第2話 陛下を弄んだ記憶はない
鎧を着込んだ彼らと火を囲んで座り、わけてもらった乾燥パンと燻製肉をかじりながら話を聞くこととなった。
彼らは聞いたことのないマイナーな小国からやってきた戦士らしい。褐色の肌の男は、その国の部族の王子様だという。
彼らは
何が何だかサッパリな私に、彼らは「こいつマジか」という顔をした。世事に疎くて済みません。だってしょうがないじゃん、ゼマリウス山にこもりきりなんだもの! 世の中のことなんか何も知らないよ!
褐色の肌の王子は事情を話し終わると、私のほうに体を向けた。
「悪神ザジルを倒し、世界に平和をもたらしたい。そなたも我らとともに戦ってはくれぬだろうか。セラムの神官殿が同行してくれると心強い」
予想もしていなかったお願いをされてしまったので、私は教団への紹介状を書いて渡した。私よりもっと強い神官がおりますので、なんて言って。だって怖いもの、悪神。いやだよ、そんなのと戦うの。
でも、王子は、「できれば、そなたとともに行きたい」と言い出したので困ってしまった。さっき披露した神聖魔法にそんなに感動したのだろうか。セラムの神官なら誰でも使える下級魔法なんだけどな。何度頼まれても無理なものは無理だ。私は世界を救う王子様のパーティに入るようなうつわじゃない。
一応、教団の神殿まで道案内はした。途中までだけど。この山道を真っすぐ進んで、滝のところで左に曲がると神殿がありますよ~。彼らは言ったとおりに向かってくれた。一安心であった。
「頑張れ、なんだかよくわからないが悪い神様と戦う者たちよ。私はこれから山に薪を拾いにいく。さらばだ!」
これが皇帝とその側近たちとの出会いだった。
それからしばらくして、彼らが悪神ザジル討伐に成功したと聞いたときは、さほど驚かなかった。きっと彼らならやり遂げるのだろうなという気がしていたから。
その後、褐色の王子が大陸の国々を一つにまとめてあげ、初代皇帝になったと聞いたときにはさすがに驚いた。小さな部族の王子様が大陸の皇帝とは。大出世ではないか。
我らセラム教団はどうやら世間知らずの集団であるようだが、皇帝誕生のビッグニュースは耳に入った。
秋の終わりごろ、早くも冬の気配が漂い始めた大雪の降ったある日、私は上司の私室に呼び出された。
机に向かい書き物をしていた上司は、私の来訪を受けてペンを置いた。卓上には小さなランプが置かれ、石壁にかけられたたくさんのタペストリーをやわらかく照らしていた。暖炉の火は消えかかっているが、室内は十分すぎるほど暖かかった。
上司は銀縁眼鏡をかけた二十八歳の女性で、金色の長い前髪をいつも邪魔そうにしている。邪魔なら切ればいいのにと上司と顔を合わせるたびに思ってしまう。
「机の上を片付けるから、少し待っていてくれ」
「はい」
本を閉じたり、書類をまとめたり。上司が体を動かすたびにゆらゆら揺れる前髪を、切りたい……と思いながら見つめていたら、上司は卓上で華奢な指を絡めるように組み合わせて、おかしなことを言い出した。
「ハルーティ、ちょっと城まで行って、皇帝に気に入られてこい。うちの教団にたっぷり寄附するよう、そそのかすのだ」
セラム教団は不人気な宗教団体なので、信者も少なく、財政は常に逼迫している。いつだって喉から手が出そうなぐらいに寄附に飢えていた。とはいえ……。
「ヒラの神官である私がいきなり尋ねていって、相手にしてもらえるでしょうか?」
「以前ハルーティは彼らを雪山で助けただろう。皇帝も恩義を感じているはずだ。それに教団としても皇帝の旅を支援するために神官も派遣したのだ。そのことを思い出させてやれ」
つまり恩着せがましくぐいぐいと行けばいいのかな。でもなあ。
「でも、ちょっとアレじゃないですか。皇帝と仲良くなってヒイキしてもらうって、問題があるやつじゃないですか。モラル的に」
「そうだな。問題があるな、いろんな意味でな」
上司はあっさり認めた。
「だが、正しいことだけやっていても、うちの子どもたちの腹は膨れないぞ」
それを言われると辛い。我が教団には身寄りのない子どもたちがいっぱいいて、その生活費がけっこうかかるのだ。
上司は前髪を鬱陶しそうにかき上げた。
「この大陸には宗教団体が幾つかあるが、初代皇帝が我々にどれほどの影響を与えるのか、まるで予測がつかない。しかし、太陽神を崇めるサーニスラ教団がヒイキを求めて皇帝にすり寄っていくことだけは確実だ。あそこはいつも権力者に媚びを売るからな。うちだって負けるわけにはいかない。これは寄附金をかけた宗教戦争だぞ、ハルーティ。もし負けたら……」
「負けたら……?」
上司は苦しげにぎゅっと目を閉じた。
「夕飯のおかずが……また少なくなる……」
「つらい! つらすぎます!」
教団での夕食は、野草でかさ増ししたお粥とか魚の骨のスープとかいった貧しさあふれるものばかりで、なおかつ量も少ない。ここからさらに減るって、どういうことなの。
「我々神官は木の皮でも噛んでいればなんとかなるが、子どもたちはそうもいかないだろう。頼んだぞ、ハルーティ」
「うう……頑張ってみますけど、あんまり期待しないでくださいよ」
☆ ☆ ☆
そういうわけで、今から半年ほど前、私は大陸北部からはるばる南部までやってきた。
内海に面した南国風な古城を改築してできた皇帝の城には、わりと簡単に潜り込むことができた。雪山の恩とやらが効いたようだ。
また、予想に反してサーニスラ教からは誰も派遣されてきていなかった。初代皇帝を若造と侮っているのか、あるいは別の権力者へのゴマすりで忙しいのか。
なんにせよ敵はいないのだ。今がチャンス!
