紫薔の暴君

黒薔薇王子

第1話 表の顔という外側



紫薔の暴君


 ダトリカ帝国一の商家、グランクト家夫人が死んだ。その夫ハウェルに妻の病名が伝えられてから一週間と少しした頃だった。


 ハウェル=グランクト=ユガルクは大人の娯楽場と呼ばれる帝国の黄金の家と呼ばれる家の一人息子。彼が築いた富は計り知れない。


 鴉の濡羽色の艶めいた髪を後ろになでつけ、うなじをまるで尾羽根のように飾り立てる社交場での彼のスタイルは、数多くの婦人の心を蕩(とろ)かした。


 そんな彼を射止めたのは、由緒正しきメッサリア家の隠し令嬢。その病弱さ故に存在を秘匿されていた長女だった。


 ぽっと出の女に美丈夫を奪われた貴族令嬢たちはありもしない噂をささやく。名家とは名ばかりのメッサリアは今では落ち目、その噂が止んだのはある活動が国中に知れ渡ったからだ。


 ダトリカ帝国は快楽と享楽を貪るような娯楽施設が多い。経済格差は底知れず、道一本外れた先は地獄であった。そこに住む物乞いたちや孤児に未来ある支援を施した人物こそがクランクト夫人、コルネリアである。


 その場限りでない、いずれ自分の力で生活を掴めるよう生きる術を教えた彼女の姿は聖母のような美しさと戦士のような凛々しさがあったと、その場にいた者は語る。箱入り娘と思われたコルネリアは、生の強さに満ち溢れ輝いていた。


 ハウェルは妻、コルネリアの業績を持ってゲイブドの巫女が住まう聖域オラティオに向かった、レコルドルの聖歌に加えてもらうために。聖歌に加えて貰った者は永久に名前を紡いでもらう栄光にあやかれる。身内に紡いでもらう者が出れば、借金の肩代わりに貰った公爵位よりもよほど映える肩書き―レコルドルに名前に加えることが許される許可―を与えられる。


 その事実は成長する魚の如く尾びれ背びれをつけて、コルネリアを妻に貰う前からあったハウェルの悪名を知るものにとっては誘惑の香りを、コルネリアを慕う者たちにとってはしかめっ面になるほどの醜悪さを放ちながら国中を駆け巡った。


「コルネリア=グランクト=ユガルク、私たちの手が回らなかった者たちの救済をした誇り高き女性です。正に後世に紡ぐ者として相応しい。ですが、この名誉があの金の亡者の商売のための駆け引き道具として使われるのは腹立たしいですね」


 聖域オラティオに住まう巫女の一人が一際衣装が豪華な老齢の女性に書類を渡す。振り向いた老齢の女性は書類を見て、聖歌に追加されれば、音楽に合わせて紡がれる横書きの名前を指先で撫でた。


「私が直接確かめましょう」


「巫女長様!でも他にも検討すべき方たちがっ」


「私ももう年です、いつまでも私に頼るわけにもいかないでしょう。貴方はもう見極める目を持っていると、私は信じています」


「巫女長様…」




 ハウェル=グランクトはある計画を立てていた。空中庭園、紫の薔薇が咲き乱れる縦長の円形状の庭園の設計図を睨む。

 紫水晶アメシストを薄く伸ばして加工したような薔薇は、ある特定の島の土でしか咲かない。当然高価なそれを何株も植えて、更に管理するには膨大な手続きなど面倒くさいものがある。


 勿論、金も貴族ですら苦しいほどの額になる。しかし、莫大な資産を持つハウェルにとって、金は問題ではなかった。睨む理由は交渉が上手くいかないせいだ。庭園を埋め尽くすには最低でも三百株必要で、元々株単位で売買してない島民たちにとっては金貨を積まれても簡単に頷けるものではなかった。


 亡き妻の葬儀が始まる前に、庭園の話をつける、それは彼の頭の中で決定事項であった。故に、思考を邪魔することは許されない。例外があるとすれば現在携わっている商売、もしくはコルネリアに関することだ。


 扉をノックする音が静かな部屋に響く。


「旦那様、オラティオの巫女長が旦那様と話したいと申しております」


「通せ」


「お目通り叶い大変うれしく思います。ハウェル様」


 傲慢な男、ハウェルは書類から目を離さず。声をかけられて初めて顔を上げた。

 目の前にいたのは身を飾り立てた老齢の女性。意志の強い目は巫女特有の灰色がかったアイスブルー、白布で額から目元以外を覆い隠しており布の上から頭と口元を宝石で加工した飾りを身につけている。


 青い宝石を細い細い輪っか状に加工し、半円を形作るそれで頭と口元を飾るのは巫女のみが許されること。聖者の名を紡ぐ口元を汚さぬためであり、女神が祝福を授けるため口づけた口と額を守るためである。


 いたって常識的な知識だが使うことはぼぼないそれを頭から引っ張り出し、巫女長特有の制服であることを確認するとハウェルはようやくペンを置いた。


「巫女長、自らがどうしてここにおられる。てっきりコルネリアがレコルドルの聖歌に相応しいか審議しているかと」


「審議の結果、私が直接判断した方がいいという結論が出たのです。コルネリア夫人の功績は認めています。問題は貴方です。貴方の駆け引き道具に使われるのではないかと懸念しているのですよ」


