第14話


 沙良を囲んで三森家の4人でこの一年の話合いをし、少し疲れた様子の沙良を彼女の為に可愛く誂えた部屋に案内した。



「ねえ、誠司さん。……まだ何も解決した訳ではないけれど、以前の沙良ちゃんに戻ってくれて私は本当に安心したわ」



 応接間に戻った綾子は沙良の様子にひとまず安堵しながら夫誠司に語りかけた。誠司も柔らかい表情で頷く。次男光樹はもう自分の部屋に戻ったのでここには夫婦2人だ。



「……それと検査の結果にもね。身体は少し弱ってはいるけれど暴力などの形跡もなく特に異常は無し。……そして妊娠していないこと」



 検査結果を書かれた紙を見てそう言った綾子はふうと息を吐いた。



「ああ。……これで沙良にはこれ以上あの男に縛られずに生きる選択肢が増えた。特にこの一年の記憶が無い状態でもしも妊娠していたのなら、あの子には辛い事だったろう。

私は沙良さえ望めばすぐにでも離婚の手続きに入る。本当は『婚姻無効』としたいんだが当時の沙良本人が婚姻届にサインしていたから難しいんだ。洗脳状態だったと証明し裁判で争う期間も惜しいしね」


「……そうね。それに洗脳状態の証明の為に沙良ちゃんが色々聞かれるのも可哀想だわ。

直人さんと奈美子さんも、沙良ちゃんが辛い思いをする事を望んではいないでしょうし」



 綾子が義弟夫婦の事を思い出しながら辛そうにそう言うと、『どうするかは沙良次第ではあるがね』と言いつつ誠司もそれに頷いた。



 ……沙良の父である直人と誠司は小さな頃からとても仲の良い兄弟だった。大人になり直人が高木家に婿養子に行っても彼らの両親が亡くなった後も、月に一度はどちらかの家を訪ねる程の関係だった。



 それが、直人の一人娘沙良が婚約し暫くした頃から一家の雰囲気が少し暗くなっていた。

 初めこそ、一人娘の沙良の大学を出て間も無い早い婚約に直人夫婦が寂しがっているのだろうと思っていたのだが……。



 ある日弟夫婦に相談された沙良の婚約者の素行問題。

 これまで沙良の婚約者である松浦拓人という男は両親が離婚し母と2人という暮らしではあったものの、悪い噂もなくそれなりに優秀な人間として評価され一流企業にも就職している好青年という認識だった。


 それが、沙良との婚約が決まった頃からの行動がおかしい。そして婚約者である沙良と会う時間が急に減ったという。

 

 ……調べてみると、それは呆気ない程簡単に分かったそうだ。



 彼は浮気相手と隠れるでもなく堂々と街を歩いていたのだから。しかも明らかに恋人のような態度で。


 そして拓人は知らなかったようだが、浮気相手が住み彼らがよく過ごす街は彼らの学生時代の知人や職場の人間もよく行く場所だった。近くに住んでいる人もいて、その知人達の間で2人の事は既に噂になっていた。



 とてもではないが、そのような人間と大切な娘沙良とを結婚させる訳にはいかない。


 そう相談された直人の兄誠司はきちんとした証拠を集め、拓人に夢中になっている沙良を説得しようと話し合い動いていた。


 ……その矢先に沙良の交通事故が起こったのだ。



 事故の後、沙良は両親の事も婚約者だった拓人の事も忘れていた。


 このまま沙良が彼を忘れてくれたなら、それが一番良いのかもしれない。


 そう思い皆で見守っていく事にしていたのだが……。



「まさか直人達が丁度病院に居なかった、ほんの1時間程の間に入り込んだあの男に記憶の無い沙良を洗脳されてしまうとは……」



 あの日、拓人が入り込んだ病室に一番に戻ったのは母奈美子だった。


 自分の姉に呼び出され少し外に出ていた母親が病室に戻ると、まるで当然かのような態度であの男が沙良と一緒に居たのだ。自分がした事を忘れたかのようなあまりの図々しさに思わず声をあげ、すぐに部屋から出て行くように言った。

 ……後から考えると、これもいけなかった。


 

 既にあの男から、『自分達は深く想いあった婚約者』だと、スマホから大量の証拠の写真を見せられ『沙良と両親とは仲が悪い、沙良は虐げられていた』……、などと言われた後に声を荒げる母親を見た沙良は大いに怯えた。



 そこからは何を言っても沙良はあの男、拓人に縋るばかり。


 後から駆け付けた父親が話をしても、医師や看護師に宥めてもらってもダメだった。



 ……そしてその内に、いつの間にか拓人によって沙良は退院させられていた……。





「……あの時の事は、今思い出しても腹立たしくて仕方がない。あの時間以外はずっと誰かが沙良と一緒に居たというのに……。

どうしてあの僅かな隙間時間にあの男が上手く入り込めたのか。しかも病院には家族以外の面会を断るように話をしていたのに」


「後から考えれば本当に偶然の産物のような時間だったわよね。……私もあの日病院に行っていたのよ? 午後から用事があったからお昼前に奈美子さんと交代したの。夕方には直人さんがいくはずだったのに……まさかあのタイミングで奈美子さんが真里子さんに呼び出されるなんて」



 綾子は苦々しい顔をした。



「……確か、2人の母親の13回忌の話だったか。しかし姪が事故に遭って大変な時にそんな話でわざわざ病室から呼び出さなくてもいいのに。

あの義姉の一家は高木家を『出入り禁止』になってからもずっと疫病神だな」


「姉妹なのですもの。2人が何かと会っていたのは仕方がないけれど……。奈美子さんはよくあのお姉さんと付き合ってたわよね。私はあの人は絶対に無理だわ。ある意味奈美子さんはいつも我の強い真里子さんに気を遣って振り回されていたわね……。

そういえば、沙良ちゃんは真里子さん一家の『出入り禁止』の理由を知らなかったのね」



「沙良は良くも悪くも箱入り娘だからな……。

直人達もまさか伯母一家がおそらくは財産目当てで和臣君との婚約話を打診して来てたなんて、まだ当時中学生だった沙良に言えなかったんだろうな」



「そうよね。そして今回真里子さんの義息子和臣さんが沙良ちゃんのお見舞いに来ていた訳だけど……、どう思う? 純粋に心配で来てくれたのか、それとも……」



「分からんが、今はあの一家も沙良に近付けないようにした方がいいだろう」



 誠司は難しい顔でそう言い切り、綾子もそれに頷いた。


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