第14話 盗品
使用人たちはアーシャに詰め寄った。
「俺の包丁、返してくださいよ」
「うちの洗濯ばさみも!」
「俺の腹巻もだ! 泥棒!」
アーシャは顔を真っ赤にした。
「あたしは泥棒なんかじゃないわ! あとオジサンの腹巻は絶対に盗ってないから!」
しーん、と静まり返った。みんながアーシャを見る目は冷たい。誰もアーシャを信じていないということは、よほど盗みがヘタクソなのだな。ポンコツ泥棒なんだな……。
「おそらく腹巻だけは本当に盗っていないのではないか。それだけは誤解であろうな」
陛下がそんなことを言う。
「何よ腹巻だけはって! ほかのものも盗ってないわよ」
使用人たちは、「じゃあ、アーシャさんの部屋を見せてくださいよ。泥棒じゃないのなら見られて困ることはないですよね」と、さらにアーシャに迫る。
「悪いけど無理ね。あたしは自分の部屋には誰も入れたくないの」
アーシャは視線をあらぬ方向へ彷徨わせた。あからさまに動揺している。
「よし、今からアーシャさんの部屋へ行ってみようぜ」
人々は意気揚々と謁見の間から出ていった。
「ま、待ちなさいよ、そんなの許さないんだから」
アーシャも彼らを追いかけて出ていった。
謁見の間に残ったのは、ルタとフーランディア、エミナ、陛下、そして私だけだ。
「それじゃあ、私たちもアーシャさんの部屋に行きましょうか。窃盗の罪を裁きにね」
エミナがおっとりそう言った。
「陛下はどうかご遠慮ください。初恋の人の罪が暴かれるところを陛下に見せるのはつらい」
ルタは私と同じ気持ちなんだなあ。ルタへの好感度が上がった。
「いまさらアーシャの醜聞を目にしたところで何も感じぬが」
陛下がそう言っても、ルタは首を縦には振らなかった。
そういうわけで、陛下を残し、私たちはアーシャの部屋へ急いだ。
アーシャの部屋は人だかりができており、なかなか部屋に入れなかった。時折「あった! 私の髪飾りだわ」「これって食堂のランプだよな」「うおっ、マジで石像もあるぞ」などの声が上がっている。盗品が続々と発見されているようだ。
「皆さん、通していただけませんか」
ルタが声をかけると、そこは宰相、人々は素直に道をあけた。
窓から夕陽の差し込む部屋の真ん中で、泣きべそをかいたアーシャは、うずたかくつまれた荷物の山を背景に床にへたりこんでいた。部屋には多種多様なものがごちゃごちゃに積まれている。服もあれば鍋もあるし、馬蹄や鐘もある。実物大の戦士の石像は、城の通路から盗んできたものだろう。こんなの盗んでどうすんの!?
ルタは大股で部屋を進み、アーシャの胸ぐらを掴んだ。
「自分は泥棒だと認めて謝罪なさい。これだけ証拠がそろっているんです、言い逃れはできませんよ」
「ひいっ」
アーシャは怯えた目でルタを見上げた。
「えっ、いや、ちょっとルタ、暴力はダメですって……」
慌ててとめようとしたが、前につんのめるばかりで進めない。振り返ると、エミナが私の胸当ての背中のあたりを掴んで引っ張っていた。
「エミナ……?」
「ハルーティはちょっと引っ込んでてくれる?」
「あ、はい」
なんだかわからないけど恐怖を感じ、私が素直に頷くと、エミナは胸当てから手を離し、ルタの隣に立った。
「アーシャさん。私の羽ペンを返してくれるかしら」
「な、なんのことかわからないわ……」
ルタがぎりぎりと首元を締め上げる。
「ひいい」
ルタは口の端を上げて笑ってみせた。
「私のカエルも返してほしいんですよね。もし返さないというのなら、海底に沈んでもらいますよ」
「ふふ、お魚のえさになっちゃうね」
すっかり怯えきったアーシャが、震える指で荷物の山を指さした。あそこにあるということなのかな。
「ハルーティ、探してください」
「え、私がですか」
「私はクソ女が逃げ出さないよう、拘束しておかなければなりませんので」
