第5話「言われた事は忘れちゃいけないものです」
【KIX 手荷物受け取り場】
「さて、僕のは……っと。お、あれかな?」
そんなこんなでたどり着いたのは、手荷物回収場。わざわざ目立つように死神やら幽霊やらがデフォルメされたステッカーを貼りまくっていた事もあってか、物自体はすぐに見つかった。
……他の物と、明らかに隔離された位置でベルトコンベアを流れていたから。
「まあ、こういうの貼ってたら離されるよなぁ。このシリーズ、見た目は可愛いから好きなんだけどね。いかんせんモチーフが怖いからかな?」
「……あの、そこの死神と幽霊のステッカーのお方。少しよろしいでしょうか?」
自分の好みが否定された感覚に陥って落ち込んでいると、今度はその後ろからまるで地雷でも踏むかのように、僕を落ち込ませる原因でもって僕を呼んで来る女性がいた。
「……何でしょう。」
「その、お恥ずかしいのですが、お手洗いの場所ってご存知ですか? 実は私、この空港初めてで……」
しかし、その話の内容はといえば何の変哲もない。僕は手洗いの位置を示す看板を指さすと、少し湧き上がって来た苛立ちを抑えつつ言う。
「そうですか。お手洗いなら、あそこの標識に従って行けばすぐですよ。」
「え……あ、ああ、どうも。でもごめんなさい、一緒に来ていただかないと……」
そうして、事態は何事もなく終わる……ように見えたが、ここで僕は何故かその女性の細い指に手首を掴まれた。
「……え、は? ってちょっと待て、おい⁉︎」
「ちょっと、一緒に来てくださる⁉︎ ごめんなさいね……ちょっと、オイ!」
気でも触れたのだろう。その女は堰を切ったように感情を思い切り表に出しながら叫び、僕をトイレの方へと引っ張ってくる。しかもこの女、なんて力だ。
軍事訓練ほどではないものの、僕だって体は鍛えているし鍛えられているというのに……!
「ええい離せっ! イカれてんのかお前!
あれか、マリファナでも吸ったか! 税関を通れて嬉しいのは分かるが、出た初っ端から吸ってんじゃねえ!」
「そんな訳ないでしょ、さっさとトイレに来るんだよアホンダラ! このっ、こいつ……! 抵抗するな!」
この鬼気迫った顔、間違いなくやってる……! 日本に入国してからわずか2分で、まさかこれとは。平和の国は一体どこへ行ったのだろうか?
大体サングラスにクソデカい帽子にマスクって、日焼け対策どころじゃないぞ!
「このクソ厚化粧め、僕の顔がいくら良いからって強姦しようったってそうはいかないぞ!」
「アホかアンタ! それとも、この後に及んでまだ気づかない気⁉︎ ちょ……! 何とか言いなさいよ、御堂竜司!」
「……なに⁉︎」
知らないはずの女に自分の名前を呼ばれ、僕は困惑して動きを止める。踏ん張るのをやめた事でバランスを崩して尻から引っ張られていくし、そんな僕を見る周囲の視線は少し痛いが、それどころではない。
僕の名を知られている。しかも、何故か偽名だけ。それに一瞬ばかり頭を悩ませた瞬間、僕の脳の奥底から忘れていたはずの一つの命令が湧き上がって来た。
『トイレの場所を聞かれたら、それは合言葉だ。共に最寄りのトイレに行き、多目的と書いてある個室に二人で入れ』。これは、“マドレ”と会う時の命令だった。
「……あっ、やべ。」
「おっ、ようやく合言葉を思い出したようね? まったく……もうこのまま行くよ。」
女は一瞬だけ振り返って呆れた風にそう言った後、そのまま僕を引っ張っていって多目的トイレに押し込む。そして自身も入った後、鍵を閉めて言った。
「……で? 何か弁明は?」
「すんませんした、“マドレ”。普通に合言葉を忘れてました。
でも違うんだよ、合言葉を聞いた時はイタリア語だった! 日本語で急に言われたってわかるわけがないじゃないか!」
僕は簡単に言い訳をしてみるが、どうも逆効果らしい。帽子、サングラス、そしてマスクを外して地面に一つずつ力強く投げ捨て、そして半袖スーツの第一・第二ボタンを外した彼女は、明らかに眉を吊り上げつつ、力を込めて震わせながら握った拳を顔の左側に持って来て言う。
「こいつ……! 色々とツッコミどころはあるけど、まずその“マドレ”って呼び方はやめなさい!
