第9話 悲しみはあとからやってくる

 無言になったライリーを宥めるわけでもなく、話は終わったと示すように、彼らはライリーが聞いていてもわかる雑談を始める。

 ジャクソンの野営料理の話から始まり、それぞれが野営で振る舞う自作レシピのことへと流れていく。


 食べたことのない料理の話を聞けば、材料や調理工程からどんな味かを想像してしまう。

 そうしていると、意地を張って、ジャクソンの料理は食べないと決めていた心が揺れ始める。

 美味しそうな料理の前で食べ物の話をされてしまえば、腹の虫が食わせろと騒ぎ出した。

 

 仕方なく、食べかけの野菜炒めを口にすると、四人の纒う空気が和らいだような気がする。

 

 食べ物の話は、巡り巡ってハルデラン産のさつまいもで作り、名物になっているスイートポテトが絶品だという話なった。


「東通りの……あれ、ど忘れした。ライリー、東通のスイーツの店。なんていったっけ?」

「銀猫亭のことですか?」


 突然ジャクソンから話を振られ、なんとなく会話を聞いていたライリーは顔を上げて答える。

 

 銀猫亭は、素材の味を引き出したスイーツで有名な老舗の店だ。

 値段も良心的で、ハルデランだけでなく国内外から人気がある。

 ライリーが愛食しているジンジャークッキーもこの店のものだ。


 ライリーの答えを聞いたジャクソンは、強く膝を叩いて喜び、晴れやかな笑顔を浮かべた。


「それだ! ここの店のスイートポテトが美味くてよぉ。な、ライリー?」

「そうですね。しっとり系の中では一番です」


 もう少ししたらスイートポテトの季節だ。

 昨年食べた銀猫亭のスイーツポテトの食感と味を思い出すと、途端に食べたくなってくる。

 もうお腹いっぱいだというのに、貪欲な胃だ。


 やれやれ、と腹を摩っていると、エラがライリーの話に食いついてきた。

 

「しっとり系? じゃあ、ほかの食感のスイートポテトもあるの?」

「はい。銀猫亭から北に少し進んだところにある雪豹屋のものは外側がサクッとしていますよ」

「初めて聞いたわ」

「一昨年からの商品ですからね。王都でも売ってないんじゃないでしょうか」

「へぇ? 今年も出るならぜひ食べてたいな」


 ふんわりと微笑むエラは、騎士でも影でもなく、一人の女性の顔をしていた。

 ファングも甘いものには目がないようで会話に参加してくる。

 彼はどうやら、妻と子どもへ贈る菓子の情報が欲しかったらしい。

 

 ユリウスは相槌を打つ程度に会話に参加しつつ、血濡れ熊の肉を一人で食べ尽くしそうな勢いで食べていた。

 ライリーよりは歳上だろうが、若いだけあって食欲が凄い。

 見ているだけで腹が満たされていくようだ。


 そうして、菓子やハルデランの特産品のことを話しているうち、自然と嫌な気持ちは薄れていった。

 次第に話題はあちこちへと飛んでいく。

 その途中、一瞬だけ会話が途切れた。


(チャンスだ)

 

 ライリーはすかさずジャクソンに視線を向け、疑問に思っていたことをぶつけてみた。


「あの、ジャンソンさんは影なんですよね。なんでハルデランのギルドにいるんですか?」

「ああ、それな」


 可能性は半分だったが、ジャクソンの反応を見る限り答えてもらえそうだ。

 ライリーがじっと待っていると、ジャクソンは豪快に水を飲み干してから口を開いた。


「まず、冒険者ギルドや商人ギルドは国とは無関係の組織で、どの国にも国境関係なく、どの街にも設置されている。それは知っているな?」

「はい。それで、国は各ギルドの運営に関与してはならないんですよね」


 各ギルドは民間組織だ。

 商売の自由が認められており、世界中の金や物を流通させている。

 ある意味、国よりも大きい組織だ。

 ギルドの自由が失われれば、世界経済は発展しない。

 そのため、有事の際は協力することはあれど、互いに不可侵を貫いているというのが常識だ。

 

「表向きはな」


 つまり、裏があると。

 視線で続きを促せば、ジャクソンは困ったように力なく笑った。


「たまにな、悪意のあるなし関係なく、国を転覆させかねない依頼をしてくる奴がいるんだよ。他国は知らんが、サニーラルンに限ってはギルドに影が潜入して、そういう諸々を上手く処理してるんだ」

「そんなことが……」


 ライリーが影の役割に驚いていると、ファングがさらに驚くことを告げてきた。

 

「それだけじゃない。ディレの森で、不定期にスタンピードが発生していることを知っているかい?」

「え、スタンピード?」


 スタンピードとは、魔獣の群が人の住む町に押し寄せてくる災害だ。

 ディレの森には様々な魔獣が生息しているが、スタンピードが起きたなんて今まで一度も聞いたことがない。


 強風が吹き荒び、あまりの強さに焚き火の炎が掻き消える寸前まで弱まった。

 宵闇が深まり、川からヒタヒタと何かが近づいてくるような錯覚に陥る。

 

 ぶるりと身震いしたライリーの背中を撫でながら、ジャクソンはライリーの疑問に答えてくれた。

 

「ライリーが知らないのも無理はないさ。前回は八十年前近くのことでな。知っているのはご高齢の方々だ。俺はスタンピードの発生防止のために魔獣の監視と間引きもやってるんだ。おかげで仕事に追われ、自分が影なんだかギルドマスターなんだかよくわかんねぇよ」


 勘弁しろよと肩をすくめるジャクソンだが、満更でもない様子だ。

 それをクスクスと笑うエラとユリウスの瞳には、ジャクソンへの尊敬に満ちていた。


「あなたが選ばれたのは影の中で対人、対魔獣の戦闘能力がトップだからですよね。後輩の憧れと期待には応えないと」

「どの口が言ってんだ? 王都組だとお前が一番だろ」

「ええ。まだまだ若い人たちに負けるつもりはありませんよ」

「ふははっ俺もだ!」


 風が吹き止み、焚き火はゆらゆらと穏やかに揺れている。

 しかし、ジャクソンとファングの話を聞きながら、ライリーはダラダラと汗を流していた。


(もしかして俺、とんでもない人に色々教えてもらっていた……?)


 戦闘に特化した職業といえば、騎士と冒険者、今日初めて存在を知った影だ。

 それぞれの事情はわからないが、冒険者でもあるギルドマスターが影も兼任しているとなれば、ジャクソンは国内最強の実力を持った人物ではないか。

 ライリーの推測が正しかったとしたら、なけなしの貯金すべてをジャクソンに渡すべきだろう。


 金が飛んでいく幻影に目を眩ませていると、疲れて眠そうにしていると思われたらしい。


「明日の夕刻には王都だがかなりの距離がある。慣れない乗馬で思うより疲れがくるはずだからもう休みなさい。あのテントを使って」

「ありがとうございます。お先に失礼します」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 ファングからテントでの就寝を勧められ、ライリーは素直に従うことにした。

 正直なところ、すでに尻が痛くて仕方ない。

 野外とはいえ横になれるのはとてもありがたかった。

 

 ついでに言うなら、四人と話している間は気が紛れても、会話に参加しない間は、この状況の理不尽さを思い出してしまう。

 寝る瞬間くらいは、彼らから離れられるのは嬉しい。


 ようやく一人の時間だ。

 就寝の挨拶を交わしてテントに入ると、後ろからユリウスも入ってきた。

 それが当然だと、顔に書いてある。

 ライリーの喜びに膨らんでいた心が急激に萎んでいく。


「あなたも?」

「テントはこれだけで、今日は俺が休む番だからな。狭いが文句言うなよ」

「言いませんよ。でも、エラさんは」

「見張りだ。女性だが騎士だ。慣れている」

「そうですか」


 テントはひとつだけ。

 誰かと共有するのは構わない。

 そもそもこのテントは彼らのものだ。

 だが、寝るときも誰かと一緒だとは思わなかった。

 しかも、よりにもよってユリウスだ。

 

 よくよく考えれば、ライリーは知ってはいけないこと――影の存在と役割――を、不本意ながら知ってしまった。

 そんなライリーを、彼らが放っておくはずがない。

 ユリウスが監視なのは間違いないだろう。


 ライリーは一人になるのを諦め、置いてあった毛布を拝借するが、これもまたひとつしかない。

 半分を体に掛けてテント側を向いて横になると、ユリウスもライリーに倣って毛布の中に入ってきた。

 そうすると、毛布は体に引っ掛かる程度にしか使えない。


(気にしない気にしない)


 ユリウスの存在を、自由にできない野営のもどかしさを気にしないようにして寝入ろうとすると、嫌でも今日の出来事が頭を駆け巡る。

 

 朝起きてから孤児院に着くまでは平穏な日常だった。

 ファングたちと出会い、ほぼ強制的とはいえ自分の意思で王都へ行くと決意し、両親の死と孤児院に預けられた顛末を知った。

 そしてジャクソンと合流し、厄介なことに巻き込まれていることを理解した。


 あまりにもライリーの意思を無視した理不尽な状況に、怒りの感情が燃え上がる。

 しかし、それを追い越すようにじわじわと迫り上がってきたのは寂しさだった。

 

 記憶にも残っていない両親は、ライリーを手放すつもりはなかった。

 望まれて生まれてきたという事実に安堵し、喜びさえ感じる。

 しかし、そんな両親に二度と会うことはできない。

 それが、ただひたすらに悲しくて、寂しかった。

 

 家族は孤児院の皆だと思っていた。

 それが、いざ生みの親の話を聞くと、顔すらわからない両親だというのに、こんな感情が湧いてくるのは不思議だ。

 

 泣くつもりなんかなかった。

 けれど、飽和した感情は涙となり、ぽろぽろとこめかみを伝う。

 嗚咽は漏れていなかったはずだが、なぜかユリウスはライリーの背に自身の背中を合わせてきた。

 言葉は何もなく、ライリーだって返す言葉はない。

 それでも背中から伝わってくる熱は温かくて心地良い。


(今だけ、ちょっとだけ……)

 

 一人で耐えるには大きすぎる感情だからと、ライリーはユリウスの気遣いに甘えることにした。


 誰かと寝るのは、孤児院時代に弟たちにせがまれて雑魚寝したとき以来だ。

 人肌がこんなに温かいものだと、何故忘れていたんだろう。

 

「あーあ……。俺の秘蔵っ子だったのになぁ」

「先に報告しておけばよかったでしょうに」

「王都のやつらを驚かせたかったんだよ」

「そういうところですよ、奥方が実家に家出したのは」

「ぐっ……」


 心地よい温もりに気が抜けたのか、はたまた外から聞こえる雑談が貴族らしくなくて笑えたのか、ライリーはいつの間にか意識を夜の闇に溶かしていった。

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