第一章 聖徒の座⑧

 ロベルトは聞いているだけで鳥肌が立ったが、平賀は弾んだ声でしつこく質問した。

「どうやって憑依するんですか?」

 サウロはおもむろに言葉をつないだ。

「……悪魔が人に憑依するには三つの段階がある」

「三つの段階ですか……?」

「そう、神の三位一体をあざわらって、悪魔もそれを真似るのだ。まず最初は『侵入』」

「侵入……、ちょっと待って下さい」

 今度は平賀のポケットから手帳とペンが取り出される。いつも何を入れているのか、彼のポケットはぱんぱんに膨らんでいた。ペンの先を一寸ちよつとめ、平賀は手帳に文字を書き入れている。

「『侵入』ですね。はい、用意が出来ましたので続きをどうぞ」

 サウロは渋い顔をして、ロベルトを振り返った。

「彼は私をからかっているのかね?」

 ロベルトは困り顔でサウロに訴えた。

「いえ、決してそうではありません。彼はしごく真面目なんです。平賀はなんというかその……、『記録魔』なんです。おそらく職業病です」

「ふむ、そうか……」

 サウロは不可解そうだったが、ペンを持ってサウロの次の言葉を待ちかまえている平賀の気迫に負けたようだ。話を続けた。

「『侵入』とは、悪魔が近くまでやってきたしるしだ。奴らはこそこそと隠れはしない。むしろ不敵にも自らの存在を宣言しながら現れる。その場合、奴らの多くは水を使う。悪魔による洗礼というわけだ」

「どんな風にですか?」

「例えば、天井から水がポタポタ落ちてきたり、壁に妙な染みが出来たりする。ひどい時は部屋中が水浸しになる場合もある。無論、水道管の故障などではない。自然に湧いてくるんだ」

「理論的には信じがたいことですよね」

「だろうね。だが、この時点で大概の人間は水道屋を呼んで家のあちこちを調べさせている。それでも原因はつかめんのだよ」

「そうなんですか……それは不思議です」

「次に『脅迫』が起こる。悪魔はな人間、特に少年少女に好んで近づいていく。すると、悪魔きの兆候がはっきりと現れ始める。それが『脅迫』の段階だ」

 平賀はペンを素早く動かしながら、

騒霊現象ポルターガイストなどですか?」

「それもある。だが、もっと様々な信じられない現象が起こる。まず憑かれた人間は、人格が一変する。そして時折、不自然に顔面がひきつったり、体がよじまがる。とてつもなく臭いしや物を吐き散らす。少女でも大の男を投げ飛ばすほどの怪力をふるい、野太い声で様々なわいな言葉、神をろうする言葉を叫び続ける」

「ヒステリーや神経疾患の患者の場合にも、同じようなことが起こる場合がありますが、どこが違うと思われます?」

「ヒステリー、神経疾患、いくらでもそんなことは言える。だが、事実は目で視、肌で感じないと分からんよ。理屈ではとらえられんのだ。悪魔に寄生された者、すなわち寄主らが神聖物、例えば、十字架や聖水などを激しく拒絶して、感情的になったり、誰も教えていないラテン語や、古代のヘブライ語などをしやべったりするのは事実だし、私は寄主にされた者が空中浮遊する現場を目撃したことがある。こうしたことに、君は科学的説明をつけられるかな?」

「空中浮遊………素晴らしい……」

 平賀は空中に視線を漂わせ、反射的に何かを答えようとしたが、サウロ大司教はそれを制した。

「いちいち物議を醸す気なら質問は止めてくれ。どんな理屈をこじつけたとしても現実には意味がないんだ。医学では治療できず、エクソシズムによってしかいやせない悪魔憑きが存在するのだからね」

「すいません。理由を推察するのは科学者としての性癖なんです。気になさらず、続きをお話し下さい。聴きたいんです」

「よかろう。真面目に聞きたまえよ。『脅迫』の次は完全な『ひよう』だ。悪魔とその人間が一体と化す。これは非常に重要な期間だ。なぜならエクソシズムは『脅迫』から『憑依』への『変化の時』にしか施す事は出来ないとされている」

「どうやって『変化の時』を見分けるんですか?」

「『脅迫』の段階から我々はエクソシズムを行って悪魔を尋問する。悪魔は口が固いが、『変化の時』には悪魔自身相当のエネルギーを使うので、悪の結界が緩み、口を割りやすくなる。我々はその時期を見抜いて、悪魔の秘密の名前と変化の正確な時を自白させるんだ。もちろん、悪魔も必死だから、我々の心を揺さぶり、信仰を崩そうと様々な手段を試みる。まさに戦いだ」

