死に戻ったけど、やり直したい事は特にありません《全年齢版》

@garigarimouzya

第1話 イーライ・フレネルという人間

 鼓膜をビリビリと震わせながら地響きのように轟く断末魔を聞いて、ハッと我を取り戻す。まず最初にのたうち回る鱗に覆われた視界に収まり切らないくらいの巨体が視界に飛び込んできて、次いで息するのも躊躇う程噎せ返るような鉄臭い血の匂いを感じ取る。いきなり目の前に現れた一連の事象に訳も分からず困惑して目を瞬かせたが、それでも両手で掴んだ剣の柄は固く握ったまま離さなかった。


 やがて断末魔は掠れて消えて、巨体は動かなくなり、血の匂いが濃くなる。辺りは1度完全な静寂に包まれ、そして次の瞬間ワッと歓声が上がった。次々に上がるその声に、俺はこの場に居るのが今しがた自分が仕留めたらしき怪物と、自分自身だけではなかった事にようやく気がついた。


「やったぞ! 遂に悪しき魔の森の主である、魔物の王を倒す事ができた! 勇者イーライの誕生だ!」


 誰かの歓喜に満ちたそんな雄叫びを遠くに聴きながら、俺はその場で呆然と動けずにいる。どうして……。どうして、またこんな事に。だってこれは、とっくの昔にじゃないか。


 勇者イーライ。懐かしい響きだ。たった今初めて呼ばれ始めたばかりのその渾名を、俺は懐古と共に反芻する。それもその筈。今しがた与えられたばかりの筈である勇者の称号が、ある低度馴染みそれからとっくの昔に剥奪された記憶が俺にはあるのだ。なんなら、今体験しているこの光景ですら、寸分違わず同じ経験をした記憶が頭の中に残っている。理解できない現状に混乱して立ち尽くす俺を他所に、周囲は勝利の喜びに沸き立っていた。


 兎に角状況を整理しよう。俺の名はイーライ・フレネル。元は平民……それもかなり下層の貧民の出だが、養子入りして現在は一応フレネル子爵家の末席を預かっている状態だ。


 貧民階級出身者が子爵家とは言え貴族に養子入りできた理由は他でもない。ただでさえ珍しい聖魔力を、歴史上類を見ない程大量にその身に宿している。たったそれだけ。その事が幼い頃に受けた魔力測定で判明してから、俺の人生は丸々様変わりしてしまった。


 俺の聖魔力保持が判明した時、実の家族は大喜びした。そして喜びで浮かれながら、測定を受けたその足で住んでいた地域の領主だったフレネル子爵家に向かい、そのまま俺を売り渡したらしい。


 聖魔力によってのみ発動できる聖魔法はこの世に蔓延り人を襲い、土地を汚す魔物への対抗手段として1番有効な手だてだ。普通の魔法でも魔物は倒せない事はないが、かなり頑張らなければならない。その点聖魔法を使えば、かなり楽に魔物を斃す事が可能となる。


 しかし、聖魔法は万人に扱えるものではなく、先天的に聖魔力があるかないかで使えるかどうかが決まってしまう。それ故に、使い手だというだけで物凄いステータスだ。だからこそ、聖魔力を少しでも持つ子供はその分高く売れる。


 聖魔力の保有が判明した瞬間から、実両親は俺の事が金貨の詰まった小袋にしか見えなくなったに違いない。聖魔力を持った人間の血縁者ってだけでも、物凄いステータスだしな。


 まあ、そうは言ってもそのステータスを生かせるかどうかは、使い手の生まれの地位の高貴さによる、という但し書きがつくが。俺のように貧しい平民の家に生まれてしまえば自然とその後の人生は決まってしまう。大抵は例外なく貴族の養子となって、ステータスよりも魔物の討伐という実用性が優先され、後は死ぬまでいいように使い倒されるだけだ。


 実際俺も物心着くかつかないかの内に、住んでいた土地の領主一族の養子となった。そっから後は魔物を討伐する為の道具として使い物になるように、剣や魔法の厳しい鍛錬の毎日で子供らしく過ごした事は愚か、人間らしい生活すら送った記憶が無い。


 泣こうが喚こうが許して貰えず、鞭の打擲を受けながら罵られ、来る日も来る日も死ぬギリギリまで扱かれたっけ。勿論俺がものになる前に死なせてしまったら丸損だ。どんなに強力な武器も、鍛えるつもりで使う前に壊してしまえば元も子もない。なのであれでも加減はされていたと思うが、俺としては本当に鍛錬を理由に何度殺されると思った事か。あの頃の事は思い出したくもないし、思い出そうにも辛さのあまり記憶も朧気だ。


 そうして少しでも殴られる回数を減らしたくて必死に鍛錬に励み、ようやくある程度は使えるようになったと判断されたら直ぐに戦いの最前線に放り込まれた。毎日向かってくる魔物を切って切って切って……。たまに一段落したからと戦線離脱して内地に帰ってみれば、休む間もなく俺の義家族で後見となったフレネル子爵家の面々から周囲に見せびらかす為に連れ回される。そしてフレネル子爵家が俺の威光を笠に着てふんぞり返っているのに呆れる間もなく、また戦線に連れ戻され戦う日々。


