第38話



 墓所から居なくなった姪、沙良を探して誠司は鈴木刑事の後を追いかけた。



 息を切らし必死に走りながら誠司は考える。

 ……弟夫婦の事件がやっと解決したというのに、どうしてまたしても沙良がこんな目にあわなければならないのか、と。


 しかもそのどちらもが沙良のせいではない。一つは財産目当て、そしてもう一つは夫の浮気相手の逆恨み。本人には全く落ち度はなく、それなのに何故命まで狙われる事態にならねばならないのか。



「三森さん! 清本はこの公園に入ったようです」



 何か目印でも付けてあったのか、鈴木刑事はそう言って公園の中へ入っていく。そしてその奥の海が見える開けた場所には……。



「ッ沙良……!!」



 そこには犯人らしき女を捕まえている清本刑事。……その横には、沙良が倒れていた。誠司は慌てて沙良に駆け寄る。

 その時、沙良が目を覚ました。

 ……が、何か様子がおかしい。



「沙良……! 大丈夫か!? 殴られたのか? 頭を打ったのか!?」



 沙良は視線を不安げに彷徨わせ、やっと誠司に視点が合う。



「おじさま……。……私、私は……!」



 そう言った後、沙良の目にブワッと涙が溢れ出た。



「おじさま……おじさま……、私……!! お父さんとお母さんに、酷いことを……。思い出したの……。私がこの一年、2人を追い詰めていたの……、私のせいなの!」



 そう言ってわっと沙良は泣き出した。


 誠司は鳥肌がたった。……もういっそ、思い出さない方がいいと思っていたのに。



「沙良、沙良……ッ! しっかりしなさい。お前のせいじゃない……! この事は決して沙良が悪いんじゃないから……!」



 誠司は、おそらく今襲われたショックでこの1年間の記憶を思い出し混乱状態になっているのだろう沙良を必死で宥めようとした。


 しかし沙良は体を震わせ涙を流して首を振り混乱するばかり。


 とりあえず、三森家へ連れて帰って綾子や光樹とで沙良を守り話をして心を解していこうと誠司は考え、そして空を見て祈る。


 ……直人。どうかお前の娘を……沙良の心を守ってやってくれ……!



 そう弟に切に願いながら沙良を抱き抱え連れて行こうとすると、清本が犯人を鈴木に託し駆け寄って来た。



 ◇



 ───『婚約者』?


 ……そう。ほら見てごらん。僕たちが過ごして来たたくさんの思い出の写真。僕たちは大学時代に出逢い、愛し合った。


 ───? そう、なの……? けれど、お父さんもお母さんも……そんな話はしていなかったわ。


 ……沙良のご両親は───。君との仲は良くなかったんだ。沙良はいつも僕の所に来ては泣いていたよ。


 ───嘘……。だって、2人はそんな素振りは全くなかったわ。私を……とても心配して、気遣ってくれていた……。


 ……きっと、事故に遭った沙良を憐れんでこれまでの罪滅ぼしをしてるんじゃないかな。沙良と一緒にいる僕も辛く当たられていたから……。


 ───そんな……。


 コンコンッ……ガチャリ……


 ……沙良、ごめんね! 目が覚めたの……、ッ!? 拓人さん……!? あなた一体どうしてここに……! ッどういうつもりなの!? よくもここに……沙良の前に顔を出せたわね!? 早くここから……今すぐ出て行ってちょうだいッ!!」


 激昂する、目覚めてからずっと優しかったはずの『母』。



 ……奇しくも拓人の言った通りに怒り酷い言葉を投げ付ける『母』。

 仲良さげに微笑む、2人のたくさんの写真。

 沙良を庇うように『母』の前に立ち、その酷い言葉を受け止める『拓人』。


 そして何より沙良の心のどこかに、『拓人への想い』がまだ大きく残っていた。



 ───これらの要素から、この時の私は『母』よりも『拓人』を信じてしまった。




 その後も、何度も両親の話を聞いたのに。何故かあの時の私はそれを信じられず……。自分の殻に籠り拓人1人を信じ他の全てを拒絶したのだ。



 


 ───私を愛してくれたお父さん、お母さん。

 大切な両親を忘れ拒絶し恋人に縋って生きていた、この一年の私。何故かそれを疑問に思うことも無く、ただ何もかもから目を逸らし続けていた。



 ───私が、お父さんとお母さんを死に追いやったんだ───。


 何度思い返しても、それはもう間違いようのない事実。

 

 手を下したのは真里子おばさまだったけれど、そんな状況に両親を追い込んだのは間違いなく……私。

 私が……、お父さんとお母さんを!



「いやぁっ……!」


 私は声を出し泣き続けた。血が滲むほどにに手を握り締めて。


「……沙良さん……っ!」


 するとその私の手を取り優しく宥めるように掌を開かれた。

 私は涙に濡れた目を前に向ける。


 そこには真っ直ぐに私を見る清本さんがいた。彼は私の手を優しく撫でながら言った。



「沙良さん。……この手も、沙良さん自身もとても大切なものだ。……ご両親が必死に守ろうとされた、大切なもの」



 私は、涙を流した目で震えながらもただ清本さんの目を見つめる。



「……大切に、してください。今のあなたの全ては、ご両親や三森さんたちが守ってきた、……愛してきたとても大切な存在だから」



 私は凍り付いた心が揺れて……、胸がどくりと鳴った。



 ……そうだ。私は守られて来たのだ。いつも……守られていた。



「……僭越ながら。鈴木も……僕も。沙良さんが笑顔になってくれたら良いなと、そう心から願っています」



 清本さんはそう言って笑った。


 私の涙は止まらなかったけれど……。ほんの少しだけ、暗闇の中に光が差した気がした。




 ◇



 ……あれから。


 私は念の為にと検査入院をした後、再び三森家でお世話になることとなった。



 そしてこの事件が公表され世間は大きな騒ぎとなった。それに巻き込まれない為に、今度こそ私は暫く外出禁止となったのだった。




 ……私は伯父夫婦にこの失われた一年の事を思い出した事を告げ、これまでの事を深く謝罪した。


 誠司おじさまと綾子おばさまそして光樹さんも、あれはあくまで事故での記憶の混乱から病んでいただけだったのだと言ってくれた。


 友人佐原舞もとても心配して、日本にいる間随分と私に付き合ってくれた。

 


 そして数々の私の危機の時に駆け付けて助けてくれた清本さん。彼にはあの時記憶が戻り混乱する私の姿を見られている。それ以来そんな私をとても心配して、何度か三森家にお見舞いに来てくれた。



「沙良さん……。あの。俺はいつか鈴木刑事を超えるような刑事になるのが夢なんです。沙良さんはどんな夢がありますか?」


「夢……、ですか」



 急に問われた質問に私はポカンとした。夢……。私は何を夢見ていただろう。



「……小さな頃は花屋さんになりたくて……。大学に入った頃は……」



 なんだったろう? 夢なんて忘れていた。大学に入ってからは初めての恋に浮かれて彼といる事が私の全てだったから。


 少し悩み出した私を清本さんはゆっくりと待って話を聞いてくれた。

 そしてまたそれぞれの夢の進捗具合を報告し合おうと連絡先を交換したのだった。




 ……皆、優しい人ばかり。



 私は皆に感謝しつつ、自分のした事を思う。私は自分が許されるとは決して思わない。

 ……けれど、この優しい人々に私は何かを返していかなければいけない。生きて、いかなければいけない。



 そうして私の日常は否応なく少しずつ動き出していったのだった。


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