第36話 面会実験

 昼食後、二人が昼寝に入ったのを見届けて、部屋の端末で調べ物をしていると、控えめな音量で部屋の内線が鳴った。

「はい、カラスマです」

『ミサキさん、今から少し出るのでついてきて貰えますか』

 オオイだ。何だろうか、また取材でもあるのだろうか。

「私一人ですか?二人は?」

『ミサキさんお一人です。今から降りますので、戦闘服に着替えてお待ち下さい』

 戦闘服で?まさか一人で竜を狩れ、というわけではないだろうが。

 服を脱いで黒いぴっちりとしたインナーに着替える。この部屋にも監視カメラがついているので、監視室のモニターですべて見られている。ただ、どこについているのかがわからないので、死角を探してそこで着替えるという事もできない。あまり気分は良くないが、仕方がないだろう。

 出かけてくるという書き置きを談話室に残してトレーニングルームで待っていると、重たい扉を開けてオオイが姿を現した。

「お待たせしました。新しいコートをお渡ししておきます。では、行きましょうか」

 暫く間が空いていたが、茶色いロングコートを受け取る。最初に貰ったものはエゾでGクラスに食われてしまったので、その後申請書を出していたものが漸く支給されたのだ。

「どこへ行くのですか?二人だけで?」

 階段を上るオオイの背に問いかける。彼女は引き締まった尻を揺らしながら、振り向かずに答えた。

「博士達は先に行っています。目的地はすぐそこ、タカシマ山です」

「タカシマ山?フェルドマン博士も?山に一体何が」

 タカシマ山はこの駐屯地のすぐ東側にある、標高500メートル足らずの山だ。ハイキングコースも整備されているが、その大半は手つかずの森である。

「行けば分かります」

 そりゃあ行けばわかるだろう。だが、戦闘服にコート、背中には竜殺しの大太刀という出で立ちというのは中々に物騒だ。まるで竜を狩りにいくかのような。

 山なので獣はいくらかいるだろう。熊が出るというのは聞いたことがないが、最近は猪や鹿、狸なんかは人里に降りて来たりもする。狸や鹿は兎も角、野生の猪は割と危険な獣である。防衛隊と言えども迂闊に街中では発砲できない以上、自分を連れて行くというのは合理的ではあるが。

 建物の外に出ると、護送車のような頑丈な車両が停まっていた。トラックをフレームで強化したような形状をしており、荷台部分に人が乗り込めるようになっているようだ。

 オオイの後ろについて後ろの扉から乗り込むが、中には誰もいない。運転席の隊員以外は自分達だけのようだ。何故にこのような大型の車両を。

「出してくれ」

 オオイが二台の前の方から運転席に呼びかけると、軍用トラックは動きながらゆっくりと旋回を始めた。

「ミサキさん、今から行く場所は、国家の特別機密の対象となっている場所です。絶対に、そこに何があるという事を他言しないようにお願いします」

 何となく想像がついて、黙って頷いた。

 トラックはゴトゴトと法定速度で進んでいく。窓が無いので周囲の様子は分からないが、暫く走り続けていると、路面が悪くなったのか揺れが大きくなった。

 タイヤが踏みしめていた音が、アスファルトのそれから石と土のそれに変わる。遠心力と車体の向きで、山道を登っているのだなという想像はつく。

 音が変化してから小一時間ぐらいだろうか。やはり、そうだった。

「オオイ二佐、この間の捕獲した竜ですね」

「そうです。やはり、分かりますか」

 血圧と体温の上昇が感じられる。身体が勝手に竜を殺せと昂りだした。

 軍用トラックは徐々に速度を落とし、揺れが少ない場所に入ったかと思うと、静かにその動きを止めた。到着のようだ。

 後部の扉を開放して降りていくオオイに続く。降りた先は、木々が切り開かれて舗装された駐車場だった。真っ昼間なのに妙に薄暗いなと思ったら、頭の上には濃い緑色をした網が張り巡らされている。カモフラージュか。

