魔物だって愛されたい! ~最強の魔物が少女の可愛いペットに!?~

月城 友麻 (deep child)

1. 光の側に立て

 悠久の時が流れる中、世界は静寂に包まれていた――――。


 意識が戻った瞬間、彼は混沌の中に浮かんでいるような感覚に襲われた。自分が誰なのか、どこにいるのか、何一つ思い出せない。ただ、自身の姿だけは不思議と認識できた。光さえも飲み込んでしまいそうな巨大な人型の影。その姿は境界があいまいでぼやけており、まるで生き物のように体の一部が常に崩れては再形成を繰り返していた。赤く不気味に光る眼が身体のあちこちについており、それらは困惑しつつも好奇心に満ちて周囲を観察し始める。しかし、周りには薄暗がりの中に冷たい岩肌が浮かぶばかりだった。


「私は……誰なのだろう?」


 彼の声は風のようにかすかだったが、世界そのものが震えるような深遠さを持って響く。その声に、岩壁が微かに震えたような気がした。


 名前も、過去の記憶も、すべてが霧の中に霞んでいる。しかし、心の奥底で、なんだかとても温かく、素敵な夢を見ていたような感覚が残っていた。まるで大切な人との約束を、かすかに覚えているかのように。


 ゆっくりと起き上がり、彼は周りの岩肌を無数の赤い目でじっと見つめた。その瞳には、長い眠りから覚めた者特有の混沌と、同時に何か強い意志が宿っていた。


 ふんっ!


 と、全身に気合を込めた刹那――――。


 辺りは眩いばかりの激烈な光に埋もれ、膨大なエネルギーが全てを吹き飛ばしていく。それはまるで太陽が地上に落ちてきたかのような、圧倒的な力の解放だった。大地が裂け、岩が蒸発する。その光景は、世界の創造と破壊が同時に起こったかのようだった。


 立ち上る巨大な灼熱のキノコ雲の中から、彼は悠然と大空へと舞い上がる。漆黒の姿が、燃え盛る炎と煙の中を抜けていく様は、まるで炎の中から生まれ出る新たな生命のようにすら見えた。


 大空から見る景色は燃え上がる森林、まるで地獄絵図だった。

 

「うむぅ……。加減を間違えたか……」


 彼は首をかしげ、自身の力の大きさに少し戸惑いながら、立ちのぼる黒煙を避けつつしばらく大空を飛んでいった。風を切る感覚が心地よく、彼の中に眠っていた何かが少しずつ目覚めていくように感じる。


 自分はなぜあんな岩の中に閉じ込められていたのか、疑問は尽きない。しかし、少し行くと爆発の影響もなくなり、目の前に広がる景色に、彼は息を呑んだ。


 さんさんと降り注ぐ太陽の光のもと、巨木が生い茂る広大な森、そして鏡のように美しい湖――――。それは、まるで手つかずの楽園のようだった。


 うわぁ……。


 その美しさに、彼は言葉を失った。心の中に、懐かしさと新鮮さが同時に湧き上がる。彼は嬉しくなって雲をゆったりと避けながらさらに速度を上げていく。風が彼の体を包み込み、まるで世界が彼を歓迎しているかのようだった。


「綺麗だなぁ……」


 眼下に広がる風景を見つめる。緑豊かな森は生命力に満ち溢れ、キラキラと水面が輝く澄んだ川が森を縫うように流れている。さわやかな風が彼の影のような体を揺らめかせ、森の香りを運んでくる。その一つ一つの感覚が、彼の中に眠る記憶を少しずつ呼び覚ましていくようだった。


 実に爽快な目覚めだった。まるで、長い冬眠から覚めた生き物のように、世界のすべてが新鮮に感じられる。


 その時、遠くの方で森が終わっているのが見えてくる。そこには、また新たな驚きが待っていた。


「ん……? あれは……?」


 遠くに小さな集落が目に入る。ポツポツと三角屋根の家が建ち、その周りには広々とした畑が広がっている。目を凝らせば、小さな点のように見える誰かが畑仕事をしているのが分かった。その光景は、彼の心に不思議な温かさを呼び起こす。


「あれは……人間?」


 なぜかその言葉が、彼の中に懐かしさと共に浮かんできた。


 汗水たらしながら必死にクワを振るう一人の男。そして、その脇には小さな女の子が見える。二人の姿に、彼は言いようのない親近感を覚えた。その光景は、彼の中に眠る何かを強く呼び覚ますようだった。


 好奇心が抑えられなくなった彼は、高度を下げていく。あの人間たちに、自分の失われた記憶を解く鍵があるような気がしたのだ。


 ただ、こんな漆黒の身体では驚かせてしまうかもしれない。彼は慎重に、姿を見せずに観察することにした。


 村の脇に立つ大きな樫の木に静かに降りた彼は、その枝葉に身を隠しながら、女の子と男の様子を観察してみる。


 さんさんと陽の光の降り注ぐ畑で、男は黙々とクワを振るう。その隣では、小さな女の子が懸命に野菜の手入れをしている。時折、大きすぎる麦わら帽子が目元までずり落ちるのを、小さな手で直しながら。


