第4話 大切な家族

 そんなことがあったのは一週間前。

 ライリーはこれまでと変わらず平穏な毎日を過ごしていた。

 

 朝起きて顔を洗い、瑞々しいオレンジと同じ色の作業着に着替える。

 部屋から出れば同じように身支度をした同僚たちと挨拶を交わし、朝食前に一仕事だ。


 東西に伸びる従業員寮の中央にある、南側の玄関から外へ出ると、視界いっぱいに畑が広がる。

 朝露に濡れた葉。

 枝の先に重く成った実が、朝日に照らされて煌めいていた。


 少し冷たい早朝の空気を吸い込むと、柔らかな土の匂いがする。

 ライリーはこの土の匂いが堪らなく好きだ。

 地属性の魔術の適正があるからか、特に朝一番の土の匂いが心地よく感じる。


「よし!」

 

 何度も深呼吸をして朝の空気と土の匂いを堪能すると、ライリーは同僚の後に続いて畑の手前にある農具倉庫に向かい、車輪付きの籠と収穫用の包丁を手に取った。

 そこからそれぞれの担当場所まで行くと、旬を迎えた野菜たちを手早く、だが傷付けないように優しく触れて収穫する。

 

 ライリーの今の担当はラディッキオという葉物の野菜だ。

 ドレスの裾のように広がった葉の中心にある葉の玉を上から軽く押し、中身が詰まってる感触を確認する。

 ぎっしり詰まっているなら収穫だ。

 その側の葉を掻き分け、太い芯に包丁の刃を当てて切り取り、余分な葉を落とすと、優しく籠へと入れていった。

 

 ライリーが働き生活しているのは、ハルデランに古くから根付いているノーラン一族が運営する農園だ。

 肥沃な土地を広く所有しているノーラン農場は、サニーラルンの食料庫といっても差し支えない。

 ハルデランの街の南側に広がる広大な敷地では、主食であるパンの原料の小麦から野菜、果物に至るまで栽培しており、収穫されたそれらは国全土に流通している。

 

 ライリーには地の属性の魔術の適性があり、ある程度扱えもしたため、採用試験の会場で合格を言い渡された。

 就職してからは、作付期の直前は畑を耕したり畝を整えたりする作業に重宝されており、一人で生活する分には給料も申し分なく、満足している。


 また、ここは孤児院出身で学のないライリーでも雇ってくれる上に、それを理由に見下げてくる胸糞悪い奴がいない。

 そもそも、ここで働いている人の殆どは家業を継げなかった次男、次女以下の者たちや、長年なんらかの理由で引きこもっていた者たちだ。

 温厚で人見知りが多い職場で喧嘩や、ましてやいじめなど起こるはずもない。

 孤児院に身を寄せて街で日雇いの仕事をしていた時より何倍も楽だ。

 集団生活ではあるが、煩わしいことは何もなく、実に快適に生活している。

 

 朝の収穫が終われば朝食の時間だ。

 福利厚生が抜群にいいこの農場には、従業員寮に寮監夫婦がいて、共有スペースの掃除や食事の用意をしてくれている。

 従業員は仕事に集中でき、ある程度自分の時間も確保できるようになっているわけだ。

 大人数で囲む食卓は楽しい。

 男や女、年上や年下など関係なく談笑して、そして本格的に仕事に出る。

 

 畑を耕して、種を蒔く。

 水を与えて芽が出るのを待つ。

 命を育むのは面白い。

 目に見える成果があり、これらが国中の食卓に置かれると思うと誇らしくなる。

 農夫こそライリーの天職だ。

 

 昼食を終えて作業を再開し、夕方になる前には仕事が終わる。

 ライリーは仕事が終わると軽くシャワーを浴び、普段着に着替えて農園をあとにした。

 

 向かったのはハルデランの西の外れ。

 その丘の上にある、ライリーが育った場所。


 坂道を登るごとに徐々に見えてきたのは、いつ建ったのかわからないほど古く、あちこちに修繕の跡があり、教会に似た建物だ。

 二階建ての孤児院は、ライリーが人生の半分以上を過ごした場所。

 生まれた場所も両親もわからないライリーにとって、孤児院は実家であり、守り続けるべき場所だ。


 玄関ドアを開くと、嗅ぎ慣れた石鹸の香りが鼻腔を擽った。

 その匂いは、ライリーを無性に安心させる。

 孤児院から農場の従業員寮に移り住んで四年ほど経つが、未だにここが自分の家だという感覚だ。

 いい加減、精神的にも自立しなければと思うのだが、こればっかりは中々改善できることではなかった。


(こんなんだから同僚みんなから子ども扱いされるんだろうなぁ……)


 ライリーは同僚の中でずば抜けて若い方だが、一番若いわけではない。

 しかし、何がそうさせるのか、立派な成人であるにも関わらず子ども扱いされることが多い。

 彼らは、何かあるとすぐに飴などのお菓子を与えてくる。

 それ自体は嬉しいが、そろそろ大人として扱ってほしいものだ。

 

 ライリーは苦虫を噛み潰したような顔になったが、キャッキャッと響いてきた楽しげな子どもたちの声に、すぐに頬を緩ませた。

 陽気な声は、玄関ホールに面している大広間から聞こえてくる。

 ライリーはそのドアを開け、子どもたちに声をかけた。

 

「皆いるか?」


 すると、仲良くトランプをしていた子どもたちがパッと顔を上げた。

 溌剌とした笑顔は真夏の太陽のように眩しい。

 着ている服が何代も受け継がれたものであろうとも、手にしているトランプが色褪せていようとも、その輝きが翳ることはない。

 

「あ、ライリー兄ちゃん」

「皆いるよ!」

「今日は何するの?」

「僕も手伝う!」

 

 トランプを手にした子どもたちがライリーに向かって駆け寄ってくる。

 最初に到着したのは、わんぱく盛りの子たち。

 次に、トテトテと危なっかしい足取りで向かってくる幼児組。

 遅れて、ヨチヨチ歩きのチビと、その手を引いて補助をする年長者組がやってきた。


(ほわぁあああ! 癒しだぁ……)


 ライリーの心臓は、子たちの可愛さにノックアウトされた。

 存在そのものが尊い。

 そんな尊い存在が笑顔を向けてくれる。

 なんて幸せなんだ。

 ライリーの緩んだ頬がますます緩んでいく。

 

 この孤児院は、下は三歳から上は十八歳まで、二十人が受入対象だ。

 しかし、孤児院というだけで乳飲み子が玄関前に置き去りにされていることもある。

 かくいうライリーもその一人だった。

 

 そういった事情から孤児院はいつも定員オーバーで、今いるのは二十二人。

 建物や備品を見れば、誰もが運営状態は芳しくないことを悟るだろう。

 

「今日は雨漏りしているところを直すよ。皆は梯子を支えるのと、道具を俺に渡すのを手伝ってほしいな」

 

 子どもたちが足に抱きついてくるのを受け止めて答えつつ、今日の指示を出す。

 すると、全員お行儀良く手をあげて「はーい」と返事をした。

 

(ああ、もう……! 素直で可愛いなぁ!)


 ライリーは心中で悶えながら、子どもたちを引き連れて修繕道具のある倉庫へと向かう。

 倉庫から事前に買っておいた板と工具を取り出し、何か持っていきたいとはしゃぐ子どもたちに「振り回すなよ」と注意した上でトンカチなどを渡した。

 お利口さんの子どもたちは、ライリーの言いつけを守り、楽しく話しながら雨漏りしている部屋へと進んでいく。

 

 その二階へと続く階段の途中で、義母のカレンに会った。

 彼女の手には箒が、傍にはバケツと雑巾がある。

 ここまで来ているということは、掃除も終盤だということだ。


義母かあさん」

「あら、今日も来てくれたのね」

「もうすぐ嵐の季節だろ。早く雨漏りしているところを直さないと」

「ありがとう。ちゃんと休めているの?」

「大丈夫だって! 飯も義母かあさんたちより食えてるよ」

「そう……。ありがとうね」

 

 子どものころは大きく感じた義母も、今は年相応に老けているし、ライリーより小さい。

 その顔には疲労が濃く陰っている。

 

 義父のライナーが肺の病で亡くなって三年。

 元々は義父たち夫婦とその息子のクリスが切り盛りしていた孤児院を、残った二人で運営するには人手が足りない。

 子どもの中でも年長者の手助けはあるが、保護されるべき子どもたちに重要なことは任せられない。

 助かっている部分はあれど、それはほんの一部のこと。

 義母が疲弊するのも当然のことだった。

 

 そんな彼女や子どもたちのことが、ライリーは心配で堪らない。

 

「母さんこそちゃんと休んで。夕飯は俺が作るから」


 すると、それを聞いた子どもたちから悲鳴が上がった。

 

「えっ」

「それは……」

「嫌だ」

「あれはちょっと」

「ボリボリする人参……」

「それは内緒でしょ」

「あっそうだった」


 隠しきれない本音を聞き、ライリーは雷に打たれたような衝撃を受けた。

 確かに料理の才能はない。

 しかし、孤児院で生活していた当時よりは腕は上がっていると思っていた。

 