 オオイは運転席の防衛隊員に二言三言話しかけると、こちらについてくるようにと促した。向かう先には、灰色の四角い建造物が屹立している。

「徹底していますね。合衆国は知っているのでしょう?」

「はい。ですが、この施設は央華には知らせていません。彼らは油断がなりませんので」

 同じチームには央華人であるメイユィがいる。駐屯地内の研究所にも、央華から来ている研究員が何名かいたはずだ。それでも尚、ここを隠す、という事は。

「軍事研究施設ですか」

 ヒノモトは西側に所属する国家だ。合衆国や連合王国と足並みを揃えてはいるものの、地理的なものに加えて脇の甘い部分が目立つ為、あまりこのように秘匿された場所というのは少ない。自分も、あるだろうとは思っていたのだが、まさかこのような所に隠されているとは思わなかった。

「元々大戦中に作られた施設だったのですが、占領中に合衆国が接収して設備を整えたのです。返還後、防衛隊の前身である警備隊が引き継ぎ、今に至ります」

 随分と歴史のある施設のようだ。だが、その割に見えているコンクリートの建物は真新しく、駐車場の舗装も行き届いている。恐らく何度も改修を繰り返しているのだろう。

 駐車場を越え、鉄条網の巻きつけられた金網に向かう。武装した防衛隊員が立っている場所に近づくと、無言で人一人分通れる程の扉が開けられた。

「厳重ですね。武装までさせているとは」

 門番だけでなく、周辺を巡回している防衛隊員もアサルトライフルで武装している。金網にはそこかしこに監視カメラが取り付けられており、まるで重犯罪者を閉じ込めておく監獄のようである。

 彼らは主に人間の侵入者を防ぐのが仕事だろう。恐らくこの施設の中にいるであろう、あの自分達が捕まえてきたSクラスの恐竜は、いくら銃弾を浴びせかけたところで死なない。逃げたが最後、ここにいる防衛隊員達は全滅である。

 鉄条網付きの金網で囲われているとは言え、あの竜の力であれば突破は容易いだろう。山に逃げ込まれでもしたら取り返しのつかないことになりそうだ。

 オオイと二人で建物の入口に向かう。遠くからではカモフラージュされて見えなかったが、目隠し状に置かれていたコンクリートの壁の裏に回ると、随分と近代的な自動ドアの入口が姿を見せた。

「自動ドアですか」

「シャッターもついていますよ。非常時には上から落ちてきます」

 当然だろう。ガラスの扉など紙の壁も同然だ。Sクラスでさえ、あの頑丈なヤマシロ市役所のガラスをぶち破ったのである。

 中に入ってすぐ、窓口のような監視室があった。外側から見えないような位置にずらりとモニターの並ぶその部屋に、オオイがひと声かけてから奥に進む。窓口には鉄格子が嵌っていた。

「まるで監獄ですね」

 感想そのままを口にする。前を歩く二等陸佐は軽く肩を竦めて言った。

「監獄であればよかったのですけれどね。ここはどちらかと言えば実験場です。表立っては言えませんが、BSL4相当のものも扱うことができます」

「P4施設ですか、それはまた」

 随分と高度な施設だ。先進国であるこの国でも、その数は表立っては二箇所しか存在しない。管理が非常に大変なのである。

 BSL4、バイオセーフティレベル4というのは、極めて危険な感染症のウィルスを扱える施設である。天然痘や各種出血熱などが該当するが、それを物理的、つまりフィジカルコンテインメント、物理的な封じ込めのレベルの事をPと呼び、同レベルのモノを扱える事を表している。

 なるほど、秘密にしろと言った理由が分かった。

 こういった施設を建設するには、地元住民の同意が必要になるのである。所謂忌避施設と呼ばれるものであり、NIMBY(not in my back yard)と海外では呼ばれている施設だ。

 主に、下水処理場やごみ処理施設、核廃棄物保管場所や原子力発電所、刑務所なども該当する。

 インフラとして必要であるものの、自分の家の近所に立つのは嫌だ、という施設の事であり、臭気やばい煙の発生する施設や、事故が発生した時に周辺に甚大な影響を及ぼすものが大半である。