「ハッ、肩書きになるんだ。使わない奴らが出ないわけないだろう。それに今までにだっているじゃないか。何で俺一人だけが問題視されなければならん」


 光沢を放つセピア色の机に肘ついて組む両手は歪んだ口元を隠しているが、目が現在の機嫌を充分物語っている。


「私たちだって分かっていて認証してます。けど、申請時からここまであからさまなのは貴方が初めてですよ」


「それで俺は巫女長サマに?何をすればいいんだ?」


 それには答えず、ゆっくりとした足取りで机に近づく。


「次の商売についてかしら。随分と素敵な絵」


 ハウェルは設計図を見られたことに関しては咎めず、寧ろ広げて説明し始める。


「コルネリアの墓だ。俺の妻でグランクトの夫人だ、これくらいするのは普通だろう」


「グランクト家とあなた自身の威厳のため?」


「そうだと言ったら巫女長サマはコルネリアの聖歌への追加を却下するのか?」


「そうだと言ったら涙ながらの演説が聞けるのかしら。氷の鴉から公爵になったハウェル様に…」


 愉快そうに笑う巫女長はそのまま踵を返し、扉に向かった。


「明日、もう一度こちらに参ります。コルネリア夫人の話、私も無下にしたくありませんから。だから、このお墓作りに私も協力しますわ。貴方自身が聖人めいた逸話を持つのもよろしいんじゃなくて?」


 そう言って自分から扉を開けて退出していった彼女の後を少し見つめた後、書類に目をおとして思考に入る。

 葬儀は二週間後、せめて話だけでも付けておきたい。


ハウェルが葬儀に必要な物としたのは、空中庭園、長手袋、棺、その他諸々だがほとんどは既に手配済みであり、残すはこの空中庭園のみなのだ。巫女長ならば役に立つかと、早速翌日の段取り決めに頭を切り替える。


(あるべきものは、然るべき所にあるべきだ)


 

 巫女長、マギニトが住まう聖域オラティオには、飾りは無しの額から口元だけを出す布だけ被った状態の巫女たちも住んでいる。全員、女性であり男性は緊急時、もしくは許可された日の日中の時だけ出入りすることができる。


 女性は宿す力をもつ者で、夜は生と死を司る月の所属に入るため男性はその間、入ることは禁じられているのだ。巫女になる女性は、自身が持つ宿す力を魔力の開花と維持に回すため、男性との交際、性行為等を禁じられる。


 合格した志願者は儀式により、月の女神から接吻をその唇と額に受ける。唇に受ける接吻はこれから聖者の名を紡ぐ唇を清めるため、額への接吻は魔力を授けるためだ。そのため巫女は皆、額に祝福を受けた証となる印がある。

 当然、マギニトも持っており、決まり通り一日の終わりに額の印に香を塗って清めていた。


「巫女長様、ハウェル=グランクトはどんな様子でしたか?」


 先日、マギニトの元にやってきた巫女が心配そうに伺う。


「傲慢と言われているのが納得な態度でした」


 疲労の様子はなく、静かに思い出し笑いをする巫女長だったが、巫女にとっては憤慨ものだ。


「やはりっ!巫女長様、もう少し香油を持ってまいります。念入りに清めておきましょう。ただでさえ、殿方にお会いしたのですから」


「その物言いは止めなさい」


 それまでの祖母のような口調と雰囲気が一変し、強い意思の通った目でさっと向き直る。


「殿方を汚れと認識してはならない。ここに入る前にそう言ったのを忘れましたか。巫女は自身より他者のために生きる、その実践のために最も良い方法を選んだ結果、殿方との接触を減らすのが一番となっただけです。本来なら殿方と交わり、子を産み育てる事に適した身体を律して強く生きるには、徹底して力を内に向けなければならないのです」


「はい、申し訳ございません」


 すっかり萎縮してしまった巫女は消沈した様子。マギニトは反省した彼女の肩に手を置き、今度は慰めに入る。


「この世に汚れた人間など誰一人もいません。レコルドルの歌で紡がれる聖者は特別視された者、私もハウェル=グランクトも、全て尊い命です。そして貴方も」

「巫女長様」


「さ、貴方も清めて寝なさい」


「はいっ」


 巫女長の言葉で自信を取り戻した巫女は涙目だが元気よく返事をして自室に戻っていった。


 マギニトはハウェルの元に向かう道中、聞いた親子の会話を思い出す。


「女神様のお許しなく力を持った魔女は怖い所に行ってしまうのよ」


 雑念渦巻く心を無理やり沈めたマギニトはそのまま就寝の準備に戻った。


 翌日、ハウェルは不満顔に腕組みして馬車の前でマギニトを待っていた。


「あら、ハウェル様自らの出迎えなんて光栄ですこと」


「巫女長サマに何かあったら大変だからな」


 使用人が開けた馬車のドアの先をハウェルが顎でくいっと指して先に入るよう促す。


「ありがとうございます」


 馬車から船に乗り継いで向かったのはラグイッタ島、花弁一枚、一枚が紫水晶アメシストのごとく咲き乱れる光景が見られるのは現状ここだけだ。


「申し訳ございません、老体のためにここまでして頂いて」


 長時間の船旅にも関わらず疲れた様子もなく爽やかな顔をしているマギニト。ハウェルの手配した船には高齢者用の家具や物品が揃えられていた。


 現地を少しだけ見回った後、昼食の時間に入った二人は港が上から見回せる二階の店、日陰用の布が張られたテラス席でサンドイッチやスコーンなど片手で飲食できるもので腹を満たしていた。事前に二階を貸し切ったのかハウェルとマギニトの席の周りにはハウェルが連れて来た部下も一緒に食事を摂っている。