「リリー、休んでいいよ」


 父親が汗を拭きながら優しく声をかける。


「ううん、まだ大丈夫!」


 リリーと呼ばれた少女は元気に答え、再び作業に没頭していった。


 その健気な様子に、木の上で観察していた彼は心を打たれ、その幼い手の巧みな作業風景にしばらく見とれてしまう。家族を思いやる芯の通った強い気持ち、幼いながらに実に立派だった。


 やがて太陽が高く昇り、昼休みの時間がやってくる。リリーは小さな子犬と遊び始めた。その様子は、まるで太陽の光のように、見る者の心を温かく包み込む。


「フク、ボール取ってきて!」


 リリーは嬉しそうにほほ笑みながら、フクと呼んだ子犬に赤いボールを投げた。その笑顔には、畑仕事の疲れなど微塵も感じられない。


 茶色の子犬・フクが、尻尾を振りながら一生懸命に走ってボールを追いかける。時折転びそうになりながらも、必死にボールに食らいつく。くわえて戻ってくると、リリーの足元でクルクルと回り、また投げてほしそうに愛らしい瞳で見上げた。


「上手、フク! もう一回ね。でも、これで最後だよ。お昼ご飯の時間だから」


 リリーは優しくフクの頭を撫でる。フクは嬉しそうに鳴きながら、リリーの手に顔をすりよせる。


 リリーと子犬の間に流れる温かな空気に、彼は言いようのない感動を覚えた。生き物同士がこれほど親密に、無条件に心を通わせることを、彼は初めて目にしたような気がした。


 畑仕事を終えた父親が近づいてくる。


「リリー、フク、お昼ごはんだよ」


「はーい!」


 リリーは元気よく返事をし、フクを抱き上げる。


「フクも一緒にご飯食べようね」


 家族が寄り添って家路につく姿を見て、彼の心に不思議な波紋が広がる。それは温かさであり、同時に切なさでもあった。自分はなぜ独りなのだろうか? いつかは、こんな絆を持つことができるのだろうか? 自分の生きるべき道はこういう温かな絆、ここにあるのではないだろうか?


 彼はこれからの生きていく指針を見つけた思いがして、心に新たな灯りが点ったのだった。


 それから一週間ほど、彼は木の上から村を観察し続けた。朝は鶏の鳴き声で始まり、人々は畑仕事や家事、狩りに出かけたり、時には村はずれの広場に集まって和やかに談笑している。夜になれば家族で食卓を囲み、子供たちは星空の下で楽しそうに遊ぶ。


 彼は驚きと感動の連続だった。


「人間たちは実に様々なことをするものだな……そして、なんて素晴らしいんだろう」


 特に、リリーの姿が彼の目に、そして心に焼き付いていった。朝から夕方まで両親の手伝いをし、休憩時間には友達と遊んだり、子犬のフクの世話をしたりする。常に笑顔を絶やさず、周りの人々を明るくする彼女の存在に、彼はどんどん惹かれていった。それはまるで、小さな太陽のようだったのだ。


「あの子と仲良くなりたい……私にも、そんなことができるだろうか?」


 そんな憧れの思いを抱きながら観察を続けていたある日のこと。突如として、村の平和な空気が一変した。


 遠くから、不吉な響きを立てて何かが近づいてくる。地面が微かに震え、鳥たちが慌てて飛び立つ。空気が重く、冷たくなったような気がした。


「あれは……」


 彼の赤い瞳が、地平線の彼方に現れた黒い集団を捉えた。漆黒の鎧に身を包んだ巨大な人型の魔物を先頭に、無数の魔物たちが押し寄せてくる。その姿は、まるで暗黒の津波のようだった。


 村人たちの間に動揺が走る。「魔王軍だ!」「逃げろ!」 恐怖の叫び声が村中に響き渡る。


 リリーは慌てて家に駆け込み、フクを抱きしめている。彼女の瞳に浮かぶ恐怖の色に、彼の心が痛んだ。


 彼の中で、カチリと何かが音を立てた。今まで抑えていた衝動が、堰を切ったように一気に溢れ出す。


「守らねば……私が守らなければ!」


 その一心で、彼は初めて人々の前に姿を現すことを決意した。巨大な影が樫の木から滑り降り、村の入口に立つ。


 その姿は光を吸収し、赤く光る無数の目が魔王軍を捉えている。彼の存在そのものが、暗黒の壁のように村の前に立ちはだかった。


 村人たちは彼の姿を見て驚愕したが、彼は迷うことなく魔物たちに向かって進んでいった。記憶はなくとも、彼の心には新たな使命が芽生えていた。この村を、そしてリリーたちを守ること。たとえ自分が何者かわからなくても、守るべきものははっきりしていた。


 名前も過去も分からぬまま、しかし確かな意志を胸に、彼は新たな第一歩を踏み出したのだった。光を飲み込む影の巨人が、今、光の側に立つ。その不思議な光景が、運命の幕開けを告げていた。


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