 山の中とは言え、事故で危険なウィルスが漏洩した際、大変な事になるP4施設というのは間違いなくその分類に入るし、そんなものがこっそりと建造されていた、などと近隣住人が聞けば、間違いなく立ち退き要請や、施設の運用に対して反対運動が起こる事だろう。

 オオイは迷いなく施設の中を進んでいく。無機質な防爆仕様の照明が照らす中、制服姿の軍人は廊下を右に折れ、すぐ近くにあった階段を降りる。二階層降りたところで階段室を出ると、すぐそこの廊下に白衣の集団が待っていた。

『やあ、ミサキ。ご機嫌いかがかな?山道のドライブは快適だったかね?』

 ひょろ長い枯れ木のような老人が軽口を叩く。こちらは皮肉な笑いで返答しておいた。

『お陰様で、フェルドマン博士。昼食の消化が大変良くなったように思います。これから面会するに会いたくて、今も感情が昂って仕方がありません』

 彼は結構だ、と笑顔のまま言うと、白衣の集団から見慣れた顔を呼び出した。

『ヒトミ、宜しく頼む。大切な友人だ、くれぐれも丁寧にな』

『承知しています、所長』「カラスマさん、こちらへ」

 マツバラも白衣の中に紛れていた。彼女は近くの扉へと近づき扉をあけると、どうぞ、とこちらを促した。

 部屋の中は、医療設備の整った部屋だった。二台の真っ白なベッドに加えて、壁に固定された頑丈そうな棚の中には医薬品や医療器具がきちんと並んで収められている。なんというか、窓が無い事を除けば学校の保健室のような部屋だ。

「ごめんなさい、カラスマさん。唐突だったでしょ?」

「唐突なのは慣れていますよ、マツバラ先生。それで、生きた恐竜、新古生物のいる場所に連れてこられて、医療設備の整った部屋に連れ込まれた、ということは」

 マツバラは申し訳無さそうに頷いて、棚の中から器具を取り出して組み立てている。

 予測のできた事だ。恐らく、自分達が恐竜と相対した時にどのような反応が身体で起こっているのかを知りたいのだろう。

 竜の現れた場所に研究者は近付けない。そもそも自分達以外の者が、あの猛獣の前に姿を晒すのは危険極まりない行為だ。故に、今までは現場で検証したくともどうにもならない事だった。それが、生きた恐竜を捕まえたことで、安全な場所でその調査、検証、いや、実験を行える、というわけだ。

 実験だ。そして被検体は自分。ヒノモト国民にも隠された秘匿施設の中で、人体実験をしようというのである。こんな事、他の誰にも言えるはずもない。

 自分には拒否する事はできない。これは人類にとって必要な事であるし、ただ『嫌だから』という理由だけで拒否するというのは何というか、子供の論理だ。

 気分は良くない。特別手当が出るわけでもないのに、モルモットにされようというのだ。新薬の治験だってまずは同意を取ってから始める。

 マツバラはこちらのコートを脱がすと、あちこちに吸盤を貼り付けだした。これは心電図を取る時のものだ。

 吸盤についているコードはマツバラの持ってきた台車の上にある、黒くて四角い機械に繋がっている。印刷機能はなさそうなので、電子データで取るのだろう。

 続いてマツバラはベッドの横にあった大きめの車椅子を引き寄せると、こちらの足元に置いた。

「腕、出してもらえる?」

 言われるがままに左手を差し出すと、消毒用のアルコール綿でこちらの腕が拭かれる。ああ、採血か。と、思いきや、彼女が両の手に持っているのは注射器のように見えるが、採血用のそれではない。

「え、何ですか、これ」

 鋭く長い針は注射器のそれだ。だが、その根本に付いているのは輝く金属の筒で、さらにその先は奥にある大きな箱型の機器へと繋がっている。

「座って。動くと危ないから」

 言われるがまま、差し出された車椅子に腰掛ける。肘掛けに乗せた腕に針が迫る。先端恐怖症でなくとも、この瞬間はやはり少し緊張するものだ。

 熟練の技で静脈に注射針が突き刺さる。細い管を通って、自分の黒っぽい血液が箱の方へと流れていくのが見える。なんだか力が抜けてくる。

「反対側も」

 言われるがまま、右腕も差し出した。彼女はもう片方の注射器もこちらに突き刺すと、少し刺さった箇所を観察した後に、バンドで針をこちらの腕に強く固定した。ちょっと痛い。

 車椅子に座ったまま、自分の身体から沢山のコードや管が出ている。完全に実験動物になった気分だ。

 もうどうにでもなれ、と思っていた所に、今度はこめかみに別の吸盤が貼り付けられて、その上からヘルメットを被せられた。これは脳波の測定だろうか。

 マツバラはそこまで作業を終えると、入ってきた扉を開けて、できました、と声をかけた。すぐに数人、別の研究者達が入ってくる。

 マツバラがこちらのすぐ横につき、研究者たちはそれぞれ繋がっている機器を動かし始めた。起動したのではない。文字通り、車輪のついた台車に載っていたその機器を、車椅子の自分と同じ様に外に運び出す。

「何というか、その……」

「ごめんなさい。説明したいのだけれど、禁止されているの」

 そうか、まぁ、そうだろう。改めて自分には人権が無いのだなと虚ろな瞳になった。

 実際、詳細に説明をされたところで実験を止めてもらえるわけではないのだ。なら、聞こうが聞くまいが同じ事である。黙ってさっさと終わらせる方がより建設的だ。

 戦闘服で来い、と言われた理由が分かった。下着姿で彼ら研究者の前に肌を晒すのはまずいだろうというオオイかマツバラの配慮である。だが、これだって下着とそう変わらない。戦闘服、という名前はついているものの、実質下着のようなものだ。夜の生活向きのスケスケな下着よりはマシだと思う他は無い。

 沢山の管に繋がれたまま、ガラガラと車椅子を押されて廊下を進む。すぐに頑丈な金属の扉があったのでその奥へと入っていく。

『P4施設と言う割にはスカスカですね?』

 普通はもっと気密性が高かったり、気圧の調整がされていたり、二重扉になっていたりするものだ。今いるここは、正しく無機質な監獄病棟、といった風情である。

『そういったモノを扱うのは廊下の反対側ですね。こちらは違います』

 車椅子を押していた黒人男性が、丁寧な連合王国語で答える。なるほど、こちらは別の用途、というわけだ。

「まるで現代の774部隊、というか」

「……非人道的な兵器は開発していませんよ」

 オオイが少し心外そうに答える。そんな事は分かっている。ただの冗談だ。

 774部隊というのは、連合国との戦争中に細菌兵器を開発していた陸軍の部隊の事である。元は防疫、給水の為の部隊だったそうだが、非人道的な人体実験を行ったという事で、戦後に何度もネタにされて報道されている。

『そういえば、新古生物には生物兵器は効かなかった……んでしょうね』

 誰も答えない。恐らく試したのだろう。爬虫類に効果のある薬剤や病原菌を、合衆国が試さないはずがない。だが、周辺環境を汚染してしまうが故に、公にする事などできはしない。

 効かなかったのだ。効けばこんな非効率的で回りくどい事をせずに、住人の退避後に効く兵器を使えば良いのだから。

 金属の扉を過ぎた辺りから、体温の上昇がより顕著になった。いる。すぐ近くに。

 光量が抑えられた廊下の奥、両側に頑丈な鉄格子がぞろぞろと並びだした。まさかとは思ったが、正しくこれでは監獄ではないか。いや、今の監獄は個室になっていて、このような鉄格子のような牢屋は無い。強いて言うならば、実験動物を閉じ込めておく檻……そう、そうか。なるほど。

 ここは廊下の反対側のP4施設と連動した、実験動物を入れておく檻なのだ。確かにこれは近隣の住民には知られたくない。いや、住民だけではなく、他のどの国民にも、敵対的国家にも知られたくはないだろう。

 知られれば間違いなく、様々な団体を利用したロビー活動が活発になるはずだ。うるさく騒がれて、時の政権は選択を迫られる。それは防衛隊にとっても与党にとってもあまり好ましい結果にはならない。