「屋敷や社交場では、その場に残す部下は最低限だと聞いたのだけれど」


「お前の代になってから運営が政治じみてきたという情報は本当みたいだな」


 互いに調査済みと認識した彼らの間に火花が散っているのを感じたのか、部下たちの間にも緊張感が走る。ハウェルが興味を失せたような顔して手にある書類に目線を戻すと、部下たちもまた視線をマギニトから逸らした。


「今回の商談用かしら」


「この島はヴェリタスを販売した時の収入で運営できているようなものだ。高慢な王侯貴族共が多いイングレア王国に属しているにも関わらず、花と売上の一部を献上することで争いに巻き込まれることはほぼなかった」


 ハウェルの言う通り、イングレア王国は他国に比べて歴史があり強国の中でも上位に位置していた。その時代を生きてきた貴族たちは強者としての自負とプライドがあり、その態度のせいで他国や他貴族との衝突が多かった。それに巻き込まれそうになる度にラグイッタ島は金を差し出し、普段から貴重な花を行事の度に献上することで王家から目をかけてもらっていた。


「だからほとんど手つかず、なのに観光地にはなれなかった」


 マギニトが次の言葉を引き継ぐように話し始める。ハウェルの手元には持っている書類と似たような書類の束がある。マギニト用のものと思われたが、渡す気は今のところ感じない。マギニトが理解したのを確かめてから渡すのだろう。


「イングレアの人間からは田舎とされ、他国もそれほど荒れ果てているわけでもないからわざわざ行くほどでもない。そもそも花の盗難や栽培環境の汚染を防ぐために、行く手配をするにも面倒な手続きがあったり人数を制限している」


 今日ここに来るためにその面倒な手続きをやったのだろう遠い目をするハウェル。


「時代と共に争いは減ったけど、島民はお金の献上をめることはできなかった。無言の圧力はいつの時代も変わらない恐ろしいものです」


「戦争に参加しない、しなかった代わりに国や周辺貴族からの協力はほぼ見込めない。だから花がどんなに高価でも島の発展は…」


 そう言って顔だけを外の方へ向ける。マギニトもハウェルの視線を追って下の港を行き交う人々を見る。服は一昔前、港と言っても地元の漁業のためのもので他国や他の地方からの船が泊まることはほぼない。


「古い習慣にしきたりのせいで若者が離れることも増えているそうね」


「あぁ、流石に島だけで完結できる暮らしも厳しくなってるだろうからな。たまにやってくる船員や観光客と会えば、嫌でも進んだ文化を目にする。そして憧れと共に危機感を覚えた人間が島を出ることによって職を受け継ぐ者が減る。ヴェリタスの栽培をする人間もな」


「そこまで把握しておられるなんて、今回は上手くいきそうですわね」


 言外に苦労している理由はなんだと問われたハウェルのわざと大きくついたため息が店内に零れる。


「墓用の空中庭園とは名ばかりで新たな栽培場や観光地を作る気とだと疑われている。株だけなく土やここの職人も必要だからその分の金も後継者の人間もこちらで用意すると言ったが断られた」


 上手くいかなかった商談だが大して響いてないのか淡々と事実を並べる。

するとようやく書類の束をマギニトの方に差し出した。マギニトは書類を受け取り、目を通し始める。内容自体は二人が話していたものも載っていた。後ろの方には仮の契約書もある。


「お前ならこの契約に何を付け足す?」


「私が提案してもよろしいので?」


「そうでなければ、ここに連れて来た意味がない」


「なぜヴェリタスの花である必要があるの?」


 紅茶を飲んで一息ついたマギニトが微笑んでそう切り出す。それを聞かれたハウェルは、また大きなため息を煩わしいと言わんばかりにつく。


 部下たちは表情を変えないが、遠回しな言い方なようで直接相手の腹をまさぐるような探り合いをしている二人の会話に聞き耳を立てている。それは、何も護衛のためだけでなく好奇心も含まれている。本来なら褒められる行為ではないと理解している彼らがとったその行動は、コルネリアという人物の影響力を今尚示しているようでもあった。


「コルネリアは倒れる前日、日記を購入していた。そこに紫の薔薇を今度は抱えきれないくらい欲しいと書いてあった」


「今度は?」


 以前にもコルネリアにヴェリタスの花を渡したのか興味を持つマギニトの視線を察したハウェル。


「ラグイッタ島には、まだ手を付けていなかったからな。試しに購入してみた。だが、そもそも」


「そもそも、何かしら」


「何でもない」


 目ざとく目を光らせて言葉に食いつくマギニトをあしらう。


「空中庭園の設計図を見させて頂いた時に思いついたのだけど、空中庭園を私が所属するオラティオの聖域の一部にするというのはどうでしょうか?」


「つづけろ」


 マギニトの言葉に凍り付いたのはハウェルの部下だけで当の本人に気にする様子はない。


「確かに資金はだいぶかかっているけど、権威を主張するような派手さはない。寧ろ荘厳さを持っているように見えました。正に聖域に相応しいと思います」


 しおらしく敬語を使っているのが、逆にハウェルを挑発しようとしているようにしか聞こえないのが部下たちの本音だ。


「こういう閉鎖的な場所では、実績に弱い人が多くて一度信じたらとことんついてく人がほとんどです。しかし、申し訳ございませんがハウェル様のここでの知名度は恐らく無いに等しいでしょう」


