第75話 溜まった欲望

 カワチ県サクラダ中央市にある自宅に戻ってこられたのは、昼を少し過ぎた頃合いだった。

 日を合わせる形で有給休暇を取得していたソウは、鍵を開けて玄関で靴を脱いでいたこちらを、わざわざ廊下に出てきて出迎えた。

「お帰り、ミサキ」

「ただいま、ソウ。お昼は食べた?」

「食ったよ。カップ麺だけどな」

 やはりこの男を一人にしておくと食事を適当に済ませてしまいがちだ。夕食は何か凝った、栄養バランスの良いものを作るべきだろう。だが、それよりも先に。

 靴を脱いでフローリングの廊下に上がると、転がしてきた旅行ケースには手も付けずに、そのままがっしりとソウの腰に手を回してしがみついた。

「み、ミサキ?」

「約束してたでしょ?帰ったらすぐに抱いてくれるって。ねえ、もう、四日も我慢してたんだよ?」

 あちらではビデオ通話で発散したものの、やはり実際にしないと物足りない。島を出た時も、飛行機の中でも、ずっとその事が頭の隅にこびりついていたのだ。

 背中に手を回して、ワンピースのジッパーを下ろす。すとんと落ちた衣服の中は、朝からずっと着たままの、例のハイレグスケスケ水着姿だ。

「お前、そんなに」

 途端に彼の欲望がむらむらと湧き上がってくるのを感じる。雄の臭いを感じて、思わずぶるりと身を震わせた。

「だから、今すぐ、しよ?ここで」

 廊下だ。二人がすれ違える程度の狭い空間。だが、身体を重ねるのに不都合だという事はない。飛行機の中でも、ずっとずっと、ここでしてもらおうと思っていたのだ。

「ああ……分かった。手加減しないからな」

 彼が水着に手をかけた。久しぶりの交わりを期待して、身体が完全に臨戦態勢になっているのを感じた。



「リュウキュウでも竜災害、あったんだって?」

 寝室に移動してから幾度目かの絶頂を迎えた後、抱き合ったままの姿勢で彼が頭の上で囁いた。

「うん。あんまり強くなかったし、すぐに出動できたから被害は小さかったけど。ネットにも記事出てた?」

 新聞でも記事になったのだから、電子版でも当然載せているだろう。

「出てたよ。ただ、好き勝手な事を憶測で言ってる奴が増えてたのが気になった」

「好き勝手な……ひょっとして、恐竜の出現が私達の近くに出るってやつ?」

 彼は少し不機嫌そうに頷いた。以前、サクラダ駅で起こったことについて、彼が完全に否定した事だ。蒸し返されたようで気分が悪いのだろう。

「私達が恐竜の出現に関係しているかどうかは兎も角、何らかの関連性はあると思ってる。ああ、違うって。そういう意味じゃなくて」

 口を挟もうとしたソウを慌てて止める。

「だって、おかしいでしょ。人間が絶対に太刀打ちできない存在が現れたかと思ったら、それに対抗できる人間が出てくるなんて。どっちが先かは置いといても、何か関係してるんじゃないかって考えるのが普通だよ」

「それはまぁ、そうだけど」

 都合が良すぎるのだ。常識的に考えれば、人類はなすすべもなく隅っこに追いやられて文明が衰退するか、最悪絶滅してしまうまで考えられる。

 竜は自分達が倒さなければそのまま居座るので、今のペースでどんどん湧いてきたら、そのうち恐竜に世界を乗っ取られてしまうのは明白だ。

 こちらからは攻撃が通用しない。あちらは当たり前のように建物を壊し、人を食らう。どうしようもないのである。そこに、都合よく駆逐者が現れた。

 神が我々を遣わした、なんてことは当然無いだろう。人類が都合よく進化した、というのも考えにくい。となれば、竜の出現に合わせて我々に何か変化があったのか、あるいは逆に我々の変化があったからこそ竜が現れたのかのどちらかだと考えられる。理屈は分からないが。

「ただ、どっちにしても私達は人類の為に戦ってる。それを疫病神みたいに言われるのは、ちょっと嫌かな。私だってなりたくてこうなったわけじゃないのに」

 そう言うと、ソウはぎゅっとこちらの身体を抱きしめてきて言った。

「俺は、でも、今のミサキが好きだ。男のままだったとしても、多分ずっと友達だっただろうとは思うけど」

「うん。私も別に、もうこの身体の事、嫌いじゃないから」

 戻れないと確信した時点でこうなると思っていた。だったら、せめて。

「だから、ソウ。もっと愛して。私がこの身体で良かったって思えるように」

 彼は黙って抱く力を強くした。その愛情をこの身体に刻み込む為に。


 染み付いた汗と体液を流すために風呂に入り、中でも当然のように一戦した後、心地良い気だるさの中、夕食の支度をしている。

 ソウはこの四日間、ずっと外食かインスタント食品だったらしい。自分で作れとは言わないが、もう少し必要な栄養素には気を配って欲しいものだ。

 とろみを付けた野菜たっぷりの餡を揚げた麺にかけながら、リビングの椅子に腰掛けてテレビを見ている彼を見遣る。

 早くも寝間着のスウェット上下に着替えた彼は、頬杖をついてテレビのニュースを眺めている。リュウキュウの竜災害は被害が小さかったためか、あまり大きくは報道されていない。

