第2話 鬼と獣らの衝突
そうして、縞模様の風が迫る先では。今も一進一退の攻防が続けられていた。
そこは、表にも増して
すべてが濡れるような漆塗りの天井や梁で構成されており、極上の
そんな『裏の廟』とも呼ばれる場所に祀られているのは、中央の祭壇へと『縦に埋めこまれている濃緑の棺』である。それを守るように四つの屈強な神像が並べられている。
そうして。そんな壮麗かつ異常をたたえる光景にたいし、異を唱える者はいない。
代わりに対面する者を睨みすえて、あるいは刃と爪を、槍と暗器を、拳と蹴りを交わし合っていた。
一進一退の攻防にひびを入れるためだろう。ここで裂ぱくの気合がその場に轟く。
声の主は一人の中肉中背の男であった。紅潮した顔の頬骨へと『赤く艶めく梅の花』の絵図がうかぶ。痣は両腕、その足にまで伝播していく。
広がる濃厚な花の香りに、「新たな『
その声に応じて、対峙した者らの片割れ――『木造りの髑髏の半面をかぶる』黒ずくめ集団の一部が、距離をとった。
片やの『体の一部』、もしくは『全身を獣と化したモノ』達は笑う。紅梅の男は仲間たちの瞳に応じて、うおおおおッと吼え猛ったのである。
見る間にその身は膨れあがり、着ていた衣服がはじけ飛んだ。両腕に太い針めく黒毛が生えそろい、その手――否、前足はゆうに人の顔を覆えるほどにまで肥大していた。
身の丈、七尺(二メートル)余りはこえる、熊と化したのだった。
そうして、じろりと辺りを睥睨し、逃げ遅れた――人獣と今なお鍔迫り合いし拮抗していた黒尽くめを見咎める。前足をつけて、鈍い足音をあげながら直進したのである。
恐るべきはその重量。鋼のような筋肉である。
人獣は易々と、虚をつかれた黒尽くめの剣を弾き返す。早々に離脱していく。あわれ、黒尽くめのみが撥ね飛ばされることとなる。
前足を振るう。木っ端のように黒尽くめが、壁に床にと打ちつけられて転がる。
あっという間に、より濃厚な血の香りがその場を満たした。
熊は勝ち誇ったように吼える。人獣らもまた、自慢の爪や、手にした武器を振り上げて喜んだ。
黒尽くめ側は微かにどよめきが生じる。
が、そのなかで、サッと片腕を伸ばし制する者がいた。
途端に、水を打ったように黒尽くめ達は静まり返る。
その注目のさきで、『唯一、飴色に黒ずんだ髑髏の半面をかぶる』者は口を開いた。
「俺が行く。
「お、長……!」
「
「獣交じりなど恐るるに足らず。二度は言わん。俺に続け」
その言葉を最後に、飴色髑髏の黒尽くめ――老鬼は駆けだす。黒い長衣をたなびかせて走り、すぐ追いついてきた部下たちへと低い声で指示をだした。
「十二鬼、十三鬼、周りを牽制。後、『鬼殺し』を足、腰部の順に」
「御意」
声をあわせて散開する部下へは目もくれずに、顎をうかせて熊を見やる。
ひと目で『敵方の
そんな彼に、老鬼はそっと袖口から三つの
鋭く不規則な蛇行。狙いをつけづらくし――さらにこの間、熊の周りでは、老鬼の部下たちが剣を抜いて牽制を始めている。
高まる緊張感と、不規則な動きでの『獲物』の接近。
ゆらゆらと微かに、熊の頭と瞳が揺れた。老鬼は右のそれを素早く投じる。狙いは熊の鼻先である。
張り詰めきった緊張の糸を切られ――さらに、元は人の身であった。
急に視界に飛びこむ刃に軽く混乱をきたし、熊は右前足で弾く。だが、老鬼は時間差で左の
熊は『振るった足をつけ直さず』に『立ち上がる』。
本来の熊なら起こりうる隙をきらい、左前足で
だが、その直後である。右目に間髪いれずに飛びこむ刃があり、悲鳴を轟かせていた。
痛みで刹那に強ばる身体。それを見て、老鬼の部下が動く。
潰れた右目の死角をぬって、側面に回りこまんとする。遅れて気付いて熊も反転せんとするものの、右足に激痛をかんじ、ぎくりと動きを止めていた。
深々と足を穿つ剣があり、それを手にしゃがみこむ、もう一人の黒尽くめがいた。
みるみるうちに傷つけられる体。怒りと悲壮に胸焦がされて、左前足を振り上げる。が、折り重なる衝撃が走る。弩の矢だ。反動で食い止められてしまう。
歯噛みする間もなく身をのけ反らせる。肉を割られる痛みが腰部から這いあがっていた。
ぎぁぁあ、と聞くに堪えない悲鳴をあげる。
先に見逃してしまった黒尽くめである。こちらも剣を振るっていた。
どうして。なぜだ、と熊は混乱する。
自分の肉は鋼のごとき硬さであるはずだ、と。身は重たく、腕も力強い。こんな木っ端など一捻りの。
はずなのに。
惑乱する頭は自然と助けを求め、周りを見回す。その首に、ひゅんと風切って錘付きの鋼糸が投げつけられた。首周りに巻きついて引かれる力へと、おもわず唸りが漏れる。
しかし、熊の頭の中はすでに、取り返しのつかぬほど荒れ果てていた。
味方はみな弩で牽制されている。近づけない。援護は望めない。なら、と足を穿つ者を見下ろした折に、ぐらりと
血を流し過ぎたか――否、それこそ、足元の黒尽くめを見て、思い出す。
こいつらは、さっきなんと言われていた?
獣なら分からなかったが、頭は人間なので解ってしまった。
“十二鬼、十三鬼、周りを牽制。後、『鬼殺し』を足、腰部の順に”
鬼殺しとはまさか。毒か、と。
熊は今更ながらに戦慄する。
最初から自分がこうなることを。熊を、こうさせることを見越して動いていたのなら。
なんと恐ろしいものに牙を剥いたのだ、と。だが、もうどうすることもできない。
脳や感覚器に繋がる目をやられており、まともに思考することすらできずにいる。
右目が焼けるように痛い。熱い血が噴き出ていて止まらなかった。
血が。ああ、血がこんなに噴きでて。おれの命がこんなにも、流れてしまい。
悲嘆にくれて見下ろすさきで、老鬼と目が合う。
涼しげで無機質、自分を傷つけたことを――自分に対する価値をこれっぽっちも抱いていない。路傍の石を見るような瞳に、なけなしの怒りが湧いた。
それが、最後の命の輝きとも言えたかもしれない。
なぜ老鬼が傍らに在るのか。熊の左前足が振りきられるだけで、ぐずぐずの肉の塊と化してしまう距離であるのに。
その理由を思考する余地が、もう熊にはなかったのである。
なけなしの自由意思にしたがい、左前足を――ひゅるんと巻きつけられた錘付きの鋼糸ごと、思いきり振りきろうとするだけであった。
そうして、首筋に熱い衝撃を覚える。視界が少しずつ下方へとずれていって。
みるみる近づく『自分を見上げている老鬼』が、『踵を返す』姿までは見ることなく。
その生を終えた。
が。熊の健闘にも意味はあった。ある意味では。
その首が体から離れて、ゆっくりと倒れこんでいく。切り口からおびただしい血と紅梅の花びらめく燐光を散らしながら、巨体が萎んでいく――中肉中背の首なし死体へと戻り、倒れ伏す。
その異様な光景を背に、祭壇へと老鬼が足を進めようとした。
その瞬間に、『彼女』を間に合わせたのであった。
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