求めるもの

 昔話の改変。

 よくあるねぇ。

 向こうの世界でも良くある話だ。

 こちらの世界は分かりやすくするための改変らしい。


 向こうの世界の改変は、昔話が残酷すぎると子ども向けに内容を、特にラスト変えちゃうやつ。

 それを「子どものため」と謳って。


 私は内容を変えるのは好きではない。

 だって、考えてみてほしい。

 始めから「昔話だ」と言っている。


 そう、昔の話だ。

 それこそファンタジーなのだ。

 なのに可哀想だのなんだのと内容を改変するのはおかしな話だと思う。


 最終的に酷いことをしても、報復もそこそこで、仲直りしてしまっては「どんなにひどいことをしてもなんとかなる」と思ってしまうかもしれない。


 物語のなかですら復讐は許されない。

 酷いことをされても笑って許せと課してくる気がする。

 みんな仲良くお手て繋いで、っていう話が好きならそういう本を読めばいい。


 世の中、優しい人ばかりではないのだ。

 昔話が内容的にひどすぎるなんてことはないのだ。

 結局は、因果応報、自業自得、身から出た錆だから。

 教訓が含まれているから良いのであって、成り立っている話。


 それを改変するのはきっと「子どものため」ではないのだ。


 大人が子どもに自分達の醜い世界を見せたくない、きれいな世界だけを見てほしいというエゴを感じる。


 そしてそれを受けとる方はきちんと受けとるとは限らない。

 恐怖も不安も感じなかったら、教訓だって伝わらない。


 だってそれは優しさじゃないのだから。

 残酷のなかに優しさがあることだってある。

 痛みをしらない人は、痛みを想像することしかできない。

 いや、もしかしたら想像すらできないかも


 だからといって、全員が同じ話を読んで同じように思わなければならないわけではない。

 別に平和な話が好きな人はそれを読めばいい。

 選択肢がたくさんあるのは良いことである。


 だけどそれを他人に押し付けてはいけないのである。


 ハッピーエンドが嫌いなわけじゃない。

 あまりにも皆キラキラで終わるような話はあまり好きじゃないけど。

 尻切れ蜻蛉で打ちきりエンドの方がよっぽどか気に入らない。

 でも、救いのない話も嫌いじゃない。


 だれとも話が合わなかったんだけど。

 それをわかってて、直さない自分がいることも知ってる。

 話に求めるものが違うだろう。




 今回はただ話の流れを確認したいだけ。

 そしてあわよくば、他の昔話も知りたいとも思ってはいるが。

 昔話、伝説、神話、民話、お伽話、割りと好きなんだよね。


 そんなことを考えながら売場を移動する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る