 本当に、俺は昔っから1人の人として扱われた記憶がない。どこに行っても同じだ。俺は誰にとっても便利な道具にしかなれなかった。厳しい毎日に人間性が摩耗し感情の機微に乏しくなり、そのせいで常に無表情且つ無感情なのを人形のようだと評されるようになったのはいつの頃からか。正確には覚えていないが、そんなに最近言われ始めたのではない事だけは確かだ。


 それでも一応、貴重な聖魔法が使えて平民から養子入でではあるが貴族に成り上がったのは事実である。なので、ここだけ切り取ればなかなか恵まれているし、有り余る力を存分に奮って活躍する暮らしはさぞ充実しているだろうと、変な勘違いをされる事がある。要は俺の生活の実情を知らない人間からいい所だけを見てやっかまれるのだ。


 聖魔法が使える事を理由に、この国の王太子の婚約者に据えられてからは尚更だ。平民出身で男の癖に、たかだか聖魔力を人より多く保有していたくらいで。影に日向に色んな令嬢や令息達から悪口を言われたっけ。


 俺からしてみれば剣など握った事もない柔らかく白い手をしていて、悩みと言えば恋の駆け引きくらいの煌びやかな衣装に身を包んだ、本当の苦労知らずの彼女、彼等の方が羨ましかった。別に贅沢がしたくて彼等の生活や境遇を羨んでいるのではない。魔物の爪牙の鋭さも、死に行く仲間の嘆きの声も、できることなら一生知らずにいられたら、俺はそれだけでよかったのに。王太子の婚約者なんて立場が、名ばかりなのだから尚更だ。


 一応男同士でも魔法を使えば子供を産める事は産める。王家の狙いもそれだ。俺との間に聖魔力と王家の血を継いだ貴重な子供を作りたい。そしてその子の持つ素晴らしい素養を次代に引き継いでいきたい。と、彼等は考えているのである。


 さっきも言った通り聖魔力は珍しく、持ってるだけでステータスだ。絶対に後天的には授かれないが、血縁者に保持者がいれば産まれてくる子も聖魔力を持つ可能性がグッと高まる。王家は他者が持っていない特別の印として、聖魔力の血を欲しがっているのだ。実際これまで何人もの聖魔力保持者が王家と縁付き、歴史的に見ても聖魔力保持者が王家から排出される確率はかなり高い。俺が王家へ嫁ぐのも、まあ自然な流れと言えよう。


 とは言え俺は男で、王族の血が流れる人間で未婚なのは王太子ただ1人。我が国では重婚は禁止されている。かと言って王家の血が流れている事だけを重視して、変な相手と娶せて王家と権力を二分する政敵を作るのも宜しくない。自然と、俺は王太子と婚約関係となった。


 だが、男が子を孕む魔法はそれなりに体への負担がある。女性であってもともすれば子を生み出すのと引き換えに、命さえ失う事すらあるのだ。本来子を産む性ではない男の場合なんて、言わずもがな。現国王の子は王太子ただ1人。尊い身分で変えが利かずかけがえのない王太子に、そんな危険な魔法は使えない。自然と子を孕むのは俺の方に決められる。


 しかし、俺の体はただでさえ生まれつきの魔力過多でがたついてるのに、そこから更に魔物退治で酷使され過ぎてもうボロボロだ。この体調のままなんの対策もせず子を孕めば、きっと子供を1人産むのがやっとで産褥で死ぬのは確実。


 幼い頃から戦いばかりの日々でまともな教養もないし、目当ての子供だけ産ませたら後は死ぬに任せて、国母はもっと別の相応しい人間を立てよう。そんな王家の狡い考えは、本来知らされるべきではない相手であろう俺ですら知っていた。


 どうせ知られてもあんな奴には何もできないのだから、問題ないとでも思われているのだろう。実際その通りなのだから、なんともはや。元とは言え平民の命はどこまでいっても軽いのだ。この世では兎角人間扱いされるにはまず一定の権力か立場を持たなくてはならない。それ等が生まれながらに保証される、青い血の流れるお貴族様が羨ましいぜ。どこに養子入りしようが生まれは変えられず、いくら養子入りしたからって全身の血を入れ替える訳にもいかないので、こればっかりはどうしようもない。


 こんな感じで、幼い頃にお貴族様に召し上げられ養子入りした幸運な貧民。貴族という立場が持つ尊さを、生まれの卑しさ故に理解しきれない馬鹿。この世界を蝕む魔物と瘴気に対抗する有効手段。聖魔力があるだけで無理矢理王太子殿下の婚約者に収まった図々しい身の程知らず。……とまあ俺に対する噂は色々ある。しかし、それ等を総括してしまえば『下民に合わない力を持ったと上からも下からも爪弾きにされている、孤独な人間』というシンプルな言葉に収まってしまう。俺はそんなつまらない人間だった。

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