第28話 模倣訓練

 知識を頭に詰め込むだけがライリーの仕事ではない。

 一番重要なことは、ミカエラになりきることだ。

 そのためには、姿勢や仕草、話し方に至るまで完璧に模倣しなければならない。

 

 幸いなことに、見た目が似ているからなのか、声はとてもよく似ている。

 喉を絞って若干高めに発声すれば、ミカエラの声そのものだった。

 

 問題は、体の動きだ。


 さて、映写機という魔道具がある。

 これにはいくつか種類があるらしいが、ユリウスが取り出したのは立体映写機と呼ばれるものだ。

 魔力を流して起動すると光を放ち、ミカエラを立体的に映し出す。

 ミカエラの前に立てばその正面が、背後に立てばその後ろ姿が確認できる優れものだ。


 ここ数日、初めて見る魔道具ばかり使っている。

 普段なら贅沢だと思うのだが、魔道具の性能を見ると、なんて便利な魔道具なんだという驚きがまず最初に飛び出だす。


「凄い……」

「実寸大だ。これを見ながら真似るぞ」

「うん!」


 模倣するには、その対象を知ることが重要だ。

 驚き、興奮し尽くしたところで、ライリーは遠くへ散歩していた冷静さを必死に呼び戻し、ミカエラを穴が開くほど観察した。


 ミカエラは、パッと見た感じはブレもなく真っ直ぐ立っているが、よく見ると僅かに右に傾いている。

 歩くときの目線は正面よりやや下を向く。

 歩幅は約六十センチ、足は真っ直ぐ踵から地面につき、爪先で軽く押すように足を出す。

 腕は軽く曲げ、手は臍の高さまで振る。

 歩調は優雅に、ゆっくり。

 体は上下左右に揺れることはなく、重心がしっかりしていた。


「立つだけなら……こうかな?」

「うん、いい感じだ。良い滑り出しだぞ」

「よっしゃ!」


 ユリウスが片方の手のひらをライリーに差し出す。

 その意図がわかったライリーは、喜びの勢いのままハイタッチをした。


 褒められるのは悪くない。

 やはり、ライリーは褒められて伸びるタイプなのだ。

 ライリーは良い気分で次の課題へと移った。

 

 しかし、最初が上手くいったからといって、最後までそうとは限らない。

 模倣で最初に躓いたのは、歩き方だ。


 歩き方には、人それぞれの癖がある。

 ライリーの場合、重心のブレはないが、動きが大きく速かった。

 歩幅は大きく、それに伴って腕の動きも大振りだ。

 常に何かしらの作業に追われていたことが原因で、歩調も速く忙しない。

 ミカエラとは正反対だ。


 ゆっくり、小さく。

 意識してもまだ大きい。


「速い速い! もっとゆっくり! 小さく!」

「もっと⁉︎」

 

 ユリウスに指摘されながら、歩き方を少しずつミカエラに近づけていく。

 これがまた単純に体を動かすよりもきついのだ。

 鍛錬とは違う頭と体の使い方をするのは、正直なところ勉強するよりも辛い。


(ジャクソンさんに稽古つけてもらった方が楽なんじゃないか?)


 あの地獄のような稽古と比べるものなどないと思っていた。

 しかし、ここ数日の模倣訓練は、ジャクソンの稽古と比べてもいいと思える辛さだ。


 模倣訓練に苦手意識が湧いてきた頃、同じ模倣訓練でも楽しく感じる時間が始まった。

 それは食事だ。


 午前中は国の事業について学び、時刻は昼。

 いつもはケイトがいるカウンターに食事を取りに行くのだが、食堂に入ると、ユリウスからそのままテーブルへと連れて行かれた。


「なんで? ご飯は?」

「模倣訓練の一環で、今日から昼飯の時もミカエラ殿下の模倣をしてもらう」


 首を傾げるライリーに、ユリウスはニッと口角を上げて宣言する。

 ライリーはその言葉にガックリと顎を下げた。

 

 午前中、あれだけ知識を頭に詰め込んだというのに、これからミカエラの模倣訓練をするなんて、過密スケジュールにも程度というものがあるだろう。

 そもそも、必要性がわからない。

 これは断固として抗議しなければ。

 

「食事も? 夜会で王族は乾杯用の酒しか飲まないって話じゃなかったか?」

「ライリーがミカエラ殿下とすり替わったら、ミカエラ殿下の私室で軽食を食べることになっているんだ」

「それ、必要?」

「夕飯なしで夜会に挑む貴族はいない。それに、このタイミングは影以外の騎士も出入りするから無作法は許されないんだ」

「そんな……」


 夜会は日没とともに始まり、日付が変わるころに終わる。

 言われてみれば、胃に何も入れず、腹の探り合いとも言える社交の場に参加するのは無謀だ。

 他国の王族も来るとなれば、かなりの体力と集中力が必要だろう。

 夜会の前に腹ごしらえを済ませておくのは至極当然のことだ。


 納得はしても、気持ちが追いつくわけではない。

 ライリーが唇を尖らせて不満をアピールしていると、ユリウスは人差し指で、ライリーの突き出た唇にそっと触れた。

 

「いいこともあるぞ。軽食は夜会で振る舞われるものだからな。とてつもなく美味いぞ」


 甘い誘惑に、ライリーの眉がぴくりと跳ねる。

 食事は美味しいに越したことはない。

 舌が肥えすぎるのは問題だが、誰しも一生に一度は、頬が落ちるほど美味しいものを食べたいと思ったことがあるはずだ。

 ライリーもその一人で、どうせその時限りしか味わえないのであれば、至福の時間のために頑張れるような気がする。

 

「それを聞くといい気もしてきた」

「その意気だ」

「そういうわけで、ライリーのご飯は今日からコース料理よ。食材も味付けも普段と変わらないから安心して」


 タイミングを待っていたのか、ケイトはコース料理の一品目をトレーに載せて持ってきてくれた。

 そして、大量のフォークとナイフ、スプーンも一緒だ。


「ありがとうございます。えっと、このフォークたちは……?」

「まずはカトラリーの説明からだな」


 ライリーはトマトやパプリカで色鮮やかに作られたテリーヌを前に、ユリウスからどのフォークを何番目に使うのか、使った後の置き場所やその向きなどを教えてもらった。

 

 カトラリーはナイフとフォークの二つで十分な食事をしてきたライリーにとって、スプーンやフォークにいくつもの種類があり、それを使い分けること自体理解できない。

 食べられるのであればなんだっていいと思うのだが、そうもいかないのが貴族というものらしい。


(貴族ってやっぱり面倒くさい)


 見た目も美しく、美味しそうな食事を前に、うんざりしながらテーブルマナーを聞いていたのが顔に出ていたんだろう。

 ユリウスがライリーの頬をブニッと刺してきた。


「何すんだよ!」

「いや、威嚇しているスライムみたいだなと思って。あいつら、膨れるじゃん」

「誰がスライムだ!」


 確かに、スライムは怒って威嚇する時、はち切れんばかりに膨らむ。

 しかし、威嚇で上げる「プキュー」という声も相まって、スライムには失礼だが、とても可愛らしいのだ。

 ライリーは可愛い見た目をしているわけではない。

 つまり、ユリウスから思いっきり馬鹿にされたのだ。


 ライリーはユリウスの指を関節とは逆向きに引っ張る。

 しかし、不思議なことにするりと抜け出され、逆に手を取られてしまった。

 そのまま立ち上がったユリウスは座っているライリーの背後に回り、後ろから抱きしめるようにして手に手を重ねられる。

 その手に誘導され、ライリーは右手にナイフを、左手にフォークを取った。


 背中と、腕から手に重なる心地よい熱。

 ふわりと香るユリウスの匂い。

 毎晩、散々ユリウスの手で体を解されているというのに、何故かこの時ばかりは心臓が胸から飛び出るほど跳ねた。


(は、え……? なんだ、これ?)


 いつもとは違う体の反応に、ライリーは動揺した。

 今まで感じたことのない感覚が何なのか考える前に、ユリウスの声が耳元で響く。


「いいか。ナイフの背に人差し指を添えて、力を入れて引く。間違ってもノコギリみたいに動かしたら駄目だからな」

 

 フォークで野菜のテリーヌを刺し、ナイフを握る手に力を入れ、一直線に手前へ引く。

 すると、ユリウスの絶妙な力加減のおかげでテリーヌが綺麗に切れた。


「わ、あ……」

「切り分けたら真っ直ぐ口元へ。首はそのままの位置だ」


 ゆっくりと近づいてくるテリーヌ。

 首を突き出すのを我慢して口を開けると、冷たいテリーヌが入ってくる。

 恐る恐る咀嚼すると、口内にじゅわりと旨みが広がった。


「美味しい!」


 かといって、変に高級な味ではない。

 普段食べているレベルのものだ。

 それでも、美味しいことには変わりない。

 ケイトが言っていた通りの味付けで、ライリーは頬を緩ませた。


「美味いのはわかったが、口に入れたまま話すな」

「……ん、ごめん」


 テリーヌを飲み込んだライリーは、マナー違反の自覚がある分、素直に謝った。

 ユリウスに真っ当に叱られるなんて、正直なところ悔しい。

 ライリーは握っていたナイフとフォークを握りしめる。

 

 すると、ユリウスはライリーの背後から隣の椅子へと移動すると、ライリーの背中を軽く叩いた。


「ライリーは元々食べ方が綺麗だ。だから大丈夫」

「食事は義母かあさんからも義父とおさんからも厳しく躾けられたからな。その辺は自信あるよ」

「頼もしいな。体が覚えれば、テーブルマナーも模倣もすぐできるさ」


 ニッと心強く笑ったユリウスも、ナイフとフォークを持ち、配膳されたテリーヌを食べようと手を上げる。

 その時だ。


「あれあれ? ユリウスさんよ、何か忘れてないかい?」

「何がだ?」


 にやけ顔で話しかけてきたのは、ライリーが王都に着いて二日目の朝、サロンで会ったマークだ。

 今日も影の服を着こなした彼は、わざとらしく咳払いをする。


「ミカエラ殿下の立体映写機は?」


 ユリウスはマークから指摘され、スラックスのポケットから地下の会議室でも見た立体映写機を取り出した。

 カチカチとボタンを押し、ライリーの正面の席に置くと、ミカエラが食事をしている姿が浮かび上がる。


(何度見ても凄いな)


 距離が近い分、ミカエラの長い睫毛やぷるんとした唇の質感までがはっきりとわかる。

 まるで、本人が目の前にいるようだ。

 

 ライリーはそれをじっと観察し、真似ていく。

 立体映写機の操作方法はユリウスしか知らない。

 一時停止の方法もわからない今、ユリウスとマークのことも気になるが、ライリーは粛々と模倣訓練をするしかないのだ。


 ユリウスとマークといえば、ライリーの隣でやいのやいのと騒いでいる。

 

「忘れていたわけじゃない」

「へぇ? なら最初からちゃんと出しなよ。手取り足取りライリーに教えたいのはわかるけどさ」

「何のことだ」

「あらぁ図星?」

「おい!」

「待て待て、今日のはこの前のお返しだからな。ったく、部屋のドアにサラマンダーの幻影が出る魔術陣仕掛けやがって……」


 そういえばと、ライリーはふと思い出した。

 数日前の夜、風呂上がりにサロンにいた時、二階から切迫した叫び声が響いたのだ。

 驚いたライリーは駆け出そうとしたが、ユリウスから大丈夫だと止められたのだ。


(あの叫び声って、マークさんのだったのか)


 ユリウスが叫び声に構うなと言ったのも、彼がイタズラを仕掛けた張本人だからだ。


 テリーヌの最後の一口を口に入れながら、ライリーは呆れると同時に納得した。

 ドハティ公爵たちが言っていたユリウスの悪い癖とは、限度を超えたイタズラなのだ。

 ライリーはその毒牙にかからないよう、自室に入る時はその周辺を隈なくチェックすることに決めた。


 それにしても、ユリウスとマークは食事中は静かにというマナーを知らないのだろうか。

 延々と続く言い合いに、とうとうライリーの集中力が切れてしまった。


「ちょっとうるさい! 集中できないだろ!」


 普段は温厚を自負しているライリーでも、真剣に訓練に取り組むのを邪魔されては怒るしかない。

 ユリウスとマークをギッと睨めば、二人は氷漬けにされたように固まった。


「すまん」

「ごめん、静かにするよ」

 

 すぐに謝った二人は互いに顔を見合わせ、罰の悪そうな顔をしている。

 すると、静かにライリーたちを見守っていたケイトや、食事をしていた他の影たちは、途端に笑い出した。


「ユリウスが他人の言うこときいてる!」

「しかも謝ってる!」

「あははっ……おっかしい!」


 笑いの渦に飲み込まれた食堂。

 その中心は、間違いなくライリーとユリウス、そしてマークだ。

 今のやり取りのどこに笑いのツボがあったのか。

 ライリーはよくわからなかった。


(でも、ユリウスが笑われているのはいい気味だ)


 影たちに笑われ、反論もせず、いつも以上に気まずそうなユリウスの顔は、そのパーツがキュッと中心に集まっていて確かに面白い。


「ふっ……は、あはははっ……!」


 堪らず笑い出したライリーの前に、ケイトが笑いに打ち震えながら二品目の料理を置いた。


「ライリー、いいわよ。その調子でユリウスの手綱を握ってちょうだい」

「頼むよ、ライリー!」


 隣のテーブルで食事をしていた影からも声援と拍手が飛んでくる。

 

「はい」

 

 ライリーはそれに笑いながら頷くと、正面のミカエラを見据えた。

 未だ、笑いの波が次から次へとやってくる。

 それが凪に変わるまで待ち、素知らぬ顔で模倣を始めた。

 その様子も笑いを誘ったようで、ユリウスやマークも笑い出す。

 

 これがきっかけになったのか、それ以降、影たちから声をかけられることが多くなった。

 昼食の時間帯は、ユリウスだけでなく、他の影たちからもアドバイスを貰う。

 お陰で影たちの容姿と名前を一致させることができた上に、ユリウスがいなくても多少会話ができるまでになった。

 

 ライリーは、それがとても嬉しくて仕方がない。

 人見知りだが、限られた時間だけとはいえ、共同生活をするなら仲良くしたいと思っていたライリーにとって、それは喜ばしい進歩だった。


 もっと自然に、もっと正確に。

 完璧を追求し続ける。

 

 ミカエラの模倣訓練をした日は、疲労で体が悲鳴を上げ、風呂上がりにユリウスから受けるオイルマッサージが格別に気持ちいい。

 普段は無意識で動かしている筋肉を意識的に動かしているため、緊張で筋肉痛になるだろうと予想していたが、ユリウスのマッサージのおかげで、翌朝起きても痛みも強張りもない。

 このご褒美と、影たちの応援があるからこそ、ライリーは頑張り続けることができている。

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