第37話




 沙良を追いかけて高木家の墓にやって来た清本刑事は、姿の見えない沙良を探す為鈴木刑事といったん離れ墓所の裏口から出て周りを見渡した。



 ……潮の香りがする。



 海が近いのだ。確か松浦拓人はここから海に向かった方角にある保養所で大学時代に合宿をしたと話していた。清本がそちらに向かって走り出すと、途中で海の見える公園が見えた。


 ……高木家の墓は綺麗に整えられ、ゴミ一つ落ちていなかった。あの場で何事かがあったとは思えない。もしも誰かが来て話をするのなら、こういう公園かもしれない。



 そう思った清本は目印を付けて公園に入る。

 そして沙良を探して奥の方に進みながら、彼女を絶対に失いたくないと焦っている自分に気付く。



 ……自分は、多分病院で沙良と初めて会った時から彼女に惹かれていたのだ。

 初めは相方鈴木から資産家の我儘な親不孝娘と聞いて警戒して会いに行った。けれど、会ってみればどちらかというと多少世間知らずではあるが普通の女性。


 ……そんな沙良を見た清本は『マズいな』と思った。

 ……それは、彼女の真っ直ぐな瞳。そしてこの一年の自分自身に対して苦しみながらもそれらから目を逸らさずに向き合おうとするその凛とした彼女の姿勢が。……清本の心を鷲掴みにしたからだ。


 沙良を守りたい、守っていきたいと強く思ってしまった。


 しかし彼女には夫がいた。……これは願ってはならない思い。

 それなのに抑えようとすればする程に想いは募る。


 だから先日沙良が伯母真里子に攫われた後、夫である松浦拓人にきっぱりと別れを告げた時。清本の心は歓喜に包まれた。

 ……これから、少しずつで良い。沙良を守り語り合い、そしていつか愛を告げる事が出来れば……。




 清本がそう考えながら沙良を探していると、海の方から波の音と共に女性の話し声が聞こえた。……いや、叫び声に近い?



 清本が急いで声のした方に行くと、海の側のその場所には2人の女性が立っており、1人は今自分が探していた沙良だった。清本は彼女の姿を見つけてホッと安心した後、もう1人の女に目をやる。

 その女は、光るものを沙良に向けていた。それに気付いた清本はすぐに走り出す。そして女は沙良に向かって叫んだ。



「……ほんっとうに……ッ! しぶといわね。普段弱々しいフリしてるくせに、こんな時だけ素早いんだから! ……階段から突き落としても死なないなんて、本当に図太い女……!」



 走りながら清本は耳を疑った。


 ……やはり、沙良さんが階段から落ちたのは事故ではなかったのだ! あの女が、沙良さんを……!



 そのあと沙良が何か言いかけるが女は構わず沙良にナイフを突き立てようとした。が、沙良はなんとか持っていた鞄にナイフを突き立てさせた後、そのナイフ付きの鞄を横に投げる。


