第35話 “否が応でも-①”
……手が、本来の形に戻り始めている。それはつまり、彼女が例の怪物どもと同種の存在であることを指し示す最大の証拠だ。
「ち、既に人でなしだったか……っ! なら人の形してんなよ、化け物め!」
そう悪態をつきつつ、右胸にセミオート射撃を叩き込んでいく。ただの一射も外すことなく9x19mmの弾丸は胸板を貫いていくものの、それを気に留めようともしない様子で彼女はひょいと落ちた注射器を拾い上げた。
──屈んだ瞬間に血しぶきが額に飛びかかっているというのに、彼女は瞬き一つしない。先刻までとは全く異なる暗い表情を片時も崩そうとしないまま、首元には注射器が当てられる。……何が入っているのかなんぞ知りたくもないが、碌でもないという事だけは確かだ。故に、セレクターをフルオートに切り替えてしっかりとストックを肩に当て直しつつ叫ぶ。
「そんな時間、僕が与えてやると思っているのか!」
と、声を出して肩に力を入れつつ指先に力を込めてトリガーを引き切る。指切りをしない、火力だけを考えた集中砲火だ。薬莢が飛んで落ち、それにもまた落ちてきた薬莢が当たって甲高い音を鳴らしていく。
胸部が血に染まっていき、衝撃をその身で受けながらも、彼女の首筋の注射器の中身は未だ減り続けている。すっと額から何かが鼻先まで降りて来るのを感じた時、ついに肩に来る衝撃は止まった。薬莢は全弾撃ち終わった後に何発か分だけ落下音を響かせ、それっきり。
「ち、マジか……! 火力不足かよ、二十と何発か撃ち込んだ上で!」
吐き捨てながらも、するべき動きは身体が覚えている。ボルトを後退させて引っ掛け、パドルを押し込みながら空弾倉を外して尻のポケットへ。そしてズボンから新しい弾倉を引っ張り出して装填し、最後にボルトを左手で叩いて戻す。
──しかし、その時には既に遅かった。緑色が、無くなっていた。
「あ、ァ……カカ、ク……!」
さっきまで受けていた銃撃は気にも留めないというのに、彼女は今になって急に苦しみもだえて蹲る。母親の腹の中にでも居るかのように見せてくる背中に向け、銃口を向けて数発銃撃。効かないという事は百も千も承知だが、弾の一発でも撃っていなければやっていられん。
あの状況、注射器そのものを破壊した方が……いや、やめだ。こんな状況で脳内一人反省会なんぞしたってどうにもならない。
幸いなことに、まだ変態はしていない。──いや、性的嗜好のことを考えているわけではないが──ともかく身体は人間のままだ。殺し切るなら、今しかない。僕は警戒しつつも一息に彼女の方に飛び込むと、蹲ったその背中を右脚で踏みつけつつ無理矢理彼女の真上から銃口を右胸に向け、引き金を引く。壁こそないものの、サイトを使用しない……所謂、ゲリラ撃ちというやつだ。
手首には発砲の衝撃が突き刺さり、反動で銃口がぶれながらも血飛沫は右脚を赤く塗りつぶさんとしている。尤も、それが効果を発揮しているとは到底自分でも考え得ないのだが。
「こなくそっ、やっぱ駄目か! 何か他に手は……⁉」
と、ここで二本目の弾倉も弾切れか。仕方なく再装填を行おうとしたところで、靴の裏から何かが突き上げてくるような感触がした。
──いや、違う? 突き上げているのではなく、押し上げている?
