第20話 風呂って気持ちいい!

 部屋から出るとすでにユリウスが待っていた。


「ごめん、遅くなった」

「俺も今来たところだ。さぁ、行こうか」


 ライリーは伸びてきたユリウスの手を握り、体を支えられながら一階へと向かう。

 階段を下り、食堂と反対側に進むと浴室の前に辿り着いた。

 

「ここが風呂だ。右が男湯、左が女湯。お湯はいつでも沸いているから、いつ来てもいい」


 ユリウスはそう説明すると、右の男湯へライリーを誘導する。

 入ってすぐに壁に突き当たり、それを右へと進むと脱衣所に出た。

 正面の壁沿いには鏡や魔術陣で動くドライヤーがあり、反対側の壁と中央には荷物を置く棚がある。

 

「広いな」

「貴族の屋敷だとバスルームがそれぞれの部屋にあるけど、ここはまた別の意味で豪華だな」

「へえ」

「ここに荷物入れて。俺も早く入りたいんだよ」

「わかる。汗でベトベトだからな」


 ライリーはユリウスに促され裸になる。

 ユリウスも次々と服を脱ぎ、それを畳んで棚に置いていく。

 

 ユリウスの体には無駄な筋肉がついていない。

 服の上からでも筋肉がついているのがわかったが、これほどとは……。

 必要最低限の筋肉がついているだけのライリーは、その肉体美に密かに嫉妬した。


 じっとりとした視線に気付いたのだろう。

 ユリウスは見せつけるように力瘤を作ってみせた。


(へぇ? そういうことするんだ)


 挑発されたからには期待に応えなければ。


「ふん……!」


 ライリーはしっかりと割れた逞しい腹筋に、あくまでも軽く拳を叩きつけた。

 

「いてっ。ったく、冗談だよ」

「冗談に思えませんでしたぁ」

「ごめんって」


 ライリーは、笑いながら謝るユリウスに手を引かれ、ガラス張りの引き戸の向こう側へと足を踏み入れた。


「うわぁ、すご……」


 浴室は脱衣所より広かった。

 手前には洗い場が十六ヶ所もあり、奥には大きな浴槽がある。

 中には誰もおらず、今は貸切状態だ。

 

「ライリー専用席はここな」


 ぽかんと口を開けたままのライリーはユリウスに手を引かれ、浴槽に一番近い端の洗い場のバスチェアに座らされた。

 

「座る場所決まってんの?」

「自由だ。ただ、ライリーは髪や肌の質をミカエラ殿下と同じにしないといけないからな。ここに置いてあるシャンプーや石鹸はミカエラ殿下と同じものにしてある」


 洗い場の棚に視線を向けると、他の洗い場とは違うボトルが並んでいた。

 見るからに高級そうな雰囲気がある。

 

「えぇ……」

 

 ライリーの髪や肌は平民の中では普通だが、烏滸がましくも王族と比べると明らかに質が違う。

 改善の必要性は理解できる。

 しかし、服といい、衛生製品といい、影がライリーに掛けている金額を想像すると末恐ろしい。

 思わず体がぶるりと震えた。


 足元からの冷えが来たと思ったんだろう。

 ユリウスは魔術陣を起動させ、温かいお湯が出ているシャワーを差し出してきた。


「さっさと洗って湯に浸かろう」

「ありがとう」


 それを受け取ったライリーは気乗りしないまま、しかし、高級なシャンプーや石鹸をありがたく使いながら二日分の汚れを落としていく。

 

 ユリウスもライリーの隣の洗い場のバスチェアに腰掛けると、さっと魔術陣を起動させ、湯を頭から被る。

 

「風呂上がりの手入れも任せておけ。子どもの頃はしてもらっていた側だからな」


 ぷはっと息継ぎをしたユリウスは、自信満々の顔でそう言ってきた。

 その言葉に、ライリーは目を剥いて驚く。

 

「ユリウスがやるの?」


 自分がやってもらっていたからといって、そんなことができるものなのだろうか。

 そもそも、外見を整えるのにそこまでされてしまうのか。

 

「他に誰がいる? こういうメンテナンスも含めて俺の仕事だ」

「な、なるほど?」

「しっかりケアしてやるからな」

「ええっと、よろしく」


 ユリウスが他人の体の手入れもできるという言葉は怪しい。

 ライリーは心の中で首を捻りつつ、いい香りのするシャンプーと石鹸で体の隅々まで綺麗に洗っていった。

 

 それが終わるといよいよ入浴だ。

 初めて入る湯船は膝の高さまであり、そのまま座ると、水面がちょうど肩の位置にあった。

 

「ふぁ……」


 体全体が温かな水に包まれて心地いいし、浮力で体がプカプカするのも面白い。

 思わず気の抜けた声が出た。

 

「気持ちいいだろう」

「うん。もうここから出たくない」

「ちょっと浸かったら出るぞ。肌がふやけるし、湯疲れやのぼせたりする」

「え?」

「湯疲れは体の水分や必要な成分が不足する状態のこと、のぼせるは頭が熱くなりすぎることだ。どっちになっても体調が悪くなる。湯に浸かるのは初めてなんだろう? そうすると余計になりやすい」

「そんな……」


 聞き慣れない言葉に声をあげれば説明が返ってきて、しかもこんな極楽なのに長風呂は駄目らしい。

 

「ちょっとずつ体を慣らせば長く入れるようになる。ただ、肌のことを考えると乾燥してしまうからほどほどに、だな」

「うん」


 こんないい思いをするなら、楽しく風呂に浸かりたい。

 ユリウスに嗜められ、ライリーは素直に頷くしかなかった。

 

 体が不調にならないように、湯に浸かって数分で上がり、脱衣所に戻ってタオルで体を拭く。

 それが終わると、ライリーはユリウスに、脱衣所の隅にある、背もたれの角度が緩いラタンで編まれた椅子に促された。


「ほら、ここ座れ」

「ああ」

「触るぞ」

「うん、お願いします」


 ライリーが背もたれに背中を付けて半ば横になると、ユリウスは小さな瓶の蓋を開け、透明な液体を手のひらに出した。

 そして、ライリーの全身にくまなく香油を塗っていく。


(レモンとオレンジを合わせたような匂い……ベルガモット? ミカエラ殿下の髪と瞳の色に合うな)


 瑞々しい香りを堪能していると、ユリウスの手付きが変わった。

 ただ塗るだけでなく、凝り固まった筋肉を解されるような、そんな動きだ。

 

「痛くないか?」

「うん、大丈夫」


 香油で全身を揉まれるようにマッサージされ、その気持ち良さに、ライリーの体はふにゃふにゃになった。

 

 極め付けはドライヤーだ。

 温かい風が頭にかかり、大きな手で髪を掻き混ぜられる。

 すでにふにゃふにゃにリラックスしたライリーの瞼はとろとろと下へ落ちていく。


(きもちいい……)


 抗えない睡魔に、ライリーは意識の手綱を手放す。

 意識が途切れる直前、朧げに覚えているのは、温かい何かが右手を包んだ感触だった。

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