そういうわけで盗品の山を捜索してみた。いろいろあるなあ。刺繍の入った布の靴と、こっちは毛、いやカツラだ。このカツラ、ちょっと汗臭い。まさか着用中のものを盗んだんじゃ……。
「あ、ありました。カエルってこれですよね」
小さなカエルがちょこんと座ったような彫刻が出てきた。小さなお目々が可愛らしい。淡いグリーンの石を彫ってつくられていて、文鎮にもなりそうだ。
カエルを手渡すと、ルタはほっと息を吐いた。
「良かった……。カエルに何かあったら、このクソ女を本当に殺しているところでしたよ」
カエルへの思い入れがすごい。陛下に買ってもらったんだっけ。もしかして陛下の同席を許さなかったのって、カエルへの執着を隠したかったからとか? カエルが大好きなのが恥ずかしいのだろうか。
エミナの羽ペンもすぐに見つけ出すことができた。鮮やかな黄色と黄緑色の羽がついている。砂漠にだけ生息しているサンダーフェニックスの羽でつくられているペンだ。
「これってエミナの誕生日に私があげたやつ?」
「そう」
エミナは羽ペンを大事そうに胸に抱いた。
「本を発売するときのサイン会では、この羽ペンでサインするんだって決めてるの」
何のことやらわからないが、エミナが嬉しそうにしているので、まあいっか。
「しかし、よくもこれだけ盗みましたね」
ルタはアーシャから手を離して、盗品の山を見上げた。
「そ、そうよ、一生懸命集めたんだから取り上げないでよ」
何を寝ぼけたことを言っちゃってんの……。
そのとき盗品の山の中に、ひときわ目を引くものを見つけた。ナイフだ。動物か何かの骨を削ってつくられたもののようだが、血のように赤い。禍々しい雰囲気なのに、なぜか視線が釘付けになってしまう。
「このナイフも盗んだの?」
ナイフを見つめたまま尋ねると、アーシャは「さあ?」と言った。
「覚えてないわ。でも盗んだかもね」
「そんな適当な……」
城の誰かのものかもしれない。持ち主を探そうと思い、手にとった。いや、そんなのはただの言い訳だ。私はただ単にこのナイフを触りたかったのだ。
ナイフを持ち上げると、掴んだ手がぞわっとした。その直後、寒気と発熱が同時におそってきたかのような不快感が全身を包んだ。目の前がぐるぐる回るような気がして、よろめく。
ああ、これは呪いのアイテムだと直感した。神官のカンみたいなものだろうか。これはセラムやサーニスラといった
私は急いでナイフをその場に投げ捨てた。軽い音を立ててナイフが床を転がる。
しかしもう手遅れだった。ナイフを中心に黒い魔方陣が立ち上がる。床に読めない謎の文字があらわれ、黒い炎を上げた。
怖い。頭が恐怖でいっぱいになり、体が痺れたように力が入らない。
室内にいる人は皆、崩れるように倒れた。ルタもエミナもだ。遠くにふわふわの金髪も見える。フーランディアもか。みんな気絶しているようだ。
「み……みんな……」
脂汗が流れる。怖い。理由もないのに怖くてたまらない。恐怖で体が重くて、思うように手足が動かせない。私はゆっくりと床に倒れ込んだ。でも、これでも神官だ。女神のご加護により一般人よりは魔法の抵抗力がある。気絶するまではいかない。
「これ……まさか闇の魔法……? 人の心に恐怖を与える……」
「うう……多分そう……」
私の呟きに、アーシャが倒れたまま答えた。
「あのナイフ……呪われてたみたいね……。ハルーティの信仰心に反応して……闇の魔法が発動したってところかしら……。あたしって魔法グッズにはちょっと詳しいのよ……結構集めてて……」
「へ、へえ……」
窓の外が暗い。もう日が沈んだのだろうか。嫌な予感がするな……と思った次の瞬間、ナイフから白い靄――悪霊が発生した。悪霊はふわふわと漂って、消えた。というか私の目には見えなくなった。
「……ああ……ああああ!」
呪われたナイフが見えない悪霊の発生源だったのか。発生というか召喚?