「っ、まずった……! ドグサレが!」
「ぅ、ぁ、ゥうァァっぁああ……ッ! が、ぁ……!」
真っ白な制服が風船のように盛り上がっていくのを一瞬視界に捉えるやいなや、自分の置かれた状況を一秒とかからずに解した僕はその膨らみの勢いを利用しつつ右足で蹴りを入れるように力を込めて飛び退く。
一瞬の浮遊感の後、尻から背中にかけて叩き込まれる衝撃。そして、そのオマケと言わんばかりに主張している擦れる感覚と小石の突き刺さる痛み。しかし目の前の光景を踏まえてしまうと、そんな痛みなどどうでもいいと言い切れてしまうのはここにいる全員がそうであるはずだ。
「うぅぅっ、く、ぁ……ぁぁ、っ!」
立ち上がったかと思えば、自身の肩を強く抱いて彼女は呻く。そしてその身を少しよじらせると、東さんは肩で息をしつつゆっくりとこちらを向いてきた。
……口が、少し開く。先程まで意味のない呻きばかりを発していた彼女は、しかしその口で僕らの方を向いてたった一言。
「に……っ……」
ああ、わかった。わかってしまったんだ、何を言おうとしていたのか。クソ真面目に日本語の勉強なんてしていたらこれだ。いくら仕事だからって、気分がいいというものでもないというのに。
表情を見るべきじゃなかった。これじゃ死にかけの僕の何十倍も、何百倍もマシな表情をしていると思わされる。覚悟とかそういうのが、色々と違うのだろう。テロリストのくせに。あるいは、テロリストだからこそか。
「……ちぃ! 優羽さん下がれ、何かヤバそうだ! 僕の盾の後ろに隠れて、流れ弾を防ぐんだ!」
「ぇ……? あ、ぁ……?」
──だと思った、などと言うつもりはない。状況を鑑みればこれは当然なのだから、もっといい方法を取るべきだったのは自明の理である。
だが、そうも言ってはいられまい。とりあえず彼女は一旦放っておき、目の前の問題に集中しようとしてみるが……しかし、そこで僕は銃を取り落としそうになる。構えの姿勢を取ろうとしていた腕から、力が抜けてしまったから。
「マジか、これ……」
「ァァ……ッ! カクカッ!」
地面に足が付いていない。幽霊のようでいるし実際に幽霊のようなものだが、それにしたってこれは異常な光景である事には代わりはあるまい。
……脚はある。手も、身体もある。それどころか、ありすぎるのだ。
背中から、胴体と同じくらいの太さの何か──おそらく、蜻蛉の胴体から尾にかけての部分なのだろうが──とにかく、“それ”が生えてきていた。ご丁寧に、4枚の羽までついたまま。そしてそんな姿を恐怖とともに少しばかり観察していると、彼女は今度は両手を少し回して手の平を両方ともこちらに向けてきていたのだ。
「ち、こなくそ……! この程度の異形なんぞ、こちとらもう昨日の今日で見飽きてんだよ!」
と、叫んで気合を入れつつ銃口を向け直す。そしてそこから瞬間を経て、彼女の両手は先からどんどん変質していく。黄緑色の、背中に生えてきたものとは全く別の……まるで刃を象るように、それは肘まで変質した。
体育館が生み出す夕陽の影のせいで、明確には見えないが……蟷螂、か。いかにも攻撃力の高そうな見た目を選んだのは、一体誰なのだろうか。本人でないことを、願うばかりだ。
──なんて無駄な事を考えていると、彼女の腕に動きがあった。いつでも迎撃できるようにとサイトを深く覗き込むと、両の腕が……いいや、刃が胸の前で交差されながらゆっくりと斜めに上っていくのがわかった。ファイティングポーズ、のつもりなのだろうな。
「来い、蟷螂女……!」
汗を顎から落としつつ、僕の口からはそんな言葉が滲み出てくる。そしてそれに応えるように、東さんの形をした“ナニカ”も、X字に重ねた両腕を切り裂くように後方へと振り払いつつその勢いで前傾姿勢を取った。
……そうしてお互いに臨戦態勢のまま、しかしどちらも動くことはなく数秒が過ぎていく。その体感時間は、おおよそ数分というのが正直な感覚だ。
あちらは羽を備えている。使わない理由はない。となれば、刃と化した両手を振り抜きに突っ込んでくるのが定石──まあ誰もこんな戦いの経験はないのだから、定石という言葉は正しくないのかもしれないが。ともかく、僕はその読みで重厚を少し下げた。肉体の反応が追いつかなくとも、銃口を引くだけでせめて一撃は与えられるように。
……先に動いてはならない。牽制やらが当たったところでどうしようもない以上、方法はたった一つ。カウンターだけを狙い、致命の一撃で行動の自由を奪うことだけだ……!
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