 薄暗い廊下を、枯れ木の研究者が先行する。より太い白色の金属の檻の前で、彼は立ち止まった。

『やあ、ジャック。ご機嫌はいかがかな?』

 同時にがしゃんと白い鉄格子に激しい衝突音が響き渡る。老人はその音にも衝撃にもまるで動じた様子は無く、平然とこちらに向き直った。

『いつも通り、元気だよ』

 肝が座っているのだかなんだか良く分からない。

『名前を付けたんですか』

『ああ、番号で呼ぶのはあまり好きではなくてね。生憎と彼はこちらの事をあまり好きではないようだが』

 当然だろう。人など殺戮対象か餌にしか見えていないのだ。閉じ込められて喜ぶ竜がいたら、逆に見てみたいものだ。

『餌付けも無理ですか』

『無理だね。食事はするが、相変わらず我々と与えられる牛の肉との区別もついていない』

 彼はまるで気にした様子も無く、こちらに道を譲った。

『さあ、ジャック。感動のご対面だよ。君はどういう反応を見せてくれるかな?』

 管に繋がれた自分が、車椅子でそいつ、Sクラスの竜の前へと連れて行かれる。ざわざわと興奮状態が高まり、殺戮衝動が湧き上がってくる。

 白い鉄格子の向こう、赤色の照明が照らす中、そいつは口を大きく開けてこちらを威嚇していた。間違いない。至近距離で見ていたのだ。あの時の、こちらの服を引き裂き、涎まみれにしたあの個体。

 殺したい。殺さなければ。

 どうにも抑えきれない衝動を理性で抑え込み、じっと太い尻尾を持つ竜を見据える。口を開けていた竜は後ろの研究者達を威嚇していたが、こちらの視線に気がつくと急に大人しくなった。

 反応が違う。は急に鳴き声を小さくし、くるくると喉の奥で転がすようなものに変えた。こちらから視線を逸らさぬまま、鉄格子の中をうろうろと忙しなく動き回る。

 何だ、こいつ。これは、どういった反応だ。

 竜はうろうろとしながらゆっくりとこちらに近付いてきて、白い鉄格子の前まで来ると、その短い前脚でかしゃかしゃともどかしそうに金属を引っ掻いている。

 弱点である喉首や腹を曝け出し、やや伸び上がるようにしてこちらに腹を見せている。と、気が付いた。

 竜の下半身から、恐らく生殖器らしきものが伸びている。細長く伸びたそれはどこか生々しく、こちらに見せつけるようにぷらぷらと揺れている。

 なんだ、これは。ひょっとしてこいつ、発情しているのか。自分を見て。

 馬鹿な。生物としての分類もまるで違うし、見た目だって異形に映るだろう。生殖行動反応を起こすはずがない。ひょっとして、こちらが一度組み伏せたせいで勘違いしているのか。

 いや、そもそもそういった記憶があるのかどうかすら怪しい。脳の大きさから見て、恐竜はそこまで賢い生き物だったとは思えない。

『どうかね、ミサキ。何か思うところはあるかね』

 思うところ、と言われても、いつもと変わらない。

『いえ、特に。強いて言えば、駆除しなければと思うぐらいです』

『そうか。だが、それは勘弁してくれたまえ。貴重な生体だからね』

 わかっている。危険が無いのであれば敢えて殺す必要も無い。

 その後も暫く”面会”は続いたが、竜は相変わらず大人しく、切なそうに金属を引っ掻くだけの行為を続けていた。


 実験は終わったのか、機器と共に車椅子で廊下を引き返す。一体何だったのかまるで分からないが、恐らく彼らの本当の目的は、こちらの身体にくっついているこれだろう。

 自分達の身体の機構が判明し、それを兵器に転用すれば竜に対する有効な武器になるかもしれない。また、そうでなくともこの肉体の事が分かれば、それはこちらにとってプラスになる事だってあるだろう。

 すっかり肌に馴染んでしまった針は、最早自分と同化してしまったかのようだ。バンドで固定されていても、刺された部分からはもう血は滲んでいない。

 例の保健室へと戻され、再びマツバラと二人きりになる。メットと吸盤を外されて、奇妙な開放感を感じた。

 やれやれ、あとはこの注射針だけだ、と元産婦人科医の手元を見ていると、何やら苦戦している。

 流れ出していた血液は止まっている。それは注射器に付属している金属の方で止められるようだ。だが、消毒綿を針の刺さった場所にあてがっているマツバラは、眉根に皺を寄せて腕に力を込めている。痛い。

「あ、あの、先生。ちょっと痛いです」

「え、あ、ごめんなさい。なんか、抜けなくって。おかしいな、注射針だし、普通はすっと抜けるんだけど」

 最初は丁寧にまっすぐ引き抜こうとしていた彼女だったが、あまりにも抜けないせいか、金属の筒の方を持って思い切り引っ張り出した。腕に激痛が走る。

「痛っ!せ、先生、マツバラ先生!痛いです!もう少し優しく」

 熟練の医師にしては珍しい。こんな乱暴をするような人ではないはずだが。

「あっ!ご、ごめんなさい!どういう事?なんか、針が完全に固定されちゃってるんだけど。カラスマさん、力入れてるってわけじゃないよね」

「入れてませんよ。脱力してます」

 そもそも身体に注射針が入っているのに力を入れる馬鹿などいない。いたとしたらそいつは相当なマゾヒストだ。

「うーん、ひょっとしてこれ……刺さった場所、完全に治癒しちゃってるのかな。皮下組織までがっちりと食い込んでるような」

 おい、どういう事だ。

「採血の時はそんな事、無かったですよね」

「そうだね、普通に血は採れたし……付けてた時間が長すぎたのかも」

 おいおい、ちょっと待て。それじゃ、自分はこのまま注射器モドキをぶら下げたまま生きていくのか。いやいや、そんな事は。

「仕方無い、切開しよう。このまま針が体内に残ったら良い事は無いし。ちょっと応援を呼ぶ」

 ええ……切開とか、手術?マジか、なんでこんなことに。

 ぞろぞろと入ってきた研究者達に身体を押さえつけられ、マツバラは鋭いメスを握り締めた。自分はただその様子を、黙って見ている事しかできなかった。



 帰りのトラックの中、ぐったりと横になっているこちらに、オオイが気遣わし気な視線を向けている。

「あの……ミサキさん」

「はい」

 山道の振動は激しく、横になっていてもちっとも休まらない。トラックのサスペンションは効いているものの、それだけで衝撃を逃がせるような大人しい道ではないのだ。

「すみませんでした」

「オオイ二佐が謝ることでもないでしょう。というか、誰が悪いわけでもないです」

 結局あの後、麻酔無しの外科手術によって注射針は強引に取り出され、そのはずみで腕から激しく出血した。勿論、両腕で。

 怪我自体はすぐに治る。自分の白い両腕は既に傷跡一つ残さず治癒してしまっているし、痛みが残っているわけでもない。けれど。

 痛かったのだ。それはもう。身体を切り裂いて鋭い針を無理矢理ひっこぬいたのだ。血だって沢山出たし、声を出すのを必死で我慢したのである。精神的ショックは甚大だ。

 いくら身体が頑丈で怪我もすぐに治るとは言え、痛みまでは抑えられない。痛みは身体の危機を伝えるサインであり、それは必要な感覚なのである。自分は機械でもなんでもないのだ。

「痛みというのはどうしようもないですね。これは戦闘時にも気をつける必要があるでしょうね」

 治るといっても痛みがあれば当然怯むし、集中力も落ちる。そうなった所で致命傷を負ってはどうしようもない。頭を潰されたり首を切られれば当然死ぬだろうし、心臓が止まっても、出血が多すぎても死ぬだろう。自分達は別に無敵の存在ではないのである。

 オオイは何も言わなくなった。何も言えないだろう、そりゃあ。

 妙に気まずい空気の中、ガタゴトとうるさいトラックに背中を預け、ただ只管に揺られっぱなしで駐屯地へと戻った。

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