「え、どうしたの……急に叫ぶとか……怖……」
アーシャの目には、ナイフから悪霊が出てきたところが見えなかったらしい。サーニスラの神官なのに悪霊が見えないってどういうこと。
いや、それよりも……。
「アーシャの仕業かああああ!! 何をしてくれてんのー!」
私はこれまでのうっぷんをぶつけるように叫んだ。ああもう。ポンコツにもほどがある。
アーシャに言いたいことは山ほどあるが、しかし今はとにかく闇の魔法をどうにかしないと。さっきあらわれた悪霊も退治したいが、この恐怖状態ではセラムの神聖魔法も使えない。
「アーシャ、光の神聖魔法をお願い。闇の魔法に対抗できるのはサーニスラ教だけでしょう?」
「……」
アーシャはぼそぼそと小声で何か言っている。
「え、何? 聞こえない」
「あたし……信仰心が弱くて……光の神聖魔法……使えないのよね……。見てのとおり闇の魔法も効いちゃうぐらいだし」
もう泣きたい。なんでそんな人が神官になれたのよ。
こうしている間にも、心には恐怖が溢れていく。
怖い。黒い影、赤い炎、悲鳴と、楽しそうな笑い声、煙の匂い、人の足音。怖い。
意識が恐怖に乗っ取られていく。どうしよう、もう無理だ。もう。
死にたい。殺してほしい。恐怖から解放されたい。殺して。殺す。殺す?
「ハルーティ」
声のしたほうをゆるゆると振り向くと、ドアの入り口に陛下が立っていた。暗闇の中、そこだけ光が差したみたいだった。陛下が一歩踏み出す。
「あ……ダメ……闇の魔法が……」
この恐怖は私の内側から来るものではない。人工的に与えられたものだ。負けてはいけない。自分を叱咤しながら、陛下に呼びかける。
「入ってこないで……逃げて……」
「何を言うか」
陛下は軽く笑うと、部屋に入ってきた。立ち止まることなく迷わず向かってくる。倒れている人々の間を抜けて、アーシャの横を通り、私のそばに膝をついた。
「な、なんで……?」
どうして闇の魔法が効かないの。目を丸くしている私を陛下は軽々と抱き上げた。
「闇の魔法に抵抗できぬようでは、悪神など倒せぬ。サーニスラ神への強い信仰心のおかげで、我には神官なみの魔法抵抗力が備わっておる。これは恐怖の魔法か。この程度、我には効かぬぞ」
陛下の胸にぐっと体を押し付けられた。これでもう大丈夫って気がして、涙がにじむ。
抱きかかえられて部屋を出ると、恐怖心が唐突に消え失せた。
「へ、陛下……!」
通路の床におろされた私が情けない声を出すと、「よしよし、怖かったな。あれは恐怖心で人を行動不能にする闇の魔法だからな」と、頭をなでなでしてくれた。
「ほかの人たちを助けないと。でも、どうすればあの闇の魔法を消せるのかな……」
ナイフは今もまだ魔法を発動中だ。
「私にまかせろ」
ん? 今の声は陛下の声じゃない。まさか……。
「いい機会だからよく見ておけ、ハルーティ。雪と氷の神聖魔法の神髄を」
振り返ったそこに立っていたのは、私の上司のカチュア様だった。私をこの城に送り込んだ人だ。
カチュア様は銀縁眼鏡をかけ、ゆったりとした旅のローブを身にまとい、私と同じ革の胸当てをつけていた。手をあげると、長すぎる金色の前髪と胸元のムーンドロップが揺れた。
「<こおりに魂は宿る>」
カチュア様が小さく、けれど鋭く呟くと、上を向けた手のひらの上に氷の玉が発生した。それは完全なる透明で、一点のくもりもない芸術作品のような氷の球体だった。
カチュア様は氷玉を掴むと、片足を上げ、大きく振りかぶった。金の髪をたなびかせながら美しいフォームで投げる。氷玉は一直線に部屋を横切り、見事にナイフに命中した。すばらしい投球です、上司! ナイスピッチング!
ナイフが音を立てて砕け散り、室内の禍々しい黒い炎と魔方陣が消失した。
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