第6話
貞操逆転世界と言っても、歴史上の人物が全員女性に変わっていたなどの変化はなく、授業内容には支障は出ていない。
授業自体は前世で習ったことがあるようなものだ。
ただ、通常の授業がちゃんと理解できているかといったら……。
「ですから、この問題ではこの公式を使い———」
メガネ美人な数学教師のハキハキとした声が響き渡る。
教室内は真面目に授業を受ける女子やこくりこくりと船を漕ぐ女子もちらほら。
前の席の里琉は、背筋がピンと伸び、端から見える手に握っているシャーペンは黙々とノートに書き写している。
里琉は真面目に授業を受けていて偉いなぁ〜。
さて、俺はというと……黒板の文字と教科書を交互に目を通しつつ、ずっと顰めっ面をしていた。
数学。
それは小中高といかなる学年であっても、誰もが苦手とするだろう教科。
しかも今習っている分野は、俺が前世でも苦手としていた三角比だ。
サイン・コサイン・タンジェントの単語は今でも覚えている。
それ以外はさっぱりだ。
三角比の値、覚えるの多すぎぃ!?
平方根お前まで出てくるな!
まてまて、外接円の半径とか正弦定理とか余弦定理とか答えは数字のくせに問題文に漢字ばっかり使ってくんな!!
数学の授業って他と比べてなんでこんな難しいんだろうなー。
再び先生の解説に耳を傾けるも、何言っているのさえ分からず、授業内容がまるで入ってこない。
だが、ここでサボると中間テストに響くんだよなぁ。
この世界の先生たちは男子には甘く、テストで赤点を取ろうが、叱られることもないし、補習もない。
「次も頑張りましょうね」と一言言って終わりだ。
しかし俺は、前世よりもいい点を取りたいという思いもあり、一応は勉強する姿勢ではある。
だって一応、高校生活2週目だぜ?
前の自分よりかは色々と成長したいじゃん?
俺って意外と負けず嫌いなのかも。
まあこんなカッコつけたこと言っているが、今の授業は分からなすぎてノート白紙なんだけどなっ。
ため息をつきそうになっていると、隣からトントンと机を叩く音がした。
「眉間に物凄くシワを寄せて更科君は将来はいい歌舞伎役者になりそうね」
小馬鹿にしたそんな小声も聞こえた。
見ると、長髪を耳にかけ、フッと小さく笑いを漏らした氷川と目が合う。
「ではお手を拝借。いよぉ〜ーーっ」
「それは一本締め。どちらも掛け声が似ているってことでボケたみたいだけど、ちょっとキレが足りないわね」
「キレってなんだよ。……はぁ」
「あら。いつもならもっと言い返すのに珍しいわね」
「いや、数学に頭やられていて気力がないんだよ……」
考えても考えてもわからないことって頭が余分に疲れるよなぁ。
一方、氷川は俺のように疲れた様子はない。
むしろ、俺をイジるぐらい余裕があるようで。
「貴方、馬鹿ね。いっぺんに解こうとするから分からないよ。勉強のコツは、時間を掛けてもいいから1つずつしっかり理解すること。だって、しっかり理解したものはたとえ忘れたとしても思い出せるでしょう?」
「確かに」
理解したものなら、ふとした時でも思い出せるな。
数学ではないけど、化学の元素記号の覚え方、『すいへーりーべーぼくのふね〜』は未だに覚えているし、なんならふとした時に口ずさんでいる。
「でもこの授業は始まってから1つも理解できないんだけど。だから氷川が教えてくれよ」
「えっ」
氷川は驚いたように固まったが、そんだけ言えるってことはこの授業は理解しているだろう。
実際、氷川は頭がよく、中学では学年1位にもなったことがあると他の女子たちから聞いた。
「よいしょっ」
俺は机と椅子をできるだけ静かに動かす。
俺の席は教室の一番後ろ端、窓際の一角とあり、周りは俺が移動したことなど気にも留めないだろう。
かと言って机をピッタリとくっつけるのもどうかと思い……拳一個分ぐらいの隙間を残して机を寄せる。
氷川とは肩がぎりぎりぶつからない程度の距離。
氷川のきりっとした凛々しい美人顔が傍で見れるのは眼福である。
「じゃあここの問題から教えてくれ」
教科書をできるだけ氷川が見やすいように端に寄せる。
比較的優しいであろう教科書の例文ですら俺はさっぱり分からないのだ。
「……」
「氷川?」
「っ、ええ。分かっているわよ……っ」
俺が首を傾げていれば、氷川は何故か……顔ごと俺から逸らした。
「いや、なんで!? こっちを見て教えてほしいのだがっ」
「……嫌よ。今、貴方の顔は見れないわ」
「そんなに俺の顔が面白いか? ほら、もう1回こっち向いてみろよ」
「……絶対変顔しているでしょ」
氷川が確信したようにワントーン低い声で言う。
バレたか。
ちなみ今はひょっとこみたいに口を尖らせたアホ顔をしている。
「教えて欲しいならちゃんと真面目な顔になりなさい」
「はーい」
まあ俺は教えてもらう立場なのでここは素直に従う。
その後はいつも通りのクールな表情にクールな口調に戻った氷川。
時折、毒舌を挟みながらも、公式の覚え方から問題の解き方まで一通り教えてもらった。
「はへぇー、なるほどな。氷川の教え方は分かりやすいなっ」
氷川の解説を受け終わり、試しに教科書に載っている問題を解いてみる。
さっきまでペン回ししかやることがなかったシャーペンがすらすら動き……式と答えまで書けた。
「やればできるじゃない」
俺が書いたノートを見た氷川の綺麗な唇の端が上がる。
これは答えが合っているということだな。
「おお! ありがとうなっ。一度解ければ他の問題も解く気になるわ!」
にしっと歯を見せて笑い、お礼を言う。
教えてもらってよかったなどと思っていると、氷川は何やら呆れた表情で大きなため息を吐いた。
「ん? どうした?」
「更科君って……本当に女子に対して危機感がないわよねぇ。私たち、こんなにも距離が近いのよ?」
「距離?」
氷川にそう呟かれ、改めて見る。
俺と氷川は互いの肩と肩がぎりぎりくっつかないぐらいの距離で並んで座っている。
でも彼方とはいつもこの距離感であるし、注意されないってことは別に変ではないと思うのだが?
「その様子だと何がいけないのか分かっていないみたいね。貴方は授業よりも女子との距離感を勉強した方がいいと思うわよ。男子は女子に対してそんなに無警戒に距離を埋めてはいけないものよ。それとも、私のことは女の子として見ていないのかしら?」
「何言ってんだ。氷川は女の子だし、美人で可愛いじゃねーか」
「……」
話の流れとして俺は当然のことを口にしたつもりだったが、氷川はその大きな瞳を丸くしていた。
「え? もしかして褒め慣れてない感じなのか? 氷川って意外と無自覚美人だったのか」
「……貴方ねぇ。はぁ……。相変わらず、無自覚無防備ね。そんなに危機感がないと……」
「危機感がないと?」
「……。やっぱりなんでもないわ」
プイッ、と。氷川は顔を俺から背けるのだった。
それから残りの時間、俺は机と椅子を戻して問題を解く。
不意に横目で見た氷川の頬は……ほんのり桜色に染まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます