元令嬢の歌声
ふたりで食事を終えたあと、マクシミリアンの部屋に「失礼しまーす」とハーヴィーがやってきた。彼に解毒剤を処方したのだ。
マクシミリアンは嫌そうな顔で飲み干す。
それにハーヴィーはカラカラと笑った。
「あんまりそんな顔で薬を飲まないでくださいよー。こちらは殿下のために必死で処方したんですからぁ」
「勝手なことを言うな」
「ところで、セレストさんが歌を歌ってくださるはずなんですが。殿下は既にお聞きになりましたか?」
「歌……?」
マクシミリアンが怪訝な顔をするのに、セレストは慌てた。
「ちょっと……ハーヴィー様!?」
「まあまあ、歌ってくださいよ。あなたの歌を」
セレストは付け焼き刃でアイリーンから楽譜を教えてもらい、歌い方の稽古をしたばかり。この歌が元々娼館に伝わっていた呪いを鎮めるための歌らしいが、それが効くのかどうかすら、旋律が失われていたために検証もできてない。
そんな責任重大なことをいきなりしろと迫られても、セレストとしても困ったのだが。
昨日はあれだけヘソを曲げていたマクシミリアンは、珍しく少しだけ乗り気になっていた。
「歌うのか?」
「……私は歌姫ではありません。マクシミリアン様の耳にそぐわなければ申し訳ございません」
「そこまで謙遜しなくてもいい」
マクシミリアンの考えはいまいち掴めないが、歌えと言われている以上は歌えばいいのだろう。セレストは覚悟を決めて、歌いはじめた。
セレストはサラのように歌えない。彼女も本職は踊り子だったのだから、歌姫のように満足に歌える訳ではなかった。
賛美歌の一節は入っているものの、そのほとんどは娼館で歌われ、才のある者であったのなら舞台で歌われるような大衆的な歌であった。これが呪いの緩和に繋がるのかはわからない。わからないなりに、セレストは精一杯歌った。
マクシミリアンは目を一瞬丸くしたあと、すぐに細めてじっと見ていた。
やがて。セレストの歌は唐突に終わった。
伴奏すらない。アカペラで歌うにはそこまで華もない歌だったが。
ハーヴィーは楽しげに手を叩いた。
「ありがとうございます! 素晴らしい歌声でした! ねえ、殿下?」
ハーヴィーに声をかけられ、マクシミリアンはしばらく黙り込んでしまった。それにセレストはおろおろとする。
(私の歌、本当に習ったばかりで満足に歌えもしなかったから……マクシミリアン様が怒った? 怒ったら、そのまま魔王の呪いが進行して……)
そこまで考えたが、やがてマクシミリアンは口を開いた。
「悪くはなかった。これは夜にも聞けるのか?」
「……はい?」
「子守歌にちょうどよかった」
それは馬鹿にされているのか、聞いてたら眠くなる歌と言われたのかわからず、ただセレストは困り果てた末に「ありがとうございます」とだけ答えたのだった。
****
マクシミリアンの部屋のシーツを取り替え、それを洗い場で洗う。呪いの緩和のために、せめて神殿の一室で気持ちのいい環境づくりを。そう思いながらセレストが洗濯をしていたら、アイリーンがやってきた。
「今朝はありがとうございました。殿下のために歌ったのだそうですね?」
「アイリーン様……はい。教わりました義母の歌を歌いましたが……夜に子守歌として歌えと言われました。あのう、これはいったい……」
「おやめなさい」
セレストの質問に、アイリーンはピシャリと言った。
「あ、あのう、アイリーン様……?」
「殿下と来たら……もう……」
「ハーヴィー様はなにもおっしゃってなかったのですが、あのう……?」
「……あなたは王立学園を中退して、義母君の介護に当たっていたそうですね?」
「はい」
「そのせいで知らなかったのかもしれませんが。夜に男性の寝室で歌うのは夜伽役と同じです。あなたを自分と同じく魔族に陥れようとしてるのです」
それでようやっとアイリーンがいきなり怒り出した理由がわかった。
セレストを世話役にするとなって、途端に怒り出したマクシミリアンは、彼女を陥落させる方向に舵切りしたのだと。
「殿下はいったいなにを考えてらっしゃるんですか……」
「私では残念ながら殿下の考えは計りかねますが……もしも本当に夜に子守歌に向かうのでしたら、ハーヴィーを必ず連れて行きなさい。必ずです」
「わかりました……」
セレストは洗濯したシーツを干しながら、泣きそうになってしまった。
ひと晩経っていきなり態度が変わったから、なんでだろうとは思っていた。初めて顔合わせしたときにあれだけ機嫌が悪かった人が、いきなり心を開くなんてありえないとは思っていたが、まさか夜伽役にしようとしたなんて、思いたくもなかった。
(あの人は……ひとりで魔王になりたくないから、誰かひとりでも多く仲間を道連れにして魔族に覚醒したいってことなの……? いくらなんでも、破滅衝動がひど過ぎる)
だが。彼が魔王の呪いを受けているという事実も、負の感情により呪いが深化してしまうこともわかっている。彼を怒らせず、どうにかして正道に戻さないことには、どのみち破滅してしまうことには代わりあるまい。
どうにかして彼の夜伽を回避しなければと、夜までセレストはそれに悩むこととなってしまったのだった。
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