夜の元令嬢と廃嫡王子

 セレストはグルグルと考え込みながら、ひとまずハーヴィーに相談に行くことにした。ハーヴィーはなにもマクシミリアンだけの解呪士ではなく、神殿に解呪を求めてやってくる全ての人々に対して解呪を施している。


「あっ、ああっ……!」


 神殿の一室を通り過ぎる中、悲痛な悲鳴が聞こえてセレストがぎょっとする。その声の方向に振り返り、言葉が出なかった。

 皮膚がどんどん鱗に替わっていく呪いにかかっている女性に、ハーヴィーはいつもの調子で解毒薬を渡していた。


「大丈夫ですよ。これ飲んでひと晩休めば治りますから」

「あ、りがとう、ございま……す」

「大丈夫ですよ。あなたは決して魔族に隷属なんてしませんから」


 彼女に与えた解毒剤は、マクシミリアンのものとは違うようだった。すっきりとする清涼感の中に、どこか苦みを感じる匂いだった。その匂いを嗅ぎ終えてから、ハーヴィーが彼女の処置を終えるのを待っていたら、やっと出てきた。


「おやおやおやおや、セレストさんじゃありませんか。こんにちは。どうされましたか?」

「あの……マクシミリアン様に、夜に呼ばれたのですけど……アイリーン様にお伝えしたら、それは夜伽の命令だから、絶対についていくなと。それでも行くと言うなら、ハーヴィー様を連れて行けと……」

「あー、なーるほど。難しい問題ですね」


 ハーヴィーはしれっと言ってのける。それにセレストは困惑の声を上げた。


「どういう意味ですか?」

「いえねえ。殿下はあなたを試しているんだと思うんですよね。あなたが魔族側に落ちるか、人間側に踏みとどまるかと。これって、なにをどうやっても難癖付けて殿下が自分が魔王に落ちる理由にしたがる奴ですから」

「そんな、そんなのあんまりじゃないですか……」

「まあ、これを言ったらアイリーン様辺りは激怒しそうですがねえ。かつてこの大陸を魔族から奪還した勇者一行は、少々お粗末だったんだと思いますよ」


 ハーヴィーは自身の持っていた解毒薬を一本、セレストに押しつけた。その香りは先程の女性に使っていたものより華やかで、たしかにマクシミリアンに使っていたものだとわかる香りがした。

 ハーヴィーは続ける。


「まず、呪いの情報規制の方法がまずかったせいで、貴族間で互いに嫌いな相手を、呪われていると密告したらたちまち廃嫡されるような下敷きをつくってしまいました。おかげで誰も彼もが呪いのことを伝えるのを忌み嫌うようになってしまい、本当だったら彼女のようにさっさと解呪に来てくだされば助かるような命すら、助からなくなってしまいました。セレストさんのお義母様もそうでしょう?」


 それにセレストは押し黙ってしまった。

 先程ハーヴィーが処方を施した女性は、あれだけ悲痛の声を上げていたにも関わらず、今は静かにすやすや眠っている。遠目からでもわかるほどに鱗が皮膚を突き破って生えてきて痛がっていたというのに、今はその鱗がポロポロと落ちて、綺麗な皮膚が戻りつつある。

 魔王の呪いこそ、悲惨なものだが。魔族に隷属の呪い自体は、本来ならなんとかなるものなのだ。それが長い時間をかけて歪んでしまい、呪い自体を皆が皆、見なかったことにしてしまった。

 ハーヴィーは続ける。


「おまけに勇者の家系が王族になりましたけど、魔王の呪いについてある程度神殿側で調査が進んだのを公表しなかったのがまずかったですね。魔族の存在も伏せられてしまってましたし」

「……だからマクシミリアン様は」

「正直、過去の亡霊に引きずり回されたせいで、絶賛人間不信に陥り中ですから、魔王として覚醒してもいいまでテンションが落ち込んでるんですよ。だからあなたに試し行動を取ってるんでしょうね」


 セレストはその言葉に考え込んでしまった。


(たしかにマクシミリアン様は可哀想だけれど……私の手の荒れを見た途端に優しくなったのは、本当に魔王に覚醒するために、私に難癖付けるためだったの? 夜伽をすると言えば、私が逃げると思ってるの? わからない……わからない……)


 ただどっちみち彼の機嫌を損ね続ければ、いずれマクシミリアンは魔王として覚醒してしまう。


「ありがとうございます。それではひとまず、私ひとりで行ってみます」

「意外ですね。もっと拒否反応を示すかと思ってましたけど」

「……私は彼のこと、本当になにも知らないんです。なにに対してそこまで怒っているのか、なにに対してそこまで絶望しているのか。知らないことについては、これ以上怒りようがありませんから」


 それは愚かなことだと百も承知で、セレストは夜の食事を持って、マクシミリアンの元に向かうことにしたのだ。

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