「おい、そんなに俺の料理が食いたくないのか?」

「当たり前だよ!」

「あれは食べ物じゃない!」

「そーだそーだ!」

 

 純真無垢な子どもたちは、オブラートに包むということを知らない。

 それ自体は悪ではなく、だからこそ聞ける本音なのだが、ショックを受けているところに追い討ちをかけられ、ライリーはわかりやすく項垂れた。


 そんなライリーの肩を叩いたのは、子どもたちの中では最年長で、来年には卒院するユーグだ。

 

「ライリー兄さん、今日は俺が作るよ。兄さんは雨漏りの方をお願い」


 にっこりとした笑顔の後ろに、吹雪が見える。

 見えない圧は、まるで「キッチンには入るな」と言っているようだ。

 いや、そうに違いない。

  

「うん……」

 

 ライリーはユーグの押しに負け、素直に頷いた。


 それがあまりにも可哀想だったのだろうか。

 義母は背伸びをしてライリーの頭を撫でてくれた。


「ライリー。あなたは地の魔術と仕事で培った知識で、庭に畑を作ってくれたわ。とっても助かっているのよ。だからね、あなたはあなたの得意なことを伸ばしていけばいいの。ね?」


 優しく諭し、慰められ、胸が温かくなり、雲のようにふわふわと飛んでいきそうな心地になる。


「うん、ありがとう」

 

 ライリーはそれに頷くと、気を取り直して子どもたちを引き連れ、雨漏りしている天井を直すため、止めた足を動かし始めた。

 作業は慣れたもので、四箇所直せば終わりだ。

 あとは嵐の前に窓を補強しなくてはならない。

 

 年に一度、夏の終わり頃からおよそひと月に渡って訪れる嵐は、季節を変えるためにやってくるという。

 それを乗り越えるためには十分な備えが必要だった。

 

 孤児院は主にクリスが街中で日雇いの仕事を掛け持ちして得られたお金や、ライリーのように卒院した子どもたちの仕送りで運営されている。

 その他は寄付だ。

 

 主に貴族からの寄付だが、それは往々にしてその他の貴族へのパフォーマンスで、そのため大した金額ではない。

 ライリーがいた時から運営は火の車で、卒院した子どもたちからの仕送りがあっても足りない。

 かといって引き取られていく子どもは少なく、人数が減るのは十八歳になり成人を迎えた子どもが独り立ちするときくらいだ。

 職員も今は二人。

 完全に人手不足で、金不足だ。

 

 ライリーもここから独り立ちして農園で働き始めると同時に、義兄や義姉たちがしてくれたように仕送りを始めた。

 だが、金額は微々たるものだ。

 その上、卒院して半年後には義父が急死しために孤児院の運営はさらに苦しくなった。

 ライリーは苦肉の策で、誰でもなれる冒険者となり、ギルドに出入りし始めたのだ。


 冒険者ギルドはどこの街にもある。

 その街の依頼を受けて冒険者に斡旋するなんでも屋であり、魔獣を駆除し、その素材を市場に流してくれるありがたい組織だ。

 どんな身分でも実力次第で一攫千金を狙える仕事でもあるため、冒険者は特に男児から憧れの眼差しでみられる。

 たが、そんな冒険者にも悪人がいる。

 

 それを知ったのは、ライリーが十歳の時だ。

 流れの冒険者が嵐だからと孤児院に泊まったことがあった。

 その日は義父もクリスも帰りが遅くなっていて、いるのは義母とライリーをはじめとする子どもたちだけ。

 何が起こったかというと、子どもへの暴力と義母への性的暴行だ。

 運良く義父とクリスが帰宅し、義母への性的暴行は未遂に終わったが、抵抗したライリーたちは全員が怪我を負った。

 不届者はハルデランの自警団に引き渡し、冒険者ギルドからは見舞金が出たが、それ以来、冒険者は嫌悪の対象となり、冒険者ギルドも含めて禁句となっている。

 

 そんな場所に依頼を受ける側、つまり冒険者として出入りしていることが義母やチビたちに知られたら軽蔑され、悲しまれるだろう。

 その上、ノーラン農場は体が資本ということもあり副業禁止だ。

 冒険者をしていることが明るみに出れば解雇だ。

 しかし、嫌悪する冒険者になってでも、ライリーはここを守りたかった。


 それが、ライリーが冒険者を嫌悪していても、冒険者としてとして働く理由だ。

 

 農園で仕事をして、終われば孤児院に行って建物や備品の修繕をしたり子どもたちの遊び相手をしたりする。

 不審者の男の件があったため、冒険者家業は暫し休業中。

 そんな毎日を繰り返していたライリーのところに、彼らはやってきた。

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