 清本はホッとしつつ駆け寄ったが、一歩遅く今度は女は沙良の頬を思い切り打ち、沙良は倒れ込んだ。



「沙良さんっ!! くっ!」



 そこで清本は女の手を掴み確保する。



「高橋未来! 殺人未遂の現行犯で逮捕する!」



 未来は清本の登場にギョッと驚きつつ、鬼のような形相でめちゃくちゃに暴れた。



「……なに? なんなのよ! アンタもこの女の味方をする訳!? ……ふざけないでよ! この女のせいで私の人生無茶苦茶なんだから! 離せ! 離しなさいよぉッ!」



「何を言っている? お前が沙良さんの婚約者と浮気をし逆恨みして命まで狙ったんだろう!! ふざけてるのはお前の方だ!」



 清本が女に口で応戦していると、後からやって来て沙良の元へ向かったはずの鈴木が現れた。


 そして沙良を見ると誠司に抱き抱えられ慟哭している。

 そんな沙良を見て驚き慌てる清本に鈴木は小声で言った。



「お嬢さんはどうやらこの一年の記憶が戻ったようだ。……酷く混乱している」



 鈴木はそう言った後、暴れ続ける未来を見て語りかけた。



「……高橋未来さん。貴女そんなに行き詰まってたんならどうして実家に帰らなかったの。なんでそんなにあの男に拘り続けたの。

……そんなに沙良さんの事が羨ましかったんですか?」



 鈴木の最後の言葉に未来はカッとすぐに反応した。



「私が沙良を? ……はははっ! 羨んでるのは沙良じゃないの!? だって沙良の婚約者拓人は私に惚れ込んでたんだから!」



 未来は歪んだ笑い声を上げてから言った。



「沙良の婚約者が選んだのは私! ……それをあの子は羨んで妬んで、わざと事故に遭ったんでしょ? 拓人に同情して戻ってきてもらう為に! そしてそれでも拓人が結婚してくれないから自分の両親まで事故に遭わせたのよ! なんて怖い女! 優しい拓人が可哀想よ! ……ねぇそう思うでしょう!?」



 まるで演説するかのように大声で語りかけてくる未来に、鈴木も清本も若干の恐怖を覚えた。



「……沙良さんが望んだ訳ではないだろうが、沙良さんを離さなかったのは松浦拓人の方だ。松浦氏は一時は浮気をしたんだろうが、選ぶとなれば迷う事なく沙良さんを選んだ。その証拠にこの一年、松浦氏はあんたに全く連絡をしなかった筈だ」



 清本がそう説明すると、未来は狂ったかのように首を振る。



「嘘嘘嘘嘘!! そんな訳ない! 私は沙良に勝ったの! あの子をナイフで刺してそこから海に落としたら拓人はすぐに私の所に戻ってくるのよぉッ!」



 自分の所に拓人が戻るのが『沙良が居なくなったら』という前提があると考えている事自体が、拓人が沙良を選んでいると自分でも分かっている証拠なのだと思うが……。錯乱状態の未来にそれが分かる筈もなかった。



「……まあその辺りをゆっくり署の方で聞かせてもらいましょうか。前回の階段での突き落としの件も含めて全て話してもらいますよ。

高橋さん。……親御さんから貴女の捜索願いが出てましたよ。貴女も家に帰ってご両親とゆっくりきちんと話をしてたなら、こんな馬鹿なことはしなかったと思うんですがねぇ」



 鈴木は未来にそう言って少し憐れむように彼女を見た。

 高橋未来はそれを聞くとピタリと暴れるのをやめた。……そして、小刻みに震え出す。



「……どうして……どうしてよぉ……。みんな、私が悪いって言うの……。友達の婚約者に手を出すなんてって……、私が大学時代のみんなの楽しい思い出を台無しにしたんだって……。

叱られる……。お父さんとお母さんにこんな事知られたら……、私、叱られちゃうのぉ……っ!」



 そう言って未来は泣き崩れた。



 ……妬みからか友人の婚約者を誘惑し、上手くいかなくなるとそれもその友人のせいにし、更にその命まで狙った未来に本当なら同情する余地はない。


 しかし、出かけ間際に高橋未来の親から『捜索願』が出ている事を知ると、同じ親としては鈴木もその親の気持ちに胸が揺さぶられるものがあったのだ。


 そしてそれを知って泣き崩れた未来を見て、この若い女性も何かが少しずつズレてしまったのだと、なんともやるせない思いに駆られるのだった。




 清本は頑なだった高橋未来を崩した先輩刑事鈴木を尊敬の眼差しで見た。



 そして鈴木は無言で未来を清本から預かり、彼に沙良の元に行くよう促した。



 鈴木は未来を連行しながら、この一年の失われた記憶を思い出し混乱状態に陥っている沙良を思った。




 ……こんな時こそ、お嬢さんの心を支えてやれよ。キヨ。




 そしてまだ若い同僚に心でエールを送るのだった。



 

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