4.元凶

 すぅっと目を開ける。靄がかかったように、視界がぼやけていた。

 パチパチと幾度か瞬きをくり返し、ようやくはっきりと見えたその目前に、悠哉の笑顔があった。


「ったく、気味の悪い猫なで声出してんじゃねぇよ」


 自分の口調で話すも、耳に聞こえるのは胡桃の声だった。どうしようもないこととはいえ、違和感は拭えない。


「胡桃ちゃんも聞いていたんだ。仕方がない」


 にっこりと浮かんでいた笑みが消え、草薙に似た表情が浮かび上がる。


「しかし、これは一体どういうことだ?」


 悠哉が自分の顔の横でひらひらと振るのは、烈牙が昼間潰した、例の物体だった。目で克海を指し示しながら、フフンと鼻先で笑ってやる。


「ちょっとそいつを、脅してやろうと思ってな。力を見せつければ、離れてくれるんじゃねぇかと――」

「そうじゃない。そもそも、どうしてこんな芸当ができるんだと訊いている」

「お前だってできるだろ?」

「できるか阿呆」


 きょとんとして問うと、眉間にしわを寄せた悠哉に一蹴される。


「元々、腕力ならお前の方が上だったんだ。今より強かったはずの当時でさえ、できたかどうか」


 イラついているのか、困っているのか。悠哉は左手で、バサバサと髪をかく。


「多重人格の場合、潜在能力を引き出す形で、本人なら無理なことを別人格がやってのけることはある。だが、それにしても異常だ。胡桃ちゃんの筋力に鑑みて、彼女の全力、百パーセントでやったとしても、できることじゃない」

「難しいことたらたら言われても、よくわかんねぇよ」


 考えをまとめるための、独り言に近かったのかもしれないが、聞いている方としてはうんざりだった。

 頭の後ろで、腕を組む。


「でも、強いんだからよくないか? 非力になるよりゃいいだろ」

「無責任なこと言うなよ」


 強くなることが問題とは思えない。

 気楽に言ってのけたのが気に入らなかったのか、克海がムッとして言った。



「やっぱり不思議だ。――正直信じがたかったけど、二人が前世からの知り合いだってことはわかった。でないと話が通じない。悠兄の態度も、あまりに合致する二人の話も。だけど」


 顔を顰めた克海が一旦区切り、さらに険しい顔つきになる。


「だからこそ、不思議なんだ。さっき悠兄は、そいつのこと弱者には優しいとか繊細だとか、庇うようなこと言ってたけど、おれには短慮にしか思えない」


 投げつけられた言葉に、ちらりと悠哉を見る。悠哉の方も、わずかに苦味を含んだ視線を、こちらに向けていた。

 短慮だ考えなしだとは、生きていた頃、よく草薙に言われた台詞だった。

 行いを振り返れば自覚がないとは言えず、また、言っていた覚えがあるはずの悠哉も、いたずらっぽく笑うしかできなかったのだろう。


「別に庇ったつもりはないんだけどな」


 本当のことだから。苦笑まじりに呟く悠哉に、克海はそれでも納得できない顔だった。


「そいつの舌先三寸に騙されてるだけじゃないの? 悠兄だって覚えてるだろ、広瀬の首の傷。あれだって、そいつがやったんじゃないのか」

「なっ――」


 絶句も数瞬、我に返ると声を荒げた。


「ふざけるな! おれがこいつを傷つけただと!? そんな男だと思って――って、あ……」


 殴りかかる勢いで身を乗り出し、拳を胸の前で握りしめてふと気づく。

 胡桃の中に、烈牙という人格が――自分がいることは、普通ではない。

 正体不明の男がいて、理由がわからない怪我がある。その状況を考えれば、不審な男へ疑いがかかるのも、無理からぬことだった。


 だからか。


 納得せざるを得ない。そう疑っていたから、烈牙を非難していたのだ。

 胡桃の身を、案じるからこそ。


 ――見ている限り、克海の言動は初めから胡桃を思いやるものだった。

 彼をよく思えないのは偏見のせいだと自覚があるだけに、二の句が継げなくなる。

 どうしても、印象がかぶるのだ。元凶になったと思われる、あの男に――

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