世界は黄昏の中にある

 セレストが駆けて神殿の地上に上がる中、この間のように鼻に突き刺さるようなにおいが漂っていることに気付いた。


「しっかりなさってください!」

「うっ、ああぁ……! あああ!!」


 神殿に運び込まれた呪いの発症者たちを、神殿の巫女たちが必死になって介護していたのだ。

 髪が蛇のようになってうねる女性。歯がすっかりと牙のように太く鋭くなり、爪すらも固くてペンチでなかったら爪切りすらできなくなってしまっている男性。異常に毛深くなってしまった子供。口に猿轡をかまされている老婆……。

 それらはセレストがずっと自宅でサラの介護をしていたら目に見えなかった凄惨な呪いの解呪風景だった。

 セレストはそれを言葉なく見守っていたら「おや、セレストさん」とのんびりとした声を上げられた。

 大量の軟膏を抱えたハーヴィーであった。


「ハーヴィー様」

「お話聞いてもよろしいですが、ひとまず手伝ってくれませんか? 昨日から呪いの発症者がずいぶんと増えてきているんですよ」

「増えてきているって……」

「魔王の呪いの深化が進んでるんでしょうねえ……殿下となにかお話しましたか?」


 ハーヴィーに問いかけられ、セレストはちらりと見た。呪いが進み、神殿に担ぎ込まれなかったらどんどん人間の見た目から外れていってしまう発症者たちを見たら、とてもじゃないが自分語りをしている余裕などなかった。

 セレストは軟膏に視線を移す。


「これ、どれを誰に塗るとか決まってらっしゃいますか?」


 話を大きく変えられたものの、ハーヴィーはそれに対して詮索することもなく、一番上に載せていた軟膏を差し出した。


「こちらを右の列の発症者たちに塗ってあげてください。こちらは呪いの深化がまだそこまで深くない方々ですから、これを塗って一晩休めば呪いは治まるので、家に帰られるはずです」

「わかりました」

「深化の進んでらっしゃる方々は、こちらが独自調合した解毒剤じゃなかったらどうにもならないんですがねえ。それじゃあセレストさんお願いしますよ」


 セレストは既にひとり呪いの疾患者の面倒を見たことがあるが、あれだけ苦しんで暴れる人にひとりで当たるよう指示をする者はいなかった。

 三人くらいで必死で対応しているのを見ながら、セレストは呪いの発症者たちに軟膏を塗っていく。

 深化の進んでない人々はおとなしく軟膏を塗らせてくれるものの、皆疲れ果てて落ちくぼんだ目をしている。


「大丈夫ですか?」


 思わずセレストが声をかけると、発症者は困った顔で振り返る。


「……呪いの深化が進んでる方々を見たら……いつかは自分たちもそうなるんじゃないかと思うと、怖くてなかなか眠れないんです」

「巫女様に頼んで、薬草茶を用意しましょう。それでよく眠れるはずですから」

「……昨日から、本当にずっと悲鳴や奇声を聞き続けて……頭がおかしくなりそうなんです」


 その言葉に、セレストはなんと返せばいいのかわからなかった。

 眠りたくても眠れない人々を寝かしつけ、深化の進んでいる発症者たちの介護の手伝いに回る。彼らには解毒剤を塗るのにもひと苦労だったが、サラのときとは違い、人手は足りていたので、暴力沙汰にならなかったのだけは幸いだった。

 全員分の手伝いが終わってやっとひと段落ついたところで、ハーヴィーと一緒に食事に出かけて行った。

 ハーヴィーが解呪士のせいか、他の巫女や使用人たちの食事する場所ではなく、人の捌けた場所でだった。そこで野菜スープに黒パンを浸しながらいただく。


「それで、殿下の容態は?」

「……昨日の殿下の様子はおかしかったです。私に少しだけ気を紛らわしてくれたのでしたらよかったんですが……」

「ああ、それはないでしょうね」

「……ハーヴィー様じゃないですか、私にひとりで行くように言ったのは」

「ええ、もちろん俺です。というのも、君は殿下に体を売るような真似はしないからね」

「……そんなことしませんよ」

「貴族の中でいたんですよ。殿下に取り入って呪いの深化を抑えて、王城でいい具合の地位に就こうとするのは。というよりもねえ、この国の呪いの問題は、勇者たちが延命処置をしただけで、勇者たちがいなかったらとっくの昔に終わっていたはずの国だから」


 それにセレストは驚いた顔でハーヴィーを見た。


「……そんなの初めて伺いましたけど」

「神殿だってそりゃもう頑張ったんですよ。魔族のなんたるかなんて、オグレイディ国が魔族から奪還できなかったら調査だって進まなかったんですから」

「魔族の呪いがマナレベルでかかっているから、完全に解呪することができず、封印しかできなかったとは、以前にも聞きましたけど」

「それは魔族に対する対処方法ですねえ。どちらかというと、呪いの取り扱い。勇者たちは呪いを公表して、それらを皆聖女の力で封印して回っていたんだけれど……魔族に隷属させられていた時代にも、この国には貴族はいた。どれだけ優秀な魔族を魔王に差し出せるかで、一族を延命させていた彼らにとって、魔族を殺すことなく封印して回る聖女は恐怖の対象にしか思えなかった……だから、彼らは聖女を殺した」


 マクシミリアンが吐き捨てるように言っていた言葉の意味を知り、セレストは言葉が出なかった。


「ですけど……この国は勇者がつくったと」

「ええ。貴族からしてみれば、自分たちがやってきたことを断罪されて、立場を失うのを恐れた。その上でこの大陸の人々を助けようとする聖女を殺したものだから、こんなことを知られたら、今度は人間同士での殺し合いになるのが目に見えていた。だから、勇者を担ぐことにした……この国を救った勇者を支える優秀な配下という立場を押し通すことで、自分たちの地位を維持しようとしたんですよ」


 セレストは絶句した。

 たしかに貴族は呪いが発症したら、殺すこともせず、だからと言って解呪することもせず、速攻でなかったことにする。

 サラを必死で助けようとしたのはセレストだけで、他の皆は「神殿に捨てろ」だの「なかったことにしろ」だの、さんざんな物言いばかりだった。

 彼らは、本当に助ける必要のない人間だったのだから。

 そこまで考えて、セレストは疑問が生じた。


「……ハーヴィー様、ずいぶんと勇者の話に詳しいですが……」

「俺は元々他大陸から来た解呪士ですしねえ。大陸をひとつ奪還できるほどの力を持った人間が、勇者と聖女だけな訳ないでしょうが」

「……かつての勇者ご一行の……ご子孫で?」


 ハーヴィーはニコリと笑った。

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