まあまあ、サイコ
星屑コウタ
第1話 まあまあ、サイコ
山本が焦ったのは、夜の八時半を回って、社内にいる人間が少なくなってきたからだ。気がつけば、事務所の一角ではもう照明が消されている。
山本は、さっさと退社したい。だが、そう思えば思うほど、目の前の仕事が終わらない気がした。
――三十分後。
山本は下唇を噛み、貧乏揺すりをしながら焦燥に耐えていた。いよいよ残業に励んでいるのは、隣のチームの品川という女と、山本だけになったからだ。
デスクからひょいと、首を伸ばして山本は訊いた。
「品川さん頑張ってるね。今日は何時までやるの?」
「なんで?」
いや、俺が訊いてるんだよ、と山本の笑顔が凍る。
「いや別に。深い意味はないけど」
「じゃあ、黙ってて。もうすぐ終わるから」
飲みのお誘いだとでも思ったか。同期であり、時には競争相手でもある山本に、品川さんは容赦がない。今も冷たくあしらうと、また鬼の形相でパソコンを叩き始めた。
まずいな。どうしようか。
山本は、仕事をほっぽり出して腕を組んだ。品川さんはもうすぐ終わるらしい。そうなれば一人だ。
実は、戸締まりの仕方が分からない。
この広い事務所の、何をどうして後始末を行えば、セキュリティが保たれるのかを知らない。入社して五年。ちゃんと、確認しておくべきだったと後悔する。そうだ。まず、窓が全部閉まっているのか確認しないといけないはずだ。次に空調も切って、換気扇も止めて、女子社員の要望で設置された空気清浄機も全部電源を切って……。警備システムはどうやって作動させるのか、事務所のカギは施錠した後、どこに保管しておくのか……。
考え出してすぐに、山本は気が遠くなりかけたが、そこで覚悟を決めた。
やはり、だめだ。最後の一人になってはいけない。この広い広い事務所で、ラストワンになるぐらいなら、戦って散るべきだ。その結果、俺の秘密が品川さんにバレてしまっても構わない。
山本は組んでいた手をほどき、静かに前に伸ばした。指先をピンと伸ばして品川さんに向けると、
「念力発動金縛り」
「きゃあ!」
品川さんが、ハンガーに吊られたようになって悲鳴をあげる。
「何これ!? ちょっと山本君助けて」
「大丈夫だよ。しばらく動けないと思うけど、怪我とかはしないから」
「はあぁぁ? これあんたの仕業なの? 今すぐやめなさい!」
「だめだ。そこでじっとしとけ」
「もう! あと二行で終わるのに!」
品川さんは怨み節を吐くと、ガックリと首を折って気絶してしまった。
「よしよし、では仕事に戻ろう」
少しやり過ぎたかもしれないと、山本は心配になったが、品川さんなら平気だろうと思い直した。これで戸締まりしないで済む。
安堵の息を漏らした時、ノートパソコンの上にゲームの景品のような、ペンギンが陣取っているのに気がついた。
「うわぉ!」
山本は派手に驚く。思わず念力でペンギンを攻撃してしまったが、何も起きなかった。ただのペンギンではないと、山本は直感した。
「僕は品川さんの守護霊だ。品川さんの金縛りを解くんだ」
「しゅ、守護霊だと? ひっこんでろ!」
念力が発動すると、東側の窓が全て割れた。明日はさぞ、日の出が眩しくなったろうに、ペンギンは、やはりへっちゃらな様子。それどころか、フワリと空中に浮かぶと、山本の額に、お返しのドロップキックをお見舞いした。
山本は、デスクや椅子を薙ぎ倒して吹き飛んだ。空気清浄機も巻き込まれて、変な音と煙を出した。倒れた山本に、ペンギンは尋ねた。
「どうして、品川さんに危害を加える?」
「ど、どうしてかは言えない。話したところで、俺の気持ちなんてペンギンには分からない!」
「分かるかもしれないじゃないか! なんで遠慮するのさ!」
「遠慮なんかしてない!」
立ち上がった山本は、よろめきながら走る。その進行を邪魔するように、スプリンクラーから、激しく水が降り注いだ。
火が出ている。空気清浄機から、ついに巨大な火が出ている。なんて安物だ。
山本は、吊られた品川さんの背後に回り込むと、細い首にチョークをかけて言った。
「ハッハッハッ! もう、滅茶苦茶だ! 動くなよペンギン。一ミリでも動いてみろ、お前の大好きな品川さんが傷物になるぞ!」
山本の目が血走る。ペンギンはバタバタと短い羽を振って慌てた。
「待て、落ち着け。話を聞こう」
「話したくないと言っているだろう!」
戸締りが出来ないなんて恥ずかしくて言えない。山本が頬を赤らめた時に、気絶しているはずの品川さんの声が聞こえた。だが、その声は、山本の頭の中に直接響いてくるようだった。
そうだったのね山本君。戸締りの仕方が分からないのね。その挙げ句の暴挙ね。許すわ。
なんと。品川さんもエスパーだった。心を読む天才らしい。山本は細い首から腕を解いた。
「すまない品川さん。俺に教えてくれないか。セキュリティのかけ方を」
うふ。わかったわ、と相変わらず気絶したままだが、品川さんからテレパシーが届く。寝ている時だけ力に目覚めるタイプのようだ。
チョコチョコとペンギンが寄ってきて言った。
「これで和解できた」
「うるさい。消えろ」
山本は、油断したペンギンを念力で吹き飛ばした。
まあまあ、サイコ 星屑コウタ @cafu
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