 別にこちらの功績を讃えよというつもりは無いが、典型的なGood news is bad newsである。被害が拡大すればするほど大きく報じられる。報道の非対称性とでも言うべきか。

 当事者にとっては一つ一つが大変な戦いで、どれも忘れることのできない事だ。

 被害者だって遺族にとってはどれだけ小さな災害規模だろうと、それは一生に関わる大きな出来事である。助かった人たちだって死ぬような思いをしたのだから、もう少しこう、助かった経緯だとかを報道しても良さそうなものなのだが。

 皿に揚げた麺を盛って餡を掛け、テーブルに持っていく。ついでに今日はヨーグルトソースをかけたフルーツサラダなんかも作ってみた。ソウは普段からあまり果物を食べない。これはメイユィだったら大喜びしそうな品である。

「おっ、あんかけやきそばか。食べるのは久しぶりだなぁ」

「作るのに結構手間かかるからね。売ってる麺買ってきてもいいんだけど」

 パリパリに揚げ焼きにした央華麺の上に、とろみを付けた野菜たっぷりの餡。最初はパリパリとしていて香ばしいが、最後の方になるとじんわりと麺に餡の水分が染みて、しっとり柔らかで美味しくなるのも楽しい。

 麺を作るのに一食分でフライパンまるまる一個使うため、餡の作成も考えるとどうしても手間がかかる。今日は時間があったのと、可能な限り野菜を食べようと考えた結果である。

 麺と餡の味わいに舌鼓を打っていると、BGM代わりにしていたテレビの画面が突然切り替わった。

「ん?緊急記者会見?これ、連合王国か?」

「うん。えーと、『我々が得た情報により、連邦に七人目の駆逐者がいる事が判明した。これは世界に対する明白な裏切りである』……ああ、ついに公表したんだ」

 テレビの中では現連合王国首相であるスペンサー・ピットが、あまり変化の無い表情で彼らの立場からの意志を表明している。

「七人目って。いたのか。そりゃあ連邦なら隠すだろうな」

「うん。『我々欧州連合並びに合衆国はこの裏切りに対し、強く糾弾すると共に、七人目の詳細を詳らかにするべく、連邦に求めるものである。これに応じない場合、連邦内での竜災害に、今後我々は責任を持つことはできなくなるだろう』うん、まぁ、妥当な対応だね」

 要するに、七人目を戦力として供出しないと、こっちはお前らの所は助けないぞと言っているのだ。広い国土を持つ連邦には、激化が進む竜災害の鎮圧は、たった一人では不可能であろう。どれだけ強くとも、同時に相手にできる竜の数には限界があるのだ。

 昨日のリュウキュウだって、自分一人だけだったら被害はもっと拡大していたのは間違いない。

「馬鹿だなぁ。国内向けにポーズを取りたかったのはわかるんだけど、ちょっと考えりゃ分かりそうなもんだろ」

「発表しようにもできなかったんじゃないの。連邦の経済は年々悪化してるし」

 有力な資源産出国が連邦を相次いで脱退した為、天然資源の輸出に頼っていた連邦は青息吐息だ。合衆国と張り合っていた往年の『強い連邦』を国内にアピールするために、どうしても自前の駆逐者を確保しておきたかったのだろう。欧州連合に加入を望むキーウ公国に攻め入ったのも、ほぼそれが理由だ。

「フレデリカは今頃足を組んでニヤニヤしてるんじゃないかなぁ。彼女、滅茶苦茶怒ってたし」

「そうなのか?もっと飄々とした人に見えたけど」

「そうでもないよ。若干危うい所があるから心配だったけど、今回はどうにか失態を取り戻せたみたいだね」

 こちらに直接意志を伝えてくる程に、彼女はこの事に腹を立てていた。当然と言えば当然である。何しろ、自分達の受け持ち範囲に、まるで関知しない戦力を隠し持たれていたのだから。アトランティックに一人増えていれば、今までの鎮圧がどれだけ楽だったことだろうか。

「何にしても、これで連邦はもう一人の存在を公表せざるを得なくなったね。さてさて、ちゃんと手伝ってくれるかな」

「増えたらこっちも手伝ってくれるのか?」

「場所によってはそうなるね。遅くなったけど、結果的には戦力増強だし、ありがたい事かも」

 そのまま単独で動かれるよりは遥かに良い。一人で動いて勝手に死なれては、こちらとしても大きな戦力の喪失だ。それだけは絶対に避けたい。竜災害全体を見渡せば、戦力の分散は間違いなく愚策である。

 食事を終えて片付けを済ませると、どちらともなく寝室へと戻った。

 翌日が休日である為、再燃した情欲が燃え尽きるまで、激しくお互いを求め合った。

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