曇天とこしあん。
◯◯ちゃん
猫と世界。
綺麗な家がある。
門扉のまわりには季節の植物が。
夜になれば暖かい明かりが灯り住人を迎え入れてくれる。
そんな家で私は暮らしていた。
いびつな家とは誰も想像がつかないであろうこの家で。
どれだけ綺麗に梱包したって、どれだけ丁寧にのし紙を張りつけたって、中身が空っぽじゃ商品として成り立たない。
小さい頃から物覚えがよかった。
この子はできると周りから囃し立てられ、両親も満更でもなかったのだろう。
そのうち親戚までしゃしゃり出てきて、エリート街道まっしぐらの伯父には大きくなったら伯父の母校である、この地域では名の知れた名門高校・大学に進学するよねと言われる始末だった。
これが私の人生のレールだった。
母は私がテストでいい点を取ってきたり、通知表に並べられている先生からの賞賛の言葉を見たりする度に笑顔になった。
子どもにとって母親の笑顔は正義だ。少なくとも私にとってはそうだった。母が笑ってくれること、それが何よりのご褒美だったのだ。
反対に父は、テストの点数や通知表の評価が少しでも下がると厳しく𠮟責し、目の前でテストをビリビリに破られたこともあった。
私は母の笑顔が見たい、父に認められたい一心で努力した。
それはもう努力した。
次第にそれらは呪いへと変わっていった。
真っ直ぐにただ両親や親戚、私以外の誰かのために頑張っていたんだ。
そう気づいたのは綺麗に敷かれたはずのレールを逸れ、道も信号も何もない先が見えない無法地帯に放り出されたあとのことだった。
運動部が引退し、受験の色が濃くなり始めた頃、私はとても焦っていた。
私が所属する文化部は運動部に比べて引退が3ヶ月ほど遅い。
勉強しなければ。運動部の子たちはきっと私の何倍も勉強時間を確保できているはず。ここで大きな差が生まれてしまうかもしれない。志望校に合格できないかもしれない。
不安は募るばかりだった。
そんな不安を吐露できる場所はどこにもなかった。
両親や親戚にとってのできる私、顧問や同級生にとっての頼れる私、後輩にとっての慕える私。
周囲から求められる私を完璧にこなせられなければ私に価値はないと思っていた。
何枚も何枚も鎧を身にまとい生活していた。
不思議と苦しいとは感じなかった。だって物心ついた頃からこうだったから。
睡眠時間や娯楽の時間を削って、勉強や部活の仕事をする時間に充てていた。
無事部活を引退したあと、私は娯楽という娯楽をすべて排除した。
LINEを始めとするSNSを全てアンインストールし、YouTubeや音楽配信サービスもアンインストールした。
両親との連絡にはメールを使った。
朝起きて勉強し、学校でも勉強し、帰宅してからも食事と入浴の時間以外は勉強に充てた。
そんな努力の甲斐あってか、無事に第一志望の高校に合格できた。
仕事中の両親に結果を知らせる電話をしたところ、母は泣いて喜び、父はさも当然というような反応だった。
ここまでは完璧だった。
みんなの思う私でいられた。
高校に入学して早々にテストがあった。
中学生の頃は常に上位をキープしていた私だったが、このテストの結果で自分は井の中の蛙だったと思い知らされる。
それは次第に恐怖へと変わっていった。
どうしよう。
母の笑顔を見られなくなるのは嫌だ。父や親戚に落胆されるのも嫌だ。
このままじゃ私は価値のない人間になってしまう。
――あれ、私、何がしたいんだっけ。
ふとたったひとつ、小さな疑問が思い浮かんだ。
綺麗に敷かれたレールの上を器用に歩んでいく。
これが私の人生であり、運命だと信じていた。
それを成し遂げられればみんなの思う私でいられて、みんな喜んでくれる、認めてくれる。
でもそこに私の意思や感情はない。
気づいてしまった。
それからの私は高校入学と同時に解禁していたSNS、インターネットの世界に入り浸るようになった。
初めの頃は母は心配し、宥め、学校へ行くよう促した。
父は案の定厳しく𠮟責した。
今まで呪詛のように聞こえていた言葉たちは、意味のわからない呪文のように聞こえた。恐怖は感じなかった。
そんな私の態度に呆れたのか、父は私に関わらなくなっていった。
インターネットには様々な大人たちがいた。
私を女として見てきて性的なことを要求してくる人たち。
私を子ども扱いしてコミュニティの輪にいれてくれない人たち。
若いという事実だけで目くじらを立ててくる人たち。
中には今まで誰にも吐露できなかった経験や感情に耳を傾けてくれる人たちもいた。
インターネットとは刹那的な場所だ。
ボタンひとつでその世界から自分がいなかったことにできる。
有象無象の中から私の意見を聞いてくれる人や、私の味方になってくれる人を選んで関わり、いなくなれば代わりを補充した。
こうして私はインターネットという広く自由な世界で居場所を作っていった。
夏休みに突入する頃、担任が家を訪れてきた。
このままだと出席日数が足りず留年することになることを告げに来たのだ。
その夜のことだった。
いつも通り自室にこもっているとリビングに呼び出された。
ダイニングチェアに腰かけると、両親が私に向き合って謝罪してきた。
必要以上にプレッシャーをかけてすまなかった、と父が。
しんどいのに気づいてあげられなくてごめんなさい、と母が。
たったそれだけ?
そのひと言で今までのことを清算しようとしているのか、この大人たちは。
そう思うとふつふつと怒りが込み上げてきた。
そして、せめて高校は卒業してほしいと言われた。
今思えば私の将来を思っての発言だったと理解できるが、当時はどうせしょうもない体裁を気にしているだけなんでしょうと呆れていた。
その夜はなかなか眠れなかった。
怒りと失望、期待に応えられなかった自分の不甲斐なさ、そして何よりも期待に応えられなかったお前はもういらないと言われたようでとても悲しかった。
両親、特に父への嫌悪感を抱きながら、私は通信制高校に編入し、他は特段変わらずインターネット上で生活していた。
小さい頃から父に挨拶や礼儀といった人としてのマナーを叩き込まれていたからだろうか、大人たちに見てもらいたい一心で背伸びをし続けていたからだろうか。
理由はわからないけれど、私が自分から高校生だと明かすまで私の年齢に気づかない人がほとんどだった。
数あるコミュニティのひとつだった。
そこで私はとある男性と知り合う。
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