こうして私は皇帝にうまいこと取り入ろうと、この半年間、頑張ったのであった。
頑張った結果が、今の謁見の間のこれにつながっているのである。「いつぞやは世話になった。これは少ないけど受け取ってほしい、ほら、金貨が山盛りだぞ」みたいな話を期待していたので、大変遺憾である。
「ハルーティ」
皇帝フレイズが、その青い瞳で熱心に見つめてくる。初めて会ったときから珍しい動物でも観察するみたいな目つきで私を見ていた皇帝陛下であったが、いつのまにか男女のアレな感じになっていたようだ。気づかなかった。きっとそういうのが顔に出ないタイプなのだろう。いつも飄々としているし。
「我がものとなれ、ハルーティ」
「そういうわけには……」
陛下は首を振った。黒髪がさらさらと揺れる。
「さんざん人を弄んでおいて、それはないだろう」
「も、弄んだだと!?」
フーランディア将軍が色めき立った。
「いつの間に。手の早い女ですね」
宰相ルタが感心したように眉を上げた。いやいやいや。
「誤解です!」
陛下は溜息を吐いた。
「そなた、自分のしたことを覚えておらぬのか」
「なんのことですか?」
本気でわからない。
「ハルーティがこの城に入ってからの半年間、熱烈なアプローチをこれでもかと繰り出してきておったではないか」
そんなこと、あったかな? 首をかしげていると、皇帝は低く唸った。
「以前はあんなに情熱的に我を口説いてきていたというのに。どうやらハルーティは釣った魚には餌をやらんタイプらしい」
私、釣ってしまったのか、皇帝を。
「ああ、ひょっとすると」
ルタが軽く片手を挙げて、主に進言する。
「男をその気にさせて振る、そういうのを楽しむクソ女なのではありませんか?」
「あっはっはっ」
思わず笑ってしまう。
「そんなわけないでしょう。私にはそんな性癖ありません。あ、でも、フレイズ陛下とお友達になりたいなと思って近づいていたことは認めます。だって皇帝と仲良くなったらセラム教団をヒイキして寄附をしてくれそうですから。うちの教団にはおなかをすかせた子どもたちがいっぱいいるんです、お金が欲しいんです」
「なあ、ハルーティってマジで無礼すぎないか?」
フーランディアが呆れたようにルタにささやいた。結構大きい声で。
「無礼でもあり、馬鹿でもあり……。まったく、どうして陛下はこんな女を」
ルタが溜息を吐いた。わざとらしいぐらい大きく。
「そんなことより! フレイズ王子はいまや皇帝なんだし、見た目も良いし、モテるでしょう。好みの美女がよりどりみどりのはずです。私なんか選ばなくてもいいじゃないですか」
「寝言を言うな!」
一喝されてしまった。
「いいか、よく聞くがいい。そなたのような、ちょっと……なんというか、わけのわからない女はそうそうおらんのだ。いつだったか、我の寝所に忍び込んできたことがあったであろう。色っぽい下着でも身につけて誘ってくるかと思いきや、トゲのついた鎧を着てあらわれ、「今から海釣りにいくぞ、支度しろ」と命じたであろう。度肝を抜かれた」
ああ、そんなこともあったなあ。というか、それが陛下にとっては熱烈なアプローチなのか? これは友だちになりたいなというアプローチじゃないのか? 私は友だち付き合いのつもりだったが、陛下は口説かれていると思っていたということなのだろうか。
「トゲの鎧を着たそなたとともに岸壁に腰掛け、釣り糸をたらし、だんだんと明けていく空を見ながら、我は思ったのだ。この女と結婚しようと」
「なんでかな? なんでそうなっちゃったかな? 思考が飛躍しすぎてませんか? 釣り好きな女性がお好みなら、そういうