第5話 来訪者
その日は風が強く吹いていた。
雲の流れが早く、その空模様からあと数日もすれば豪雨になるだろうと予想がつく。
それは農場で働く誰もが思ったことで、朝から苗床を屋内へ移動させたり支柱を補強したりする作業を進めていた。
(風、強すぎるだろ。早めに窓を補強しないと、嵐の前に壊れちゃうかもしれないな)
ライリーは外に出ていた苗を運びながら、今日中に窓の補強をしようと決めた。
そして、仕事を終えてシャワーを浴びると、いつものように孤児院へと出発し、その途中で不足している道具を買い集めていく。
それなりの重量になったが致し方ない。
ライリーは自分で両頬を叩いて気合を入れた。
いつもより少し遅いペースで歩いていると、孤児院に続く舗装されていない道に、新しい馬の蹄の跡が残っていることに気がついた。
またどこかの貴族が王や他の貴族にアピールするために寄付しに来ているんだろう。
(なぁにが『ノブレス・オブリージュ』だ。そんなこと言うなら、どこの孤児院も飢えや寒さに苦しまないくらいしっかり寄付しろ、クソが)
貴族の偽善と見栄に反吐が出そうになる。
だから貴族は嫌いなのだ。
苛つきながら丘を登っていると、ようやく孤児院が見えた。
そして、その前に止まる馬たちも目に入る。
近づくと、その馬たちは手入れが行き届いているのか、毛並みが艶々としていた。
それさえも苛立ちを増長させ、うっかり舌打ちをしてしまう。
幸いにもそれを聞いたのは馬だけだ。
苛立ちはしたが、貴族に飼われているだけの馬に当たるのはお門違いであることは当然わかっている。
言葉がわからないとはいえ、非礼は詫びなければ。
「ごめん。つい、ね」
馬たちは、軽く頭を下げたライリーを一瞥すると、フイと興味が失せたように視線を逸らした。
ライリーはその横を静かに通り過ぎ、玄関ドアに耳を当てる。
人の気配はなく、とても静かだ。
きっと義母が大広間で貴族の相手をしているんだろう。
貴族が来た時、子どもたちはそれぞれの部屋に戻される。
貴族たちはうるさいのが嫌いだ。
子どもが騒ぐのは当たり前であり、何を言っているんだと、何度もベッドに拳を落としたものだ。
だが、例え少額でも金を落としてもらわなければならない。
そのため、子どもは皆、仕方なく自室に閉じこもって息を潜めるのだ。
大人になったライリーは騒がしいなんてことはないが、威張り散らす貴族になど会いたくない。
しかし、どれだけ時間がかかるかもわからないのに、外で待つのは馬鹿らしい。
貴族に気を遣うのは腹立たしいが、鉢合わせないように気をつけて移動し、窓の補強の準備をしよう。
ライリーはそっと玄関ドアを開けた。
普段の賑やかさは鳴りをひそめ、しんと静まり返っている孤児院は、まるで無人のようだ。
ライリーは大広間の奥にある倉庫へと忍び足で進む。
玄関から入ってすぐ、大広間に繋がる扉の前に通りかかった時だ。
聞こえるはずのない子どもたちの笑い声が聞こえた。
(え、どういうこと?)
ライリーは体の向きを変え、驚きながら静かにドアに耳を当てて中の様子を窺った。
義母が柔らかく話す声と、それに相槌を打つ聞き慣れない声。
そして、子どもたちがいつもよりボリュームを抑えてそれぞれ談笑している声が聞こえてきた。
「誰が来てるんだ?」
「王城の騎士さまだよ」
「うわっ! びっくりしたぁ」
疑問に答えてくれたのは厨房から出てきたクリスだ。
その手にはトレーがあり、その上にお茶用のポットが乗っている。
どうやら追加のお茶を取りに行っていたようだ。
ライリーはびくりと体を跳ねさせただけのはずだが、クリスにとってその様子はかなり面白かったらしい。
堪えきれない笑いが吐息と一緒に漏れているし、トレーの上のポットがコトコトと小さく踊っている。
恥ずかしくなったライリーは話を逸らした。
「王城? なんで?」
「ライリー、君に用があるらしいよ。子どもたちにお菓子を持ってきてくれて、もう一時間くらいお茶しながら待ってくれている」
「は? 俺?」
「そう。まったく、騎士さまが来るようなこと、何したの?」
「何って……」
再び間抜けな顔をしたライリーに、クリスはとうとう笑い声を上げた。
いや、笑っている場合ではないだろう。
(嘘だろ? まさかギルドに出入りしていることが関係している? 仮にそうだとしても、何で王城の騎士なんかが来るのさ。しかも子どもたちにお菓子まで持ってきて、優雅にお茶までしてるなんて……)
まったく意味がわからない。
王城の騎士がライリーを訪ねてきたことも、クリスが能天気に笑っていることも。
ドクドクと逸る胸に、苦しくなる息。
冒険者をしていることが義母や子どもたちに露見したら、ライリーはもう生きていけない。
そんな不安を感じ取ったのか、クリスは戸惑うライリーの背中を撫でた。
「ライリーが何してたって、僕らは君の味方だよ」
愉快に笑うのを止めたクリスは、ふわりと優しく微笑む。
その瞳には絶対的な自信があり、大広間のドアを開けるようライリーを促した。
(クリス兄さんがそう言ってくれるなら……)
クリスの後押しでライリーは覚悟を決め、大広間のドアを開けて中に入った。
食堂も兼ねている大広間では、子どもたちがクッキーや丸くてコロコロとした形のお菓子を分け合って食べている。
そして、子どもたちと机を少し離した席で、義母と騎士であろう男二人、女一人が談笑していた。
「それで、ライリーったら軽々と木から降りてきたのよ。こっちはヒヤヒヤしたけど、本人はケロッとしててね」
「へぇ、身体能力が本当に高いんですね」
どうやらライリーの昔話に花を咲かせていたようだ。
多分、木登りをしていたことを、初めて義母に知られた時の話だろう。
子どものころ、いつもは皆でわいわいと騒いでいるが、ふとした瞬間、一人になりたいと思うことがあった。
しかし、孤児院の中で一人になることは難しい。
木の上にいる間は一人になれるからと逃げるように木登りをし、無心で空を見上げ、流れる雲を眺めていたことがある。
ある日、義母に見つかり危ないからと叱られたが、理由を聞かれて話すと、時間制限と事前申告制の条件付きで許可が下りた。
それ以来、ライリーは義母との約束を守り、木に登っていたのだ。
(いつの何の話をしているんだよ、
過去のやんちゃが知らないうちに暴露され、全身から火が噴き出そうなくらい恥ずかしい。
この場から逃げ出したい気分だ。
しかし、ライリーが大広間へ入ってきたことに気付いたのか、一人の男がこちらを振り返った。
その碧眼に貫かれ、ぞくりとライリーの背筋が粟立つ。
二十代前半くらいの、少しカールした燃えるような夕陽を想起させる赤い髪に、精悍な顔立ち。
騎士らしくがっしりとした体格に、ラフに着こなされた黒い服。
彼はライリーと目が合うと、うっそりと口角を上げた。
(うわぁ……嫌な予感がする顔。にしても、こいつ、どこかで……?)
妙な既視感の正体を探るため男を凝視するが、ピンとくる記憶はない。
「ライリー、来たのね。あなたにお客さまよ。こちらに」
「はい」
男の反応でライリーが現れたことに気付いた義母は、いつものように和かに微笑んで手招きをした。
ここまできて断るわけにもいかない。
ライリーはそれ応じ、義母の隣に立った。
「ライリーと申します」
孤児院育ちでも、庶民の底辺にいても、最低限の礼儀は身に付けているつもりだ。
人見知りを自認しているライリーだが、今まで見たことのない貴族に対して失礼がないように一礼する。
不敵に笑う、最初に目の合った碧い瞳の男。
その隣で柔和な笑みを浮かべているのは、三十代後半くらいの明るい茶髪と焦げ茶の瞳の男。
そして、机を挟んで対面、義母の隣に座っているのは、二十代後半くらいの黒髪に金の瞳を持つ凛々しい女。
三人とも騎士の出立ちではない。
ただ、暗い色で統一され、旅に適した軽装ではある。
そして、それらが手触りのいい高い服だというのは近くで見るとよくわかった。
ライリーが三人を観察する代わりに、三対の目もじっとライリーを凝視して品定めしている。
居心地の悪さを感じていると、人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、茶髪の男が口を開いた。
「王宮近衛騎士のファングだ。彼はユリウスで、彼女はエラ。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
ファングはそう言って手を差し出してきた。
王宮近衛騎士は、貴族しかなれない。
それは学のないライリーも知っている常識的なこと。
大嫌いな貴族と握手だなんて、考えただけで全身に虫が這うような気持ち悪さに襲われる。
もの凄く嫌だったが、断るような無礼をするわけにはいかず、ライリーは大人しく手を出して握手をした。
義母とライリーがファングに着席を促されて椅子に座ると、クリスがお茶を淹れ直してそれぞれの前にカップを置く。
そして、彼はライリーたちの邪魔にならないようにと子どもたちの方へ戻っていった。
もう逃げることはできない。
一体、彼らは何が目的でライリーを訪ねてきたのか?
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