「希少な経験ですよね。悪魔をじかに肌で感じるだなんて……。けれど、私には出来ませんね。司祭の位を持っていなければエクソシズムをすることは許されないのでしょう?」

 サウロ大司教は、鼻白んだ顔をした。

「司祭の位か……。そんなものは単なる方便だよ。最初の使徒達がエクソシズムをなさった時、司祭などという位はなかった。大事なのは主への信仰と、悪魔に服従しない強い意思の力だ。それがあればエクソシズムは誰にでもできる。しかし今や司祭の位を持っていてもできぬ者もいる。……ともかく、エクソシズムに魔を退ける神聖な力を持つストラと聖水は必要だ。ストラを身につけ、その一端を寄主の首にもかけるんだ。悪魔はこれで緊縛される」

 そういうと、サウロ大司教はなにか思いついたように立ち上がり、壁のフックにかけていたストラを平賀に手渡した。そして飾り棚の中から聖水の入った硝子ガラスの小瓶を机上に置いた。

「君の行くところには悪魔が待ちかまえている。だからこれらを君に預けておこう。万が一の時のお守りだ。いいか、平賀、少しでも悪魔の気配を身近に感じたら、『旧約聖書』の『詩篇』五十四篇、ダビデ王の祈りを読むんだ。そして悪魔に退散を命じ、力強くエクソシズムのことばを唱える。こうだ……」


  我、なんじはらう、

  汝、最も下劣なる霊よ、

  我らが敵の具現化よ、全き亡霊よ、

  我その軍勢のすべてを祓う。

  イエス・キリストのによりて、

  これなる神の被造物より出でて去り行くべし。

  神ご自身が汝に命ず、

  汝らを天の高みより地のふちへと

  堕したまいける御方が汝に命ず、

  海に風に命ずる御方が。

  それゆえに、聞きて恐れよ。

  おおサタン、信仰の敵よ、人類にあだなす者よ、

  死を起こし、命を盗み、正義をこぼつ者、

  悪の根源、悪徳をき付くる者、

  人間を誘惑する者、ねたみをあおる者、

  どんよくの源、不調和のもと、悲嘆をもたらす者よ。

  主なるキリストが

  汝が力をくじき給うことを知りながら、

  何ゆえに汝は立ちて逆らうや。

  彼を恐れよ。

  イサクとして犠牲になり、

  ヨセフとして売られ、

  子羊としてほふられ、

  人間として十字架にかかり、

  その後に地獄に打ち勝ち給いたるかの御方を!


    * * *


「本気でニコラスすうきようの要請を受けるのかい?」

 自宅に戻り、せっせと荷物をボストンバッグに詰め込んでいる平賀の後ろ姿に、ロベルトはたずねた。

「何故聞くんです? 受けますよ。だってもしかすると『悪魔』に会えるかもしれないし、良太の治療費も援助してくれるんですから。お断りするような理由がありません」

「後者の理由は分かるけど、僕らが首を突っ込もうとしているのは、大変なことなんだぞ」

「なにがですか?」

 ロベルトはいらちながら、

「分かるだろう。良太の命をたてにとって、難題を押しつけられたんだ。バチカン上層部の派閥争いに、あの悪名高きP2まで絡んでるんだ。下手したら危険な目に遭うかもしれない。普通なら、うまいこと言って辞退するだろうね。サウロ大司教もそのチャンスを与えてくれていた」

「ああ……そう言えばそうですね。でも面白そうですから」

 平賀は不敵に言った。

「君って、馬鹿なのか利口なのかどっちなんだい? 世の中には悪魔崇拝だのカルトだの、危険思想にかぶれた狂信的なやつらが一杯いるんだぞ。その怖さが分からないかい? 特にP2なんて悪魔並みにたちの悪い組織だ。そんな奴らの周囲をチョロチョロしてたら何があるか」

 平賀は手を動かしたままロベルトを振り返り、微笑した。

「殺されちゃうでしょうか? でも私は、興味あるんですよね。『悪魔との契約』に『処女妊娠』ですよ。考えただけでムズムズしてきます。あっ、私が殉死したら良太はどうなるでしょう?」

「……殉死までしたら、治療の援助ぐらいしてくれるんじゃないかな」

「そうですよね。よかった」

 いともたやすく言い切った平賀に、ロベルトは頭を抱えた。

「平賀、本当に後悔しないのかい?」

「しませんよ。すごく、楽しみです」

「これは僕からの忠告だ。危険を感じたら、調査なんてそこそこにして帰った方がいい」

「そんなこと出来ませんよ。やるなら徹底的にやらなければ。私は、子供の頃、スパイ映画が大好きだったんです」

(やはりこの男、頭のどこかが壊れてる……)

 ロベルトはあきらめのめ息をつき、自分も荷造りする為に、家へ戻ることにした。

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