「だろうな。島の役人でさえ周辺貴族の名すら碌に知らん奴がほとんどだ。だが巫女長サマのことなら当然、知っておられるだろうな」


「えぇ、勿論。過去にこの島出身の方を聖歌に加えさせて頂いたことがありましたので」


「それで?巫女長の中ではもう役の割り振りはできているのだろう?俺の役名はなんだ?」


「守番なんてどうでしょうか?」


「…明日の朝九時、ここに集合」


 話はしまいだとばかりに席を立つ。歩き出したハウェルの後ろを部下たちがついてく中、ニ人の青年がマギニトの側で足を止める。


「巫女長様、こちらの店の三階が宿になっておりまして部屋を、恐れながらご予約させていただきました。男性従業員が少なく、女性にとって一番安心していただける場所かと」


 腰をかがめてうやうやしく宿の予約券をマギニトに渡した青年はにこやかな笑みを浮かべている。一緒に立ち止まった青年は直立姿勢のままだ。


「まぁ、ありがとう。感謝致します」


「お荷物の方は僭越ながら先にお部屋の方に運ばせていただきました。何か重い物や用事がありましたら彼が担当致しますので、お見知りおきを」


「もしもの時はよろしくお願いします」


 直立姿勢の男の表情は、券を差し出した男と違い無愛想に見える。


「お任せください」


「それではご入り用になりましたら宿からこちらの番号におかけください」


 にこやかな男が券と同じくらいの大きさの番号が書かれた紙を差し出す。


「確かに受け取りました」


「部屋へのご案内は従業員の方が担当されますので、我々はここで失礼させていただきます」


 軽く頭を下げるマギニトと奥に控えている女が姿を現したのを確認すると、二人は再びお辞儀をしてその場を去った。


 案内された部屋のベッドで身を落ち着かせたマギニトは券と電話番号の紙にまた視線をやる。


「何が目的なのか確かめさせてもらうわね」





「何が目的か確かめさせてもらう」


 着いた宿で予備の書類に書き込みをし始めるハウェル。


「ただいま戻りました、ハウェル様」


 少しのズレもなく揃った二人の挨拶に特に驚きも見せず、視線だけを一瞬よこしたハウェルはまた手の動きを再開した。


「よろしかったので?」


「何がだ」


「ここまで連れて来て、例え奥様の名が聖歌に追加されたとしても接待と言われるやも」


「噂なんぞいつものことだろう」


 質問を投げかけてきたのは先ほどまでマギニトに笑顔で接していた青年だ。そハウェルほどではない冷え冷えとした態度に、先程から隣りにいた青年は驚く様子を見せない。


「そうですが、巫女長とはいえ聞く必要があるのかと。それに彼女は…」


「この際、巫女だろうが何だろが利用させてもらう」


「…承知いたしました」


 複雑そうな顔で頭を下げる男にならい、無愛想な男も綺麗な礼をする。


 コルネリアの生前、彼女の動向を観察していた人間がいた。だが監視の仕方は素人、報告も人目を避けた路地にこそ入っているが暗号も無い長い会話。容易に聞き取れた会話はコルネリアの様子を話していただけだった。


 コルネリアの周りの使用人たちは当然、監視人も雇い主の人間も調べ上げた。

隠す気がないのか、本当に様子を知りたかっただけなのか容易に情報を掴めた。監視人は全員、屋敷付近に勤務地がある労働者でそれぞれ隙間時間に監視を命じられた者だった。


 雇い主も同じように、それどころか報告している様子を見た瞬間から正体は分かっていた。しかし当初、あまりにも隠す気のないその様子から、誰かが巫女の服を着て誤魔化そうとしてる可能性も考えた。だが結果、雇い主は本当にゲイブドの巫女であった。このことを巫女長であるマギニトが知らないはずがない。


「予定通り明日、巫女長も同席してもらう。その間にまたマギニトを調べておけ、隠す気はなかったとはいえ、煩わしかったのは事実だ。今度は巫女以前のことも念入りにな、お前が俺に隠した情報も今度は全部報告しろ、分かったなイラ、ウイデオ」


「はっ、承知いたしました」


 再び揃った二人の返事の中、やけに大きく聞こえた無愛想な方の男、ウイデオの声。今度は彼を先頭に退出していく。人気(ひとけ)のない所まで移動すると、イラはウイデオに向けた目をゆっくり吊り上げる。


「ウイデオ、先ほどの無駄に張り上げた声はなんだい?」


「イラ、お前こそ報告を全てしなかったのはどういう事だ?何のために俺を見張りに出させた?」


 薄い体つきに色素の薄い茶髪のにこやかなイラ、焦げ茶の髪に浅黒い大柄の一見無愛想なウイデオ。二人はコルネリア付きの使用人だった。監視に真っ先に気づき、調査も率先して行った。


