投資 その二

武功薄希

投資 その二


 工藤は大手証券会社のエリートトレーダーだった。しかし、彼には越えられない壁があった。佐藤智明。同期入社の佐藤は、常に工藤の一歩先を行った。いつまでも超えることのできない佐藤に工藤は例えようもない憎悪の念を募らせていた。工藤は自分が一番でなければ許せない人種だった。

 そして今、世界の終わりが近づいていた。巨大隕石の衝突が避けられないと発表され、街は混乱に陥っていた。

 工藤には、たった一つの目的があった。佐藤を殺すこと。どうせ世界が終わるのなら、佐藤を殺してから自分も死のうと思った。

 ポケットの拳銃が、工藤の決意を重く感じさせた。混沌の世の中で拳銃の入手は各段と容易くなっていた。

 佐藤のオフィスに到着した工藤は、ドアを蹴り開けた。

 「佐藤!」

 しかし、そこで彼が目にしたのは、予想外の光景だった。

 佐藤は床に倒れていた。その腹部には短刀が突き刺さっており、周囲には血溜まりができていた。佐藤の表情は、不思議なほど穏やかだった。

 「くそっ...」

 工藤は呆然と立ち尽くした。佐藤はすでに自決していたのだ。しかも、古式ゆかしい切腹という形で。

 工藤の手から拳銃が滑り落ちた。床に落ちた銃が、カタンという乾いた音を立てる。

 その瞬間、工藤の中で何かが崩れ去った。彼の人生の目標、佐藤を超えるという執念が、砂のように崩れ落ちていく。

 「俺は...何のために生きてきたんだ」

 工藤はふらふらとオフィスを出た。エレベーターに乗り、街に出る。


 街は混沌としていた。叫び声、泣き声、怒号が飛び交う。しかし、工藤の耳にはそれらが遠くかすかに聞こえるだけだった。

 彼は無目的に歩き続けた。時間の感覚さえ失っていた。

 気がつくと、工藤は見知らぬ路地に立っていた。そこには「おもちゃと雑貨の店」という看板が掛かっている小さな店があった。ガラスは割れ、商品は散乱していた。

 工藤は無意識のうちに店内に足を踏み入れた。床に転がる商品の中に、一つの箱が目に留まる。

 それは5000ピースのジグソーパズルだった。

 「ジグソーパズルか...」

 工藤は苦笑した。これまでの人生で、こんな「無駄な」ものに触れたことはなかった。パズルなんてする暇があったら、偏差値を1上げる、利益を1円でも上げる方が良いと常に考えていた。 

 しかし今、その箱を手に取る自分がいた。

 「もう...何もすることがない」

 すべての投資とは本来、未来に向けてするものだ。未来がなくなった今、すべての投資に意味はない。

 工藤は箱を持って、近くの公園のベンチに座った。空は赤く染まり、遠くでは爆発音が聞こえる。世界の終わりまで、あと65時間。

 工藤はパズルを広げ始めた。

 最初は、ピースをはめることさえ難しかった。形を合わせる、色を合わせる。当たり前のことが、彼には新鮮だった。

 「くそっ...こんなの、できるわけ...」

 しかし、諦めなかった。時間が過ぎていく。パズルは少しずつ形になっていく。

 50時間が経過。パズルは半分以上完成していた。工藤の額には汗が滲み、目は充血していた。しかし、その目には久しぶりの生気が宿っていた。

 「ここは...こうか」

62時間。パズルはほぼ完成に近づいていた。残すは中央部分のみ。

64時間。あと数ピース。

工藤の手が震えていた。それは疲労からではなく、興奮からだった。

「あと...1ピース」

 最後のピースを手に取る。それは空の一部を表すピースだった。

 工藤は深呼吸をした。そして、ゆっくりとそのピースをはめ込んだ。

 カチリ。

 ぴったりとはまった瞬間、眩い謎の光が世界を包み込んだ。

 隕石の衝突。世界の終わり。

 工藤は完成したパズルを見つめたまま、静かに笑った。

 「ギリギリ間に合ったな」

 その言葉と共に、工藤の意識は閉じた。


 パズルには美しい風景が描かれていた。青い空、緑の草原、遠くに見える山々。そして、その中央には一軒の小さな家。

 まるで、別の世界への入り口のように。


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投資 その二 武功薄希 @machibura

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