第107話 邂逅

 でかい。

 いや、でかいなんてものじゃない。これは、山だ。

 先日の異形竜も大きいと感じたが、こいつはそれどころではない。

 明らかに異常。生物として異常。そもそもこんな巨大な生物がアースの重力に逆らって、普通に生存しているという事実に驚愕を隠せない。

 ドローンの映像で見た時もでかいと思ったが、実際に目の当たりにすると、その異常さが威圧感を伴ってこちらを圧倒してくる。こんな、こんな化け物と戦ったとして、本当に勝てるのか?

 遠くから見ても小山のようなその存在に、200メートルほどの距離まで近づく。

 ここまで乗せてもらったジープの運転手たちに礼を言って、歩いてその巨獣へと近づいていく。自分で言い出した事ながら、こんな怪物と会話なんてできるのだろうかと不安になる。

 そもそも大きさが違えば、届く声の範囲も違うだろう。こちらは相当大声を張り上げなければ聞こえないのではないだろうか。声帯を変化させた上で。

 うんざりとそう思いながらその巨大な茶色い塊に近づいていく。残り100メートル。唐突に、その茶色い塊が蠢いた。途端に背筋に悪寒が走る。

 やばい、なんだ、これ、怖い。怖い。恐怖を感じたのはいつ以来だ。

 圧倒的な威圧感。立ち上がったその巨体。震える。ダメだ、これ、ダメだ。絶対に無理。こいつが襲いかかってきた時点で、人類は、終わる。

 凄まじい圧迫感を感じる。目の前に立ち上がった巨竜の高さは見上げるほどで、測定も困難だ。覚えている建造物の高さを思い出して比べても、25メートル以上は余裕であるだろうか。どう足掻いても、この自分が携えた頼りない刀が、その頭部に届くとは思えない。

 無理、無理。絶対に無理。人類はここで終わった。

『ふむ、来たか。待ちわびて腹が減り過ぎて、死ぬかと思うたぞ』

 その巨竜は、こちらを圧倒的な威容のままに睥睨して語りかけてきた。あの言語、異形竜が喋っていたのと同じ唸り声の言語だ。

『あ、あなたは。対話に応じる事は』

 恐怖のあまり、他に何も言う事ができない。ダメだ、これ、これは、もう、自分たちで手に負える竜ではない。これは、単なる竜ではない。龍だ。ドラゴン。神話の存在。

 この巨大な存在の一蹴りで自分たちは消し飛び、アース上の人類は終わる。

 やってくる前に定めた強い決心が萎えていく。逆らえない。どう頑張っても、足掻いても、人類はこの存在に勝てない。

『そのつもりでおった。故に、こうしてじっとしておったのだが……流石に、のう。腹が減った』

 ぐおお、とあぎとを開かれて戦慄する。まさかとは思うが、小さな自分たちを食っても、腹は膨れないと思うのだが。

『何かこう、食わせてくれぬか。お主らの育てておる食肉でも構わぬ。荒野を走る獣でも構わぬ。せめて、交渉を可能な程には、のう』

『わかりました。お待ちください』

 嫌も応も無い。この交渉を断って、人類が生き延びられるわけがない。自分にはわかる。この存在には絶対に勝てない。自らの細胞がひしひしと伝えてくる。こいつには、逆らうなと。

 震える手でヘッドセットを引き寄せて、連合王国語で呼びかける。

『食肉用の牛を、ええと……さ、ご、五頭。前線に運んできてください。交渉が可能そうです』

 最初、三頭、と言おうとした。だが、体の中の何かが、そんなもので足りるわけがないだろうと暴れた。当然だろう。あの巨体が2日以上もじっとしていたのだ。大型の牛五頭でも足りるとは思えない。だが、とりあえず、とりあえずだ。

『ミサキ?交渉が可能なのですか?』

 ジェシカの声が聞こえる。そうと言えばそうとも言える。だが、これは強制に近い。

 いくら自分が、フレデリカがいようが、こいつ、この異様な存在に勝てるとは思えない。これは本能であり、肉体に刻まれた絶対の決定だ。

『基本的に要求を呑むしかありえません。フレデリカ、わかりますか?』

『……ああ。ダメだ、こいつは。僕らが束になってかかっても、一瞬で蹴散らされるのがおちだろうよ』

 流石に彼女はお互いの実力を良く分かっている。そうなのだ。

 肉体がビリビリとそれを伝えてきている。これは、無理、絶対に無理だと。

 大きな、というには言葉で足りない、あまりに巨大なその生き物を見上げた。

 形状は極めてシンプルだ。茶色い身体に全身を覆うヘビのような鱗。大きな頭部に、太い後ろ脚、小さく尖った爪を持つ前脚。

 シンプルだ。極めてシンプルであるがゆえに、今、白亜紀に存在したとされていた最強の獣脚類の姿を思い浮かべてしまう。

『T-REX……』

 ジェシカが小さく呟いたのがヘッドセットを通して伝わってきた。

 そう、この巨竜、その姿形は、復元されているこの世界で一番有名な肉食恐竜の姿に最も似ている。

 獣脚類最大と言われている地上の覇者、陸上の暴君。誰もが骨格の再現で、映画で、その他創作物で。知らない者がいないと言っても良い、あの、恐怖の象徴が、その知られている大きさの数倍の威容を以て目の前に鎮座している。

 恐怖以外の何と言えば良いのだろうか。これが暴れ出した途端に、周辺が灰燼と化すのは目に見えている。そう、自分たちもその塵芥ちりあくたの一粒に過ぎない。

 何なのだ。

 一体、何故このような暴力がこの世界に顕現しているのだ。

 理不尽すぎる。笑いも涙も出てこない。この世界は、この存在がひと暴れしただけで終わってしまう。どう考えても無理だ。無力感が全身を苛む。せめて、せめてソウと家族だけは。

『おお、早いの。あれがお主らの食肉か』

 バラバラと大きな音を立てて、軍用の輸送ヘリが大きな牛を吊り下げてこちらへと飛んでくる。

 哀れな肉牛は自らの運命を知らず、呑気にモーモーと中空に浮かぶ恐怖を鳴き声にして出している。ああ、かわいそうに。あの牛たちは、空を飛ぶ恐怖よりも次に訪れる恐怖にその心臓を止められるのだ。

 ダウンタウンのパークに降ろされた牛は、その拘束が外れると同時に巨竜の鋭い牙の餌食となった。

 悲鳴を上げる間も無く、空中に放り上げられた茶色い毛の牛は、虚空でその鋭い牙の並ぶ大きな口に咥えられたかと思うと、ゴキゴキという骨を噛み砕く音と共に、その巨竜に咀嚼された。

 いや、咀嚼というのは頬を持つ生き物の表現だろう。その光景は見たまま文字通り、肉を裂かれ、骨を砕かれ、上を向いた獣脚類の、ただの栄養分としてその胃の中に収まっていく。

 逃げる間もなく、降ろされた五頭の牛は同じ運命を辿った。

 血痕の一つも残さず、骨の一片も残さず。地上に現れた無慈悲なる暴君の腹の中に、その全てが収められていった。

『これは、良く育てられておる。野生のものに改造を加えたもののようだな。やはり、知性ある生物の所業じゃ』

 当たり前だろう。食肉牛は、人類がそのエゴによってより可食部を多く取れるようにと品種改良したものだ。それは、牛や豚、鶏に限らず、植物である果実や野菜、穀物にだって及ぶ。そうやって人類は食料を確保してきたのだから。

『理解されたと思います。それで、交渉を』

 こんなものと戦って勝てるとは思えない。交渉し、和平の道こそが我ら人類の生き残る術でしかない。何なのだ、こいつは。前の異形竜が可愛く見えるレベルではないか。

『ふむ、そうじゃな。我らの言語を理解できるものがいるであろう、というのは、分かっておったが』

 山のような獣脚類はこちらをその巨大な瞳で見据える。それだけで萎縮して硬直してしまう。

『先の、あれ。強硬派の、ディ・ラヌソスを殺したのは、お主らじゃな』

 強硬派?ディ・ラヌソス?あの派手な竜の名前だろうか。

 具体的にこの巨竜の唸り声から明確に名前を判別できたわけではない。ただ、彼らがあの異形竜をどのような意味で呼んでいるか、というのを我々の言葉に変換すると、恐らくそういった発音になるのだろう、というのが何となく分かっただけだ。

 敢えて言うなら、乱暴者、暴君とかそういった意味合いの言葉だ。

『羽とトサカの生えた、尻尾にコブのあるあれなら、確かにそうです。私達が殺しました』

 嘘を吐けるような状況ではない。正直に言わねば、即座に殺されそうな威容。

『なるほどのう。まさか、あの暴れん坊を殺せる者がおろうとは。しかし、お主らを見て、聞いて、分かった。我らとの会話が可能なその知性と肉体言語。種は、上手く撒けたようじゃのう』

 種、種。種、種だ。そう、こいつ、こいつが、元凶か。

 竜が現れたのも。

 沢山の人が死んだのも。

 そして、私がこの身体になったのも。

『あれは、あなたの事を馬鹿にしていたようでしたが』

 異形の竜は、因子をばらまいた存在の事をじじいと呼んでいた。それがこいつなのか、それ以外の竜なのかは、それだけでは判別がつかない。ただ、恐らくこの推測は間違ってはいないだろう。

『ほう、そうか。まだあいつは若造じゃったからのう、遠大な計画の事は理解できんのじゃ。それでも強硬派の中では相当に強い存在じゃったのじゃが。まぁ、だとしてもあれはまだ、儂から見ればひよっこじゃ。それはお主らにも分かっておろう、のう?』

 分かる。理解せざるを得ない。どう見ても、この恐竜は、あの派手な異形竜よりも遥かに強い。格が違う。本能がそう叫んでいる。

『うむ、分かっておるようで何より。彼我の力量を測るというのは大切な事じゃ。儂としても無為に攻撃されて、反撃で身内を殺すのは忍びないからの』

 身内。やはり。

『あなたが、あなた方の因子を我々の祖先に振りまいたのですね』

 既存の遺伝ではあり得ない、人と竜の特徴を持つ存在、駆逐者。

 次元転移を行うような超高度な科学力を持った存在にとって、進化の後に隔世して発現する遺伝要素を含ませるなど、造作もないことだっただろう。

『その通り。多分に博打の要素が強かったがの。我ら穏健派としては、強硬派を納得させるだけの理由付けが必要だったのじゃよ』

 先程から、穏健派、強硬派と、彼らの中にも派閥や意見の相違のようなものがあるらしい。

 当然だろう。知性あるものが集まれば、当たり前のように個人……いや、この場合は個竜か。それぞれで考え方に違いが出てくる。人間と同じだ。

 戦闘の意思は無し、と見た仲間たちが、周辺からぞろぞろと集まってきた。誰もかれも、その顔は青褪めている。恐怖しているのだ。

『ミサキ。どういう話をしているの?私たちにはまだわからないよ』

 メイユィがそっとこちらの腕にしがみつく。僅かに震えている。

『まだ交渉は始まっていません。ですが、どうやらこの竜は、穏健派と呼ばれる派閥に属しているようです。先の異形のように、すぐに人類を根絶やしにしよう、というわけでは無さそうです』

 正直言って、助かった。こんな恐ろしい存在が、もし問答無用で襲いかかって来ようものなら。

 我々は瞬時に全滅、或いは『ゾーン』の使える自分やフレデリカは、ある程度生き延びるかもしれない。けれど、それはただの時間稼ぎに過ぎない。

 『ゾーン』の効果時間が切れたと同時に、人類の歴史はこの日をもって終幕へと向かい出していた所だった。

 目の前の小山が唸る。茶色い頭部をやや横に向けてこちらに下げ、覗き込むようにして我々を見ている。

 ロロがひいっと引きつるような声を上げた。怖い、恐ろしい。心臓を鷲掴みにされたような、抗いようのない恐怖。本能的に圧倒的な存在を忌避する、一種の防衛機能。

『お主らが我が眷属じゃな。七柱か。上出来、上出来。しかし、仕方がないとは言え、そのように怯えずとも良い。お主らは、大事な我らの生命線なのじゃ。取って食ったりはせぬよ』

 ロロに、大丈夫ですよと伝えるが、抗い難い本能にはどうしようもない。

 ただ、それでも一応は全員が揃って武器を収めた。

『それで……すみません、お名前を伺っていなかったように思いますが。私は、ええと、ミサキと言います』

 どう表現したものか、少し躊躇した。

 男性の頃であれば、海に飛び出た地形の事だと説明ができた。だが、今は違う意味として伝えた。

『華麗に咲き誇る、か。我が眷属に相応しい、麗しい良い名じゃ。儂はシ・エネク。名前の通り、歳経ただけの老いぼれじゃな』

 老いた者、古いものという意味の名だった。彼を老いぼれ、と表現するには、あまりにも強大すぎる存在であるので、謙遜であるのは疑いようがない。

『それで、シ・エネクさん。そちらの要求は何でしょうか。我々だけでは人類の総意を代弁できませんので、一旦持ち帰る事になりそうですが』

 それほど大きな声を上げずとも、シ・エネクはこちらの声を聞き取ることができるようだ。我々と同じく、意識すれば聴覚に指向性を持たせて鋭くできるのだろう。

『うむ、まぁ、そうじゃの。もしかしたら勘付いておるやもしれぬが、儂らは、大いなる滅びを回避しようと思うておる。そのためにあれこれと策を弄して、こちらに罷り越した次第、というわけなのじゃが』

 大いなる滅び、というのは、恐らく隕石の衝突の事だろう。K-Pg境界と呼ばれている大量絶滅の切欠は、今の合衆国の南に着弾した、半径10キロメートル程のメテオインパクトだと言われている。

 どうしてそれを予測できているのか、というのを聞いてはみたいものの、それは後回しだ。彼らの科学力が優れているのは疑う余地は無いし、今それを説明されても、自分たちにはちんぷんかんぷんだろう。

『儂らの要求はただ一つ、生存じゃ。生きて、喰らい、排泄し、子孫を残す。大雑把に言えばこれだけじゃの』

 生物の本能、どの生き物も当たり前のように求めるそれを、巨大な古竜は唸り声でこちらに伝えた。

『それは、具体的に、あなた方はどの程度の数を維持しようと思っておられますか』

 先程この竜は、大きな牛、五頭をあっという間に食らって見せた。あれで足りるのかどうか分からないが、この巨体を維持するのに、動物園にいるゾウやトラ程度の食事量で済むとは思えない。単純な体重換算で計算しても、数倍では済まないだろう。

『うむ。我ら、叡智あるものの総個体数は200足らず。我らは長命であるが故に、繁殖はそれほど頻繁には必要ない。必要ないの、じゃが』

 古老はこちらを見下ろし続けている。言いたいことは分かる。何故なら、その事は先の異形竜、ディ・ラヌソスの言葉によって知らされている。

『まぁ、お主らが少し協力してくれると助かるの。何、それほど頻繁でもないし、すぐに終わる』

 天井のシミを数え終わるまでに、というのは古風な表現ではあるものの、流石に若干怖気が走った。嫌だ、嫌に決まっている。協力する、と言えばまだ言い方は柔らかいが、要は、お前たちの生殖機能を貸せと言っているのだ。

『そちらは持ち帰って検討します。ですが、シ・エネクさんたちのように大きな存在を200も養うだけの食料資源は……』

 牛五頭が一日のすべて、というわけではあるまい。全長で40メートル以上はありそうなこの巨体を支えるのに、一体どれほどの肉が必要になるのか。それが、200、200もだ。

『お主らによく似た小さきものは、どれほどの数、この世界におる?』

『……おおよそですが、現在は80億以上』

 答えにくい。間違いなくこの後、彼が何を言うかというのが想像できてしまう。

 人類は、今、このアース上で最も繁栄している種族だ。

 数で言えば昆虫や微生物にはかなわないが、ある一定以上の大きさを持つ脊椎動物、という括りで見れば、これほどまでに個体数を増やした種族は無い。間違いなく、今のところ、アースの支配者は人間だ。そう、今のところは。

『それはまた、随分と殖えたのう。それだけの数、養うのも大変であろう?』

『……持ち帰って検討します』

 要はこう言いたいのだ。それだけいるのなら、その分のリソースをこちらに寄越せと。

 人間の餓死者を出してでも、個体数の少ない我々との共存に協力せよ、という、形は違えども一方的な侵略と大して変わらない通告だ。

 仮にそうなった場合、食料自給率の低い国、経済力の弱い国から滅びていく。

 食料資源の奪い合いが始まり、各国はまた軍を整備し、自国を生き延びさせる為の戦争が始まるだろう。土地と食料を奪い合う、古代から中世までの世界に逆戻りだ。そしてその背後には、200頭の竜たちの存在。

『うむ、良い方向に検討しておくれ。ただの、答えを出すのに期限は切らせてもらう。今から、そうじゃな、今のアースの時間で、およそ日が30回上るまで。それを過ぎた場合」

 大いなる存在は一旦そこで思わせぶりに切った。

『他の者たちもここへやってくる事になっておる。儂が生きておる以上はな』

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