「だって奥様は…」


「報告すべきだった、包み隠さず、全て。お前は結局奥様を信用しなかったのだな」


「君は信じていたとでも?」


「俺は見ていただけだ」


 それ以上何も言う気はないという雰囲気を出してイラの目の前から離れていくウイデオに子供っぽく拗ねたような視線を投げつけるイラ。


「よく言うよこの秘密主義」


 翌日の朝九時、先日会った場所でマギニトと合流したハウェルたちは再び移動し、ヴェリタスの花を管理する職人たちの職場に着いた。


 通された部屋はそれなりに良い調度品が置かれた応接室だが、かなり前にとりあえずで買った物なのか、傷んでいる箇所が見受けられる。


 ハウェルたちを案内した女が紅茶をトレーにのせて戻ってきた。後ろから遅れて入ってきたぶっきらぼうで昔懐かしい職人質な空気を漂わせた男と気弱そうな男、二人が並んでどっしりとソファーに座る。


 女が退室すると、ヴェリタスの花を育てている職人たちとの交渉が始まった。




「金の問題じゃねぇっつってんだろ!懲りねぇな、あんたも!!」


 始まって十分、交渉は難航していた。最もその原因は相手の話術が上だからというよりかは話にならない、に意味合いは近くなる。


「そんなことは分かっている。だがお前たちは俺の出した条件に魅力を感じた。だから二回目の、今日の話し合いに応じたんだろう」


「ッちぃっ!」


 図星を突かれたのが余程嫌だったのか大きい舌打ちをつくが、ハウェルは意に介さず話を続ける。


「問題は俺を信用できないことか?お前たちだってこれが本物がどうか調べる手段はあるだろうが」


 書類をトントンと叩くハウェルの黄金色の目は挑発的だ。


「後継者が欲しいんだろう?」


「確かに後継者は欲しいがな、育てるのに時間がどのくらいかかると思ってんのよ」


 はぁと大げさなため息をついた職人、オーリムの横でハラハラした様子を見せている気弱そうな男、コルニは何か言いかけては口を閉じている。


「だから俺は最初に金を主役とした条件を提示したんだ。お前たちは後継者が見つからない本当の理由を見ようとしていない」


「何が見ようとしていないだっ!お前を見ていりゃ嫌でも分からぁ!お前はやり手の商人かもしれんがなぁ」


 ハウェルを乱暴に指差して自分の膝を叩く。乾いた音が響くがそれに動じるのは職人オーリムの隣の職人たちの相談役コルニだけだ。


「てめぇみたいななよっちぃ奴がどこかしもでも増えやがって根性がねぇ!!お前ダトリカのモンだろ?!ダトリカだってこんっなめんどくせぇ話をなぁっ、ちまっちまやってるやつぁいなかった!」


 言い切るやいなや膝に置いた手をもう片手と共に腰に置く。


「こう、でんと構えて一本勝負!!ダメなら熱意が伝わるまで何度も何度も頭を下げる、それこそが男だろうがっ!!そんなこともできねぇ、もやしにやる物なんざ一つもねぇっ!!」


 本人は高らかな勝利宣言のつもりなんだろう。だがハウェルは臆さない、それどころかやっと終わったかというような表情を隠しもしない。


「それが通用する時代はとうに終わっている。今のお前たちはお前たちが憎んだ、戦時前楽観視して腰を上げなかった老人共と同じだ」


 わずかに眉をぴくりと動かすハウェルの部下たちをマギニトは見逃さなかった。背後ではなく、念のためにと横に控えた彼らの様子を観察していたマギニトは、これがいつものハウェルのやり方ではないと感じ取った。


「っんだとぉ! てめぇ!!」


 我慢ならないとハウェルに殴り掛かろうとする男を咄嗟にコルニとハウェルの部下が押さえつける。


「お前たちは歴史を知っている、持っている」


 静かな声だった。荒れ狂う波に投げられたのは小石に思えたが、それは重石のように深く深く沈んでいく。


「戦時前はお前たちの先祖が、戦争中はお前たちが島を守ったのは事実。だがお前たちは今でも剣を握り敵に向けているつもりか?今を生きている人間からしたらひたすら貢物をせっせと収めているだけだ」


「ヨソもんがぁ!!俺たちは先祖代々ィっ、俺たちヴェリタスの職人も島のモンも島を守ってきた戦士の誇りを受け継いでるんだよぉ!」


「受け継げるわけないだろう。俺も含めてだが、最早戦争を知らない人間が圧倒的に多く、そんな人間たちが今は社会を回している。血を流す争い、島への危機だけが消えて過去の習慣だけが残った現状で何が伝わる?」


 いつ戦火の渦中に放り出されるか予測できない危機感から職人たち含めて島の初老過ぎた人たちは抜け出せずにいた。ある意味、これも戦争が生み出した影なのだろう。


「どれだけ過去の偉業があったとしても、それに価値ありと信を置くのは、納得できるだけの今の姿を見た時だ。実際、俺の格好と部下たちを見て大して知りもしない俺との島の生命線ともいえる花の販売の話にのろうとした」


 言い当てられ、先ほどまでの勢いが急にしぼんだようになくなる。

 そこらの商人であれば株が欲しいと言い出した時点で追い返していた彼らが前回、話を最後まで聞いたのはハウェルの服が分かりやすく高そうな見た目で部下たちの礼儀正しさ、統率具合から名のある商人だと判断したからだ。


