第2話
微睡みから意識が浮上する。
目を開けると真っ暗な自室の天井が見える。
むくりと起き上がって闇夜に染まった自室を見渡す。
変わらない部屋。
変わらない風景。
だけど間違いなくこの家は変わってしまった。
主を失った家。
主が変わった家。
この家はもはや私達家族のモノではなく、あのよく分からない男のモノとなった。
いつも気味の悪い笑みを浮かべている男だった。
媚びへつらうような、こちらの機嫌を窺っているような、何か内に秘めている事を隠そうともしない表情。
会う機会はそうそうなかったが、それでもあまり良い印象を持っていないのは確かだった。
天童武。
よく分からない男。
お父さんの弟らしい人物。
「……」
今、自分は武さんの庇護下にいる。
不安がないと言えば嘘になる。
だけど今のところ彼には悪い事はされていない。
とはいえ警戒を解くにはまだ時期尚早だろう。
自分は彼の事を何一つ知らない。
だから、行動を逐一注意する必要がある。
もし、彼がこの家を台無しにするような人物なら、その時は容赦出来ない。
このお父さんとお母さんが残した家はもう彼のモノになってしまったけど、だけどこの家は私達の思い出が詰まった場所なのだから。
「……お腹、空いたな」
ふと、そんな事を思う。
身体を壊す訳にはいかないのでちゃんと食事は取っているのだが、しかし量が少なかっただろうか。
もしくは最近は食事を作る余裕がなくてカップ麺などで済ませてしまっていたからなのかもしれない。
なんにせよ、このすきっ腹は何とかしたかった。
この時間に軽食を取るのは女の子としてどうかと思うけど、だけど空腹で眠れなくなるよりはマシだろう。
そう思いながら私は部屋を出て――そして一階の灯がまだ点いている事に気づく。
武さんはまだ起きているのだろうか。
なにしているのだろう。
疑問に思いながら階段を下りる。
すると、私は香ばしい美味しそうな匂いを嗅ぎ取った。
これは、醤油が焦げる匂い?
「ああ、起きたんだね桜子ちゃん」
台所に足を踏み入れると、武さんはそんな風ににこやかな笑みを浮かべて私を迎え入れてくれた。
「……?」
なんだろう。
何か、違和感がある。
武さんの笑みが、なんだか前より自然なモノになったような気が。
「えっと」
「ちょうどいいところに来たね、桜子ちゃん。ちょうど『これ』が出来そうだったから、ダイニングでちょっと待っててよ」
「あ、はい」
頷き、彼の言った通りダイニングへと向かう。
自分の定位置の椅子に座ると同時に、武さんは何かを載せた皿を持ってこちらへとやって来る。
そして私の前に置かれた皿の上に置かれたのは――焼きおにぎり?
しかし私の知っている焼きおにぎりとは違う。
なんだか平べったいし、それになんだかテカリがある。
「これって……」
「俺特製の焼きおにぎりだよ。ちょうどホットサンドメーカーがあったから、それを作って焼いてみた」
「……なる、ほど」
「油を使って焼くと表面がバリバリになって美味しいんだ。今回はごま油を使って焼いたから香りも良いし、美味しいと思うよ」
それじゃあ、食べてみて。
そう言われた私は頷き、恐る恐る箸を使って焼きおにぎりを一口分摘み、口に含んだ。
――美味しい。
素直に、そう思った。
彼が言った通り、こんがりと焼かれた表面はぱりぱりで香ばしい。
醤油のしょっぱさと、もしかしたら砂糖も入っているのかもしれない、微かな甘さが口いっぱいに広がる。
初めて食べる味だけど、凄く美味しかった。
「おい、しいです」
「それは良かったよ」
満足げに頷いた武さんは、それから少しだけ真面目そうな表情をする。
それもまた、初めて見る顔だった。
「桜子ちゃん、何か困った事ややりたい事、その他いろいろ言いたい事があったら遠慮なく言って欲しいな」
「……え?」
「俺はこの家にやって来た新参者だけど、だけど桜子ちゃんよりも年上で、大人だ。君の保護者として、君の願いはある程度叶えなくてはならない義務があると、俺は思っている」
彼は真剣な口調でそう言う。
「だから、これはお願いだ。遠慮はしないで欲しい。ある程度の事はやって上げるから」
「それは」
私は。
顔を伏せながら尋ねる。
「どうしてこのタイミングで、言うんですか?」
「それは、そうだな」
彼はそこで真剣な表情を優しげなモノへと変える。
「俺と桜子ちゃんは今日から同じ屋根の下で暮らす同居人だ。こういう事は早めに言っておいた方が良いと思ったからね」
「そう、ですか」
私は小さく頷く。
武さんの言った理由。
同居人という言葉。
……家族という言葉を使わず、ただあくまで一緒に暮らす関係と言ってくれた事が、私達の家族の関係を尊重してくれたようで、それが少しだけ嬉しかった。
だけどその時は何も言う事が出来ず、私はただ焼きおにぎりを最後まで食べ切り。
「それじゃあ、私。もう寝ます」
そう一方的に武さんに告げ、二階へ上がる。
「うん、お休み」
最後に見た武さんの表情は、やはり穏やかで優しげだった。
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