アンタがどう聞いたかは知らないけど、アタシには“横田明美”っていうちゃんとした偽名があるんだからね!」
怒り狂っていて表情自体は少し狂っているものの、露わになったその顔はかなりの美人だ。とはいえ日焼けした褐色肌なので僕の好みではないものの、大人の女という感じはする。明らかに厚すぎるであろう化粧や口紅が、その第一印象を支えているのだろう。あと、後ろに高めの団子でまとめているであろう長髪もだな。
「OK、オーケーだ。だから落ち着け、な? ちなみに、そちらの本名は?」
「……クォン・ハウン。一応、韓国人よ。親とアンタには悪いけど、この名前は呼びにくいから嫌いなの。今はヨコタって呼びなさい、“Orcus”。」
「そうかい。君の方は僕の偽名をもう知っているようだし、本名も君と違って組織中に広まっているから自己紹介の必要もない、かな? 流石に知らないわけないよね?」
「……そこだけは、認めざるを得ないわね。こっちも何か煽ってやろうかとも思ったけど、アンタの名前は確かに組織中に広まってる。勿論アタシだって知ってるわよ? 凄腕の殺し屋の名前くらいは。」
怒り狂っていたはずの彼女はしかし、仕事の話になるとスイッチを切り替えたかのように冷静になり始める……かと思いきや、何やら僕に対して聞いてもいない愚痴を言い始めた。
「だけどアタシはいつまでたっても名が売れない。こっちの方が組織への勤続年数も実戦経験も実績も上なのに。それにただ殺すだけのアンタと違って、アタシは敵組織自体を潰すことだって多いのよ? 潜入と破壊工作のスペシャリストとして、敵対マフィアの根幹を……!」
「そうやって御託ばかり並べるから名が売れないと思うのは、果たして僕だけなのかな?」
「暗号を忘れた人間の台詞か、それが! 口答えできる身なの⁉」
「過去の事象に対する正論が意味を成した事実が有史以来存在しないって事くらい、わからない?」
「それは第三者視点の台詞であって、アンタが言う事じゃないわよ!
……全く、ボスはなんでこんな奴をよこしたのかしら。明らかに実力不足じゃないの。アジア人の16から18歳がコイツしかいないのは納得できるけれど、でも……」
と、少し冷静さを失いかけつつ呟かれた彼女の独り言に僕は絶句する。そして僅かな希望に縋るため、僕はその内容を彼女に問いかけた。
「……ねえ、チョイ待ち。僕ってそういう理由で呼ばれたの? まさか、防衛対象って日本の高校生? 僕が適任なんじゃなくて、僕しかいないから仕方なくって感じ?」
「そうよ。あれ、もしかしてフェデリコ様から聞いてなかったかしら?」
……最悪だ。このことが意味するところというのはつまり、僕が実力でこの護衛任務に選抜された訳ではないという事の証明である。要は、高校生として学校に潜入して守れという事なのだろう。結局あの友は僕の能力を見てなどいなかったのだ。それを理解すると、口からは自然に暴言が出て来た。
「
「それならあの方は、確実な護衛の経験がある人間を送るわよ。まだ10年もこの組織で仕事をしていない人間が、少し名前が売れたからって粋がらないことね。あと粋がって名前で呼ぶのやめなさい、あっちは幹部よ。
……この護衛任務にあたっているのはさっきのアイツとアタシ、それとアンタだけ。他のアジア人は、スパイ以外には誰もいないのよ。だからこそアタシたちは、このクソ不安なトリオで煮豆みたいな坊主の群れを捌かなきゃならないの。
どう? 吐き気がしてきたでしょ? 一度だってこんな仕事は経験ないでしょ、アタシがそうだったから分かるわよ。」
「……ねえ、話ぶった切るようで悪いけどさっきのアイツって誰? 僕らの同類がもう一人いたの? 僕はわからなかったんだけど、その人って今どこにいるの?」
単純に彼女の言っていた事がよく分からず、とりあえず一番気になった人数面について質問。すると、彼女は右手で頭を抑えつつ言った。
「……あのバカ、忘れてたわね。アンタ見たでしょう? 保安検査場にいた疲れ果てた男。アレ、アタシたちの三人目のチームメイトだから。ちゃんと顔覚えときなさいよ。」
……ああ、なんてことだ。僕は頭が痛くなってきた。
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