「そしてこの二回目、お前らでも知っている巫女長の礼服をまとったマギニトを見て俺への信用度を上げた。もし俺がお前らの納得できる条件で出していたらすぐ飛びついただろうな」


 一旦、言葉を切って足を組み、三本指をたてる。


「人が人の話を信じ込む、或いは説得力ありと判断する要素は金、地位、名誉。お前らにはどれもない。ヴェリタスの売上はかなりのもの、しかし大半は村の運営費に消える、金の要素が消えた」


 伸ばした三本の指の一本が折りたたまれる。

 職人たちの給料は、労働量の割に他の職業と比べて特別高くない。それがいまいち、他の人からの憧れといった気持ちを誘えないのだ。


「二つ目、島でのお前たち花の管理者たちの発言権は確かに高い。酒等、一部の店の商品の減額もヴェリタスの管理人は許されている。まぁ、かなり限定されているしほとんどが嗜好品で恩恵は少ないな」


 二つ目の指が折りたたまれる。


「かつて英雄や偉人たちは功績を上げたことで税の免除をされた実例がいくつかあるから、そういう事自体は悪い事でも珍しいことでもなんでもないのだけれど…」


 昨日マギニトを外のテラス席に呼んだのは宿に近かったのとは別の理由があった。外の光景を見せるためだ。ハウェルたちがいた席からは職人たち含めて島を回してる大人たちの様子がよく見える。


「それ自体は全く悪い事でも何でもない。けどね、豪快と傲慢は違う。彼らは全員が全員、人から好かれる性格ではなかったけど他者を引っ張る力を持っていた。広い視野と思慮を絶やさずいた、貴方たちには申し訳ありませんがそういう要素は見られませんでした」


 マギニトがあの時に見た光景、島の重役たちや男たちの日常。

 飲んだくれて横柄な態度で店員にあたる男たち。慎重にと言う口で雑な説明と粗暴な言葉遣いでの商品の引き渡し。不審者でも見るような目で島への入港者の検査をする者。


 彼らの元で働く若者たちは、しごかれながらついていこうとする者もいれば、沈んだ顔でうんざりとした空気を漂わせている者もいた。


 島全体で大人たちと若者たちの距離感が離れていっている。

 これは閉鎖的な空間で肥大した男たちの職人気質だけの問題ではなく、家庭を守り支えている女たちにも原因があった。この島の人間は同じような人生を同じように辿っている。外では男たちが、家では女たちが同調圧力をかけている。


 だが今の大人たちが若者だった時より情報が手に入りやすくなっている。今の若者は頭を使って大人たちからの圧力から逃れる術を持っている。島からの若者離れは深刻化、ほとんどの職で後継者問題が出ており、それに危機感を抱くも努力は空回り。余計大人が荒れて若者が逃げるという悪循環が発生している。


「荒れるのも仕方ないとは思いますが、子供や周辺の若い方にとってはあまり良いものではないんでしょうね」


「職人気質っつーんだよ」


 流石に巫女長であるマギニト相手にそこまで強く出れないのか声だけは落ち着いている。


「名誉、特に金も無ければ島での発言権が高いだけ。職人気質といえば聞こえはいいが、どう見られているかは現状が何よりも物語っているだろう。俺が出している契約内容だって悪い話じゃないと分かっているだろうに、その態度では普段の商談での様子も察せられる」


 伸ばしていた最後の指を折りたたむと同時に握りこぶしになった手を下ろす。


(それをあなたが言うのね)


「てめぇはっ、年上への敬意もねぇのかっ!それが花を譲って欲しい奴の態度かっ!!」


 途端に唾を吐き散らかしながら吠えるオーリムを冷めた目で見るハウェルは息を吐きながら背もたれにぼすんと背中を預けた。


いまを見ても理解できない連中を言葉遣いでどうこうできるとは思っていない。本題に戻そう、巫女長を連れて来た理由だ」


 ここではじめてハウェルの部下たちの間に緊張感が走る。


「俺はコルネリアの墓、空中庭園をオラティオの聖域とすることにした」


 マギニトは内心、部下たちと同じように驚いていた。ハウェルがそこまで執着しているとは思わなかったのだ。


「聖域に…」


 予想だにしない事だったのか動揺している職人たち、ただそれがどう関係するかは分からず困惑以外の感情は何も出てきそうになかった。


「我々の懸念事項を解決してくださるということでしょうか」


 全員、声の主に注目する。今まで激昂する職人を止める役しかしていなかった気弱な男、コルニがハンカチーフで汗を拭きながらハウェルの顔色を伺っている。


「そうだ」


 コルニはニヤリとした笑みをつくるハウェルを見て安心そうな顔を見せた。


「俺が思った通り、お前が一番できるな。ではコルニ殿、お前たちが気にしているのは俺がヴェリタスの花を商売に使うかもしれないということだろう。花の扱いに関しては口を出せても空中庭園、墓に関しては権利は俺側にあるからな」


「えー、はい、ただの空中庭園ならまだしも墓は故人とご家族のためのものです。あまり口出しすると外聞が…」


 気弱な男、コルニはコルネリアについてもハウェルについても調べていた。

 コルニのハウェルの印象は強引で手段を選ばない男。他人を気にしない割に人の欲求に刺さる商売をする。悪い噂も違法な手段を使っているというものではなく性格に関してばかりだった。


「俺が空中庭園を観光地のようにすると考えたんだな。ヴェリタスの花は高価だから購入する代わりに島へ訪れて見に来る人も少なくない。もし俺がコルネリアの墓を公開すれば、ヴェリタスの花見たさの人間が島ではなくコルネリアの墓を訪問するという名目で来るかもしれない。島への観光客が減る可能性がある」


「えぇ、観光客からの収入も多くはなくとも少なくもないんです。ですから流れるのは困るんですが、オラティオの聖域になるということは…」


 その言葉を待っていたかのようにマギニトが体の向きをコルニの方に正す。


「権利のほとんどはこちらになりますので当然、入る者は厳選させていただきます。入館料などをとることも勿論致しません」


「ですがそれでしたらハウェル様は…」


 コルニの声と視線が迷子のように彷徨う。


「俺は庭の守番だ。要するにお前たちが心配している事の権利は巫女長に握ってもらう。それ以外を俺が管理する」


 丸投げにも思える案にコルニは拍子抜けしていた。それは職人たちも同じでどう反応すればいいか困っている。


「何故、巫女長様がご協力なさるんでしょう?」


 オーリムは会話についていけないのか完全に大人しくなっており、おかげで空気が和らいだ部屋でコルニが最初からあった疑問を出す。


「実は私たちもある問題を抱えておりまして…別件で巫女の何人かがコルネリア様にお世話になったのでお礼をしにお伺いした時に空中庭園の話を聞かせて頂いてお互い、助け合うことにしました」


「はぁ」


 善人の顔をしてさらっと噓を吐くマギニトを心の中で嗤いながらハウェルが契約内容を補足する。


「空中庭園の維持に協力するなら資金援助もしよう。だが、今までのような運営の仕方は認めない、口を出すのは許すが俺の部下を通してもらう」


「はぁ?人を部外者みたいにっ!ヨソもんはそっちだろうがぁ!」


 ハウェルの言葉に激昂したオーリムが再び声を荒げながら立ち上がる。


「ほう、今までの運営の仕方が間違っていなかったと?金の問題だけだと思っているのか?」


 先ほどまでの言葉を全く聞いていなかったわけでもないらしい、言葉を詰まらせた。


「俺の部下を派遣するから運営はそいつと相談しろ。空中庭園までの交通は前回の条件通り、特殊な訓練が必要無い作業も部下を派遣するからこき使って構わん」


「なっなんで、そこまでっ」


 淡々と障害を片付けていくハウェルに流されつつあるオーリムが慌てて立ち上がる。


「長い付き合いになるから後継者育成に時間をかけられるよう手伝うと言っているんだ」


「実はハウェル様の奥様の名を聖歌に加えたいと考えているのですが少々問題がありまして、お恥ずかしながらみなを納得させるために功績が欲しいのです」


「それだけじゃないだろう」


 狙いがあると知った途端、オーリムが安堵した様子を見せるが、それもハウェルにかき消された。そしてその言葉が合図だったかのようにウイデオが列から一歩進み出た。


「失礼ながら聖域について少々調べさせていただきました。最近、巫女様方の間で意識問題があると伺いました」


 ウイデオの表情は相変わらず無に等しい、だが幾分昨日より声が柔らかいからか特に気にする者はいない。意識問題、それだけで何のことか分かったのだろう。ふっと一息つくような笑いをマギニトが零した。


「これが聖域が抱えている、ある問題のことなんですね」


 本来なら昨日、今日で調べられる事ではなかったが取っ掛かりはコルネリアが生きていた頃、そしてマギニトがハウェルの屋敷を訪問した日からイラたちが手をまわしていたおかげで容易に掴めた。


「ここ最近入る巫女様は男嫌いの気があるようです。あまり外界とは関わらない、ましてや男性との接触は避けている聖域ではあっという間に思想が広がる」


 聖域での規則は巫女として己を律する以外にも当時の社会事情もあった。巫女、今よりも男尊女卑の傾向が強かった時代に女性で構成された組織を動かすには、自立心を育てる必要があった。


 身内とその関係者による連れ戻しが多発。そのために、娘や妻の所有者であった男性に介入されない閉鎖的な仕組みが必要だったのだ。その暮らしは規則が設けられた時代からほぼ変わっていない。


 その間、外の世界は変わり続け、女という理由で理不尽な配置をしたり、あれこれ言えば顔をしかめられる時代になってきている。聖域に入る前から自己を確立している女性が増えてきたのだ。


「正直、社会はまだ女性にどう接すればいいか迷走している。昔の制度には、女性軽視以外にも身体をおもんばかったものも確かにあったのです。身体格差から埋めれないものは確かにあって、それも差別と言われるのは殿方が気の毒です」


 性加害、侮辱、威圧と捉えられる言動は年々増えている。女性を対等と見れる人間が増えた一方、男性を常に強者側とする意識は変わっていない。女性も男性へ危害を加えることができると一番信じていないのが改革の中の女性側だった。


