、とても嬉しいですよ」

「相変わらず本当に嬉しい事を言ってくれるわよねぇ、天童さんは」


 と、しみじみ言う愛奈さん。


「こう言ってはなんだけど、最初はもっとお堅い人だと思ってたわ。顔を合わせてもすぐふいってそっぽ向いちゃうし、声を掛けても一言二言でどっか言っちゃうし」

「あー」


 それは多分、『天童武』が俺じゃない時の事を言っているのだろう。


「それはまあ、俺もちょっと緊張していたんだと思います。今はほら、ここの生活にも慣れましたし」

「そう、だと良いのだけれど。私は今の貴方、とても魅力的だと思うわ。笑顔も自然だし、お菓子も料理も美味しいし」

「はは、褒めても何も出ませんよ。出るのはそれこそ、お菓子と料理くらいです」

「それは、楽しみね。特に前貰ったチャーシュー、翔も好評だったのよ」

「へえ、それはそれは」


 まあ、男の子はああいう味の濃い奴は大好きだろう。

 俺も男だし、その気持ちは分かる。

 それにしても、翔少年か。

 全然会わないけど、今、何しているんだろうか?

 文芸同好会で活動しているみたいだけど、そこら辺の情報は全然聞かない。

 桜子ちゃんや朋絵ちゃんに聞くのもなんだか変な気がするし。


 とはいえ、そこから俺達が話したのは主に子供の育て方についてだった。

 具体的に言うと、勉強方面。

 彼等は今、高校二年生。

 受験を気にするような時期と言えば間違いない。


「あの子も桜子ちゃんみたいに塾に通わせた方が良いのかしら」

「そこら辺はそれこそ翔君のやる気次第じゃないですかね。やろうという意思がなければどれだけ努力しても意味はないのですし」

「勉強は将来の為になるのだから、出来れば努力して欲しいわ」

「そこはまあ、親の辛いところですよね」

「ええ。強く言うのも私のエゴだと思うし、とはいえ静観するのもおかしいような気がするし。夫が生きていたら、なんと言うのかしら」

「案外何も言わないかもしれませんよ、子供の自由意思に任せる、とか」

「それは――言いそうねぇ」


 と、そこで愛奈さんは空っぽになったお菓子が乗っていた皿を見、「新しいお茶菓子を持ってきますね」と言い、皿を持ってキッチンへと姿を消す。

 まだあるのかと思いながら紅茶を啜っていると、次の瞬間、絹を引き裂くような悲鳴を聞き驚き、声のした方へと急ぐ。

 キッチンでは愛奈さんが腰を抜かしたような感じに倒れていた。


「ど、どうかしましたか!?」

「い、いえ。ちょっと、あの。アレがいて」

「……アレ?」

「その、ゴキブリ……」

「あー」


 それは言い辛いな。

 家の掃除をちゃんとしていないと思われるかもしれないし、そうでなくてもゴキブリというのは口に出したくない生き物のいい例だろう。


「立てますか?」


 と、そう言いつつ俺は彼女に手を差し伸べる。

 それを見た愛奈さんは恐る恐る俺の手に伸ばし――


「きゃあ!」


 まだ身体に力が入り切っていないからだろう。

 もしくは床が滑りやすいようになっていたからか。

 彼女の身体がずるりと傾き、前のめりに倒れる。

 とはいえ、大丈夫。

 前回と同じく、彼女のように細身で明らかに軽い女性からタックルを食らったところで倒れたりはしない――


 ふにょん。


「うぇ」


 俺は変な声が出そうになるのを必死に堪えた。

 だって、咄嗟に出たのであろう彼女の手の伸ばした先にあったのは、俺の、その、股間だったのだから。

 潰されるかと思った。

 いや、そこまでやわではないのでそんな事はないだろうけど、精神的にはそれくらい恐怖があった。

 

「あ、え。ひっ」


 そして愛奈さんはそこで自分がどこを触っているのか気づいたらしく、ひゅっと息を呑み慌てて手を退ける。


「ご、ごめんなさい。私ったら、なんてはしたない……!」

「い、いえ。これは事故ですから、あまり気にしないでください。ていうか、そうしてくれると助かる……」

「え、ええ……」


 動揺しつつも彼女はこくりと頷いてくれた。

 そしてそれを口に含んだ彼女は、ぎこちない笑みを浮かべる。


「そ、その。それじゃあ、ちょっと、あちらでお茶の続きをしましょうか」

「え、ええ」


 俺はちゃんと笑えていただろうか。

 そう思いながら、俺は彼女と一緒にダイニングへと戻る。


 ……結局その後、俺は彼女とぎこちないまま会話を数分した後、帰還する事となった。


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