第一章 聖徒の座⑥


    3 謎の割り符と悪魔との契約書


 布包みが解かれると、そこには一枚の銅板と、小さく丸められた羊皮紙が現れた。

 平賀は、まず銅板の方を観察した。見る限りそれは、完全な形ではなかった。

 銅板の片側は直線だが、複雑な線を描いて欠けたか、割れた有様だ。自然に割れたというよりも、その線のめいりようさから人為的なものだという印象がある。

 銅板には、蛇の首をつかみ、角を生やした異教的な神が、雄山羊やぎが引く戦車らしきものに乗っている線画の浮き彫りがあった。

 銅板が不完全であることは、その像が体の左側面しかないことでも確かだ。

「見ても分かると思うが、あきらかに悪魔像だ」

「本当ですね。形から推測するに、割り符ですね。ちょっといいですか」

 平賀は銅板に引きつけられるようにのぞき込むと、いきなり僧衣のポケットからメジャーと拡大鏡を取り出した。

 サウロは少し驚いた顔で、

「平賀、君はいつもそんなものをもっているのかね?」

「科学調査官としての癖なんです」

 平賀は微笑して答え、忌まわしい悪魔像の描かれた銅板に夢中になりはじめた。

 銅板の大きさを測り出す。

「ええと……縦十・四センチ、横四・二センチ、厚さ一・三センチ……」

 それから平賀は拡大鏡を目に当て、銅板のあらゆる箇所を観察していた。

「曲線を描いてねじれた角は、その形状からして山羊の角のようですね。顔は面長で、額とりようがくっきりと突き出ています。首輪かネックレスらしきものをつけています。ええと……着ている服は、体にぴったりとしたしま模様のもの。戦闘服にも見えます。長手袋をつけた手に蛇を摑んでいて……」

 平賀は、急に視点を固定して無言になった。

「平賀、どうしたんだい?」

「この蛇の頭のところ、ようく見ると『R…I…C…H』、つまり『富』と描かれています」

 サウロ大司教は身を乗り出し、平賀が差し出した拡大鏡を覗き込んだ。確かに言われてみると蛇の頭部に文字が読みとれる。

「本当だ。気づかなかった」

「僕にも見せて下さい」

 ロベルトはサウロから拡大鏡を受け取り、銅板を覗き込んだ。

「蛇の頭の模様のように見えたが、確かに『RICH』とも読めるね」

「でしょう、断定は出来ませんが、隠し文字だと思います。その羊皮紙には?」

 平賀の洞察力に驚かされたサウロは、慌てて丸められた羊皮紙を広げ、平賀から読めるように角度を変えた。

 一瞬、見知らぬ文字と思え、平賀は瞬きをした。だが、じっと見る内、文字が目にんできた。

「英語の鏡文字ですね……」

 文字の左右が反転し、鏡で映した時に普通に読める『鏡文字』。『鏡文字』は、悪魔との契約書に使われる特別なじゆぶつだとされてきた。平賀は注意深く羊皮紙に記された言葉を拾っていく。


  我が黒き主、キリストと対極にあり、

  同等なる力を有する全能なる主であります。

  あなたは、さつりくと犠牲をもって

  世界を新しく塗り替える方。

  おお、あなたこそは甘美なるうつしの主。

  肉の世界を操るお方。

  我、宗教裁判も最後の審判も信じることなく、

  拷問も火刑も毒殺も恐れることなく、

  我は黒き主を信仰し、

  主の郎党なるものとの契約を受領せり。

  これなる契約の力と引き替えに、

  現世での『富』と『栄光』を得ん。

                    アントニウス・ルカ  


すごい。本物の『悪魔との契約書』なんて初めて見ました。最後の文面の一節からみて、『RICH』が隠し文字である可能性は濃厚ですね。とすると、これと対になっている符には『GLORIA』(栄光)とでも書かれているのかな……。でもまさかアントニウス司祭が、悪魔との契約書を作ってるなんて……。悪魔崇拝者の司祭ですか……。なんだか胸がどきどきしてきました」

 ロベルトはひそかに主の御名を唱えながら、天を仰いだ。

 さぞかし、平賀の胸はエキサイティングなゲームにときめいていることだろう。こんなきな臭い調査に、平賀が真剣に首を突っ込み出すと、いもづる式に大変なクジを引いてくるのではないか、という悪い予感がする。

 サウロは、彼の言葉を全く違う意味に受け取ったようだ。

「平賀、驚くに値するほど珍しいことではないよ。深い信仰を持つ者は他の者より、悪魔に狙われやすく、常にその誘惑に苦しむものだ。神を見る者は同時に悪魔も見る。司祭が悪魔との契約書を交わしていた先例は、古きよりユルバン・グランディエにもある。アントニウス司祭ももんし、死を選択したのだろう」

 サウロは、ルーダンのウルスラ修道会の修道女達に魔法をかけたとがで、生きながら火刑に処された十七世紀に実在の司祭の例を教訓に挙げた。

「それだけではない。これを見たまえ」

 サウロはさらに、机の引き出しから二枚の写真を取り出した。

 一枚はパウロ大司教と、見知らぬ顔が噴水の前で話をしている写真だ。二枚目はその手元の拡大写真だった。パウロの手に銅板、男の手にも銅板、二人はそれをピッタリとくっつけ合わせている。

 写真は多少けていたが、パウロ大司教の手にしているものは、今、平賀の目前にある銅板と同じに見えた。男のほうの銅板は、それを摑んだ手が邪魔をしてよく分からない。

「なる程……やはりこの銅板は、割り符だったんですね。誰がこんな写真を?」

 平賀は目を丸くし、感心した顔で言った。

 サウロは小さくせきをした。

「我がフランシスコ会の優秀なちようほう部員が盗撮したものだよ。第三の条件の一つは、セントロザリオ修道院で、この銅板、あるいは契約書と同じものを探すことだ」

「セントロザリオで? ニコラスすうきようは、この銅板がセントロザリオ修道院にあると思っておられるのですか?」

「言われる限り、そう信じておられるのだろうね」

「どうしてですか? 私にはなんだか突拍子もない話に思えますが、根拠は何ですか?」

 平賀が詰め寄る。もはやこの『謎めいた指令』に完全に魅せられているようだ。

「私もそこまでは聞かされていない。上層部の機密だ。ただセントロザリオには奇跡にまつわる話が多い。キリストがお生まれになった時と同じ、土星と木星のグランドコンジャンクション(大会合)を成す六十年に一度の年、マリアが姿を現すとも言われている」

 そう言うと、サウロは一枚の色あせた写真を二人の目の前に置いた。そこには数十人の人だかりと、その向こうに浮遊しているマリアらしき像が写っていた。

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