「殿方の協力者をつくることで巫女たちの考えを改めます。できない事はできない、巫女たるもの甘ったれたことは許しません」


 社会は女性の要望に答え続けている、マギニトは歯止めをかけたかった。


 そこまで聞いたコルニは、ふーと息をついて顔を上げる。


「お話をお受けしたいと思っております」


「おいっ!」


 オーリムが反射的に嚙みつき、それに怯えつつもハウェルとの話を進めに入る。


「おい」


 コルニが無理やり流したそれに応じたのは、ハウェルの方だった。


「お前たちも転換期を知っているだろう。それが今、起こっている。いや、既にその先の時代を外の人間はとっくに歩み始めている。数十年前、現状を変えたお前たちが今度は邪魔するのか」


 商談が始まってから一番、真剣な目で言い放つ。


「!?…」


 職人の一瞬揺らいだ瞳に何が映っていたかは彼のみが知ること。



 約十日後、コルネリアの葬儀の打ち合わせには巫女長、マギニトの姿もあった。

 荘厳な教会にある白い棺、その中に眠るコルネリアは半袖の白いドレスに長手袋を着けさせられている。


 月女神の祝福をできるだけ多く受け入れられるよう女性には白い半袖ドレスを着せる風習がある。

 コルネリアもそれに習っているが、唯一違うのは長袖の手袋を着用していることだ。ただ彼女が長手袋を愛用していた事は生前関わりのある者なら知っているため、誰も不自然には思わない。


(全て用意した。あるべき姿になる、だが、何だこの違和感は)


 ハウェルの目的は完遂したも同然だった。空中庭園の建設自体はもう始まっている。庭師や職人たちの打ち合わせ準備も順調だ。


 打ち合わせが終わると雨が降り出した、天気を占う技術士を抱えている者は用意した傘で帰宅する。ハウェルも勿論備えていたため、叩きつけるような音の中へ歩き出そうとした。


「これで満足かしら」


 振り向くと同じく傘を差したマギニトが立っていた。いつも通りの笑みを浮かべている。


「聖域の門番の肩書きは、聖者の身内よりも上ですよ? もう、よろしいんじゃないのでしょうか?」


 マギニトが歩み寄りながら優しい、言い聞かせるような声で言った。


「足りないな。そもそも、俺が要求したのは聖者の身内の肩書きだ」


 コルネリアの名を聖歌に加えるとは言わず、正直に肩書きを要求したハウェルの口角は冷酷に弧を描いている。マギニトはそれに対して笑みを崩さずにため息をつく。


「死体にそんなに肩書きを付けたいの?」


 巫女長らしかぬ言い方に一瞬、眉を上げるハウェルだが驚愕より面白そうなものを見つけたという感じだ。


「お前こそどうしてそうこだわる。お優しい巫女長と言えど記者共を喜ばせる事までするとは思わなかったな」


 大人の遊び場としても知られるダトリカ帝国、基本は紳士淑女の振る舞いを求められるが、だからと言って下世話ともいえる噂話が嫌いというわけでもない。寧ろ、女ならば扇子で、男なら手で口元を隠してでもするくらい大好物だ。


「なぜ、長手袋を着けさせたの?」


 巫女長の私情による聖者追加の審議妨害の噂を流すという意味を含めた言葉には特に反応せず、話題を変えたマギニトに今度は苛立ちを見せるハウェル。


「いつも長袖の服か長手袋をしていたからだ」


「あら、思っていたよりご自身の妻を見ていたのね」


 互いにどこか余裕の無い二人、気がつけば周りから人はいなくなっていた。


「執着してるのは聖歌でも巫女の意識問題でもない、コルネリアだな。一体、どういう関係だ?」


 巫女たちがコルネリアのことを調査していた理由は未だ分かっていない。部下たちにマギニトの過去について調べさせても百年前までが限界だった。なら、それより前に関わりを持ったとハウェルは見ていた。巫女は人にもよるが、二百歳を超えた者もいる。


「私が何故、関係していると?世話していただいた巫女たちに報いるために尽力しているまでです。奥様とはそういう関係です」


「なら余計、なぜ聖歌への追加を拒もうとする。最初に言った通り、俺だけじゃなかっただろう肩書き目当ては」


「長手袋は貴方が着用させたと聞きました」


 また話題を変えたマギニトに、ハウェルは今度は形の良いい眉を歪めた。


「会話にならないな。今回が最後の仕事か巫女長サマ」


「貴方はコルネリアが魔女だと知っていたの?」


「…それがお前の目的か。だから審議を妨害するようなマネを」


 常人なら威圧感に身もすくむような冷ややかな視線が、零度を下回る冷気を放って鋭利な氷の如くマギニトに刺さる。だが、マギニトは臆する様子を見せない。それどころか何かを決意したような勇ましい今までで一番、人間らしい顔をしている。


「答えなさい、ハウェル=グランクト=ユガルク。貴方はコルネリアを愛していたの?」


 まさかの質問にハウェルは目を見開く。


「お前はコルネリアのなんだ?」


「コルネリアは私の姉、二百年前に私を救うためにメッサリア家に身を売った実の姉よ。答えなさい!貴方はお姉ちゃんを愛していたの?!」


 ハウェルの目の前にいたのは、遠い日から抑え込んでいた想いが爆発した感情剝き出しの声を張り上げた人物は、巫女を束ねる長寿の長ではなく、生き別れの姉を探す少女だった。


 雨脚は激しくなるばかりだった。

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