第6話
歯車は微かに、しかし確かに軋み始める。
その始まりは、恐らく『天童武』の中の彼が目覚めた時からだろう。
物語を表面上はなぞってはいるものの、やっている事はなんだか違う。
そも、本来の彼女、日乃本朋絵が彼の家にやって来るのは本来もっと先の筈だった。
何故なら――その危険性を本来の彼は理解していたからだ。
しかし今の『天童武』はその危険性を理解した上で、彼女を家に招き入れた。
そうするのが最も彼女の心を掴むからと信じていたからだ。
その予想は間違いではなく、今の彼女は間違いなく天童武の事を信じている。
心酔とまではいっていないが、信頼出来る一番の男として彼の事を思っている。
とはいえ、この違いは大きい。
そして、この違いによる変化は物語に大きな変化をもたらす。
◆
「ねえ、武さん。もしかしてこの家に武さんのお友達を連れ込んでいるんですか?」
そう尋ねてきたのは、朋絵ちゃんがこの家を訪れイラストの創作を始めてから一週間経ってからだった。
その間に彼女は放課後になると家にやってきて一時間から二時間ほど絵を描いて、それから家に帰っている。
いや、帰らせていると言うべきか。
彼女にも家があるし、何よりこの家には桜子ちゃんがいる。
彼女は今、受験勉強の為に塾に通っている。
そのため毎日7時過ぎにならないと帰ってこない。
その間に、正しく鬼のいぬ間に洗濯って感じで彼女を家に入れてイラストを描かせているのだが。
多分、桜子ちゃんは何かでその事を感づいたのだろう。
「……」
さて。
ここは正念場だ。
ここで答えを間違えれば一発で桜子ちゃんからの信頼を失う事になる。
ここで一番やってはいけないのは、「お前には関係ない」と突っぱねる事だ。
この家は俺のモノとは言え、その家を好き勝手に使われるのは彼女にとってもいい気はしないのは間違いない。
なのでここは、素直に誠意をもって、だけど重要な事はぼかして答えるのが、正解だ。
「ああ、ちょっとな。桜子ちゃんがいない間、友達をこの家に呼んでいる」
「それは、遊んでいるって事ですか?」
「いや。パソコンを使わせている。その子はちょっと、家の事情でパソコンを持っていなくてね」
「その子?」
さて、次に彼女がこちらに尋ねてくるのは、「もしかして年下の人なんですか?」みたいな事だろう。
「その子って、もしかして武さんよりも年下っていうか、もしかして学生さんなんですか?」
ほら、やっぱり。
学生というところまで当ててくるのは、やはり彼女は勘が良いというかなんというか。
さて、ここで俺が彼女に伝える情報は、どうやって朋絵ちゃんと知り合ったかだろう。
まさか、彼女との出会いをそのまま伝える訳にはいかない。
そしてそこら辺は既に彼女と打ち合わせしてある。
「実は、ツブヤイター……ツブヤイターは分かるかい? 桜子ちゃん」
「ええ、それは分かりますけど」
「それで最近、仲が良くなった奴とオフで会おうって話になってね。それで知り合った子なんだよ」
「そう、だったんですか。私はそこら辺詳しくないですから何とも言えませんですけど、そういう交流というのもあるんですね」
「うん。それで、その時その子の悩みを聞いてね。パソコンの、それこそ俺の部屋に置いてあるようなパソコンじゃないと出来ない事をしたいらしくてね。それで、折角だから試しに家に連れ込んで使わせてみたら、そしたら結構才能があるみたいで」
「という事は、もしかしてその人は絵描き志望ですか? 私、武さんの部屋はまだ覗いた事がないですけど、学生が性能が良いパソコンでやりたい事っていうとデジタル作画くらいしか思いつきません」
「桜子ちゃんは話が早くて助かるよ」
本当に。
勝手に納得してくれるから、こちらとしては吐く嘘が少なくて済む。
「……話は、分かりました」
「そうか」
「ですが、ちょっと気になった事があります」
「ん?」
……ん?
なんだか、雲行きが……
「これ、何ですか?」
そして桜子ちゃんが取り出した物。
それは。
「……プリン?」
しかし問題はパックの蓋にあった。
「なんかこれ、マジックか何かで『ともえちゃんの♡』って描いてるんですけど。もしかしてその子って女の子なんですか?」
おっとぉ?
なにやってんだあいつ。
いやまあ、最終的にその事は伝えなくてはならないとは思っていたけど。
ちょっと段階が早過ぎないか。
桜子ちゃんもあからさまに不機嫌そうな表情をしているし。
もしかして、ていうか間違いなく俺が無断で女を連れ込んだ事に対して腹を立てている。
そりゃあそうだ。
この家を勝手に都合の良い逢瀬の場として利用されれば、イヤと思うのも無理はない。
こちらの推定していた流れとしては、もうちょっと桜子ちゃんと仲良くなってからさりげない感じで朋絵ちゃんの事を紹介するか、もしくは彼女の描いたイラストを見せ、朋絵ちゃんの才能を嫌というほど語った上で紹介するかのどちらかをしようと思っていたのに。
今、俺は桜子ちゃんとそこまで仲が良くなっている訳ではないし。
今、手元に朋絵ちゃんの描いたイラストがある訳でもない。
ああ、いや。
パソコンにデータがあるし、それを見せるか。
そう思い声に出そうと思ったが、しかし桜子ちゃんに先を越される。
「会わせてください」
「……え?」
「その、ともえちゃんとやらに。この家の住人として、それを知る権利が、私にはあると思います」
これは。
……イヤとは、言えないよなぁ。
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