7. いきなりの粉砕
「ほら、ゼロも食べて!」
リリーはパンをちぎると、愛おしそうにゼロの前に差し出す。その仕草には、新しい家族への優しさが溢れていた。小さな手のひらの上で、パンのかけらがコロッと転がる。
ピ……ピィ!
ゼロは一瞬パンのかけらを見て固まった。ゼロには物を食べた記憶がなかったのだ。魔物の身体にはエネルギーが自然と供給されてくるので食べる必要がなかったし、食べようと思っても消化器官があるのかも怪しかった。その戸惑いが、小さな体全体を震わせる。
しかし――――。
ものを食べないペットなどいるだろうか? その思いが、ゼロの心を揺さぶる。新しい家族の一員として、この小さな儀式に参加しなければならないという使命感が芽生えてきた。
(くぅぅぅ……。ペットの務め!)
ゼロは目をギュッとつぶったまま、パクっとパンのかけらをついばんだ――――。その瞬間、世界が一変した。
(こ、これは……!)
ゼロは押し寄せてくる芳醇な旨味に、思わず目を真ん丸くして固まる。その表情は、未知なる大陸を発見した探検家のようだった。小さな体全体が、その新しい感覚に震えている。
(う、美味い……? これが美味いという感覚……なのか?)
初めて食べた食べ物、それは脳髄を揺らすほどの甘美な体験となって押し寄せてくる。ゼロの小さな体に、未知の喜びが広がっていった。それは、太古の存在である彼にとっては稀な、全く新しい世界の扉を開くような体験だった。
ピッピッピィィィィ!
ゼロは翼をバタバタさせながら歓喜する。その姿は、まるで小さな舞踏会のように、小さな掘っ立て小屋に希望の光をもたらす。
リリーは嬉しくなって満面に笑みを浮かべた。
「ふふっ。パンが美味しかったのね。じゃ、もっとあげるわ」
リリーはパンを今度は大きくちぎってゼロに渡す。その仕草には、新しい家族への愛情が溢れていた。
ゼロは待ちきれない様子で一気に大きな塊を頬張った。その姿は、まるで宝物を手に入れた子供のようだった。
「あっ! そんな一気に食べたら……」
リリーはゼロの食い意地の悪さに唖然とする。
果たしてリリーの心配は当たってしまう。
ムグッ!
喉がつかえたゼロは動けなくなった。小さな体が、まるで石像のように固まる。喜びに満ちていた瞳が、今度は驚きと戸惑いで大きく見開かれる。
ぐっ! ぐっ!
どうしようもなくなり、苦しそうに翼をパタパタさせ始めたゼロを見て、リリーは青くなる。その表情には、愛するペットをまた失うかもしれないという恐怖が浮かんでいた。
「だから言ったのにぃ!」
リリーはゼロの真ん丸の背中をさすってみるが、効果なく、ゼロは苦しみ続ける。その小さな手には、必死の思いが込められていた。
ぐっ! ぐぐぐぐっ!
目をパックリと見開いた姿は、一刻の猶予もないように思えた。小さな体が、まるで嵐の中にいるかのように揺れている。
「いやぁぁぁ! ゼロがぁぁ!」
ゼロの危機にリリーはパニックになってしまう。
「あらら、大変だ! ちょっと貸して!」
父親は立ち上がるとゼロのところに来て、容赦なく背中をひっぱたく。その手には、一家の大黒柱としての豪快な強い意志が込められていた。
パーン!
刹那、ゼロの顔が崩壊し、微粒子となって辺りに飛び散った――――。
は? へ? えっ?
いきなり顔がすっ飛んで丸い胴体だけになってしまったペンギンに一同唖然とする。特に父親は、自分が殺してしまったのではないかと震えていた。
辺りに飛び散った微粒子は、ふらふらと磁石に引き寄せられるようにまたゼロの首へと飛んで行く。
「えっ!? なんなのこれ……?」
母親はその不思議な光景に目を丸くする。
その光景は、生物の営みとは一線を画す、まるで物理実験のようだった。家族全員が、その不思議な展開を息を呑んで見守る。
やがて、顔は元通り、詰まっていたパンは木箱の上に転がっていた。ある種猟奇的な出来事に、部屋中が静寂に包まれる。時間が止まったかのようだった。
ピィ……?
ゼロは家族の顔を見回した。一体何が起こったのか分からないがどうもよろしくない様子である。空気が凍りついたかのように感じる。
「あー、良かった!」
リリーはホッとした様子でゼロにギュッと抱き着いたが、両親はお互い顔を見合わせながら首をかしげる。その表情には、驚きと疑念が混ざっていた。静寂の中に、不思議な緊張感が漂う。
ピッピッピィィィィ!
ゼロは何事もなかったように装い、転がっているパンをつついてつまんで食べたが、両親からの疑惑の視線に内心冷汗を流していた。その姿は、まるで失敗を取り繕おうとする子供のようにも見えた。
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