現代病

小狸

短編

 *


 めれば良いのに。


 弟がリビングのソファで寝転がって、愚痴っているのを尻目に。


 私はそっと、そう思う。


 夏休み、一つ下の弟と私の大学は夏季休暇に入った。弟は大学が家から遠いので一人暮らしをしており、顔を合わせるのは実に半年ぶりであった。


 山岳系のサークルに入っているようで、受験期から肌が浅黒くなっていた。


「あー、またブロックされてる」


 そう言いながら、スマートフォンをスクロールして、自嘲的に笑った。


 さるSNSにて、討論相手のアカウントをわざわざ見に行き、ブロックされていることを確認するのである。これは、弟の中学の頃からの癖のようなものである。それどころには留まらない。弟は、意見が合わない相手の「いいね」欄(今は非表示になっているのだったか?)を敢えて見に行くのだそうだ。その理由は「思想が偏っているのを見れるから」だそうである。


 私には、分からない。


 どうしてそんな確認をする必要があるのだろうか。


 誰が誰をブロックしたりミュートしていたりしていようと、自分は自分なのだから関係ないのではないか。そんなことをいちいち気にしていたら、それこそ身が持たないのではないか。相手の感情をほしいままにしようとするなど、傲慢なのではないか。この令和の情報に情報があふれる時代、そんな自ら不快なものを摂取するような、真似をして、大丈夫なのか――とか。


 そんなことを、姉ながら心配に思っていた頃もあった。


 まあ、一年生とはいえ大学生であるし、私がとやかく言うのも違うなと思ったからである。私も講義の課題なり何なりで忙しく、構ってやれなくなってきた。


 今は代わりに、母が、そんな弟の話を親身になって聞いている。


 同意するか、うなずくばかりである。


 弟を怒らせないように、気を遣っているのだ(弟は癇癪持ちである)。


 正直親ばかだと思う。


 母は私より弟の方が好きなのだ。


 昔からそうだった。


 私はいつも実験台で、その結果の良し悪しで弟により良い方の教育を施すのである。直接的にそう言われたことは無いけれど、そういう母だったし、今でもそういう母である。


「いやー、へこむわー」


 そう言って、冷房の効いた部屋で、弟はヘラヘラと笑っていた。


 弟は、自分が絶対に正しいと信じて疑わない性格をしている。


 正確には、自分の言動には全て理由と正当性があり、それを棄損されることは許されないと思っている。まあ個人の性格にとやかく言えるほど、私は優れてはいない(偏差値も弟の方が上である)。


 ただ、その性格ではこの世は「生きにくい」だろうなということは、私でも理解ができる。私が分かっているのだから、多分弟自身も、理解していることだろう。


「でも笑えるのがさ、この人、政権批判系のアカウントばっかりフォローしてんの。もう見れないんだけど、魚拓スクショは取ったんだよね。思想丸見えっつうか、こんなのに鍵も付けてないとか、ネットリテラシー低すぎて笑っちゃうわ。ほら、見てよ」


 そう言って、茶化しながら母に画面を見せる。母は「そうねえ」とか「あら」とか、定型句を述べ、弟の機嫌を取るばかりである。


 どうしてこうなっちゃったんだろう、とは、実は思わない。


 弟は、元からこういう奴だった。


 小学校の頃から、とても成績が良かった。


 そんな弟に嫉妬していたこともあったけれど、そんな感情はすぐにどこかへ消え去った。


 弟には、友達がいなかったのである。


 いつも自分が正しく、絶対に自分を曲げず、相手には冷静を強要するくせに、自分に火の粉が降りかかりかねない状況には癇癪を起こして感情的になり、ものを壊したり、人を傷つけたりする。


 そんな奴と積極的に関わりたい人間などいないだろう。


 私だって嫌だ。


 最初は弟の成績や頭の回転の速さに驚いていた人々も、少しずつ弟から離れていった。


 避けていったのかもしれない。


 大人になるにつれて、弟の思想は過激化し、表面化していった。


 幸いにも人にそれを強要することはしなかったらしいけれど、仲良かった高校時代の部活の友人などとは音信不通になっているらしい。


 せっかくの夏休みに愚痴を聞くのも面倒臭いので、私はリビングを後にすることにした。


 確かに。


 弟の言うように、弟の思うように、弟が主張するように。


 世の中は辛く、苦しく、しんどく、ひどく醜いものなのかもしれない。そこを見ない振りをすることは、あるいは現実から目を背けているとそしりを受けることなのかもしれない。


 でも――ずっと見ていると、疲れちゃうじゃない?


 頑張ることも、向き合うことも、生きることにも疲れて、その先には何が残るの?


 久々の実家である。


 不快に身を置いていたくはない。


 今の私は快く、心地良く過ごしたい。


 そのための努力をしたい。


 取り敢えず自室に戻った私は、冷房を付けて、スマホを開いた。


 地元の友達に、連絡を取った。


 毎年欠かさずこの時期に会う、中学時代の部活の悪友である。


 今年も会えるのが楽しみだ。


 来週、隣町で大きな祭りがある。


 河川敷から見える花火が、とても見事なのである。


「……よし」


 連絡を終え、スマホを閉じた。


 その花火の美しさだけは。


 何でも知った気になっている弟も、きっと知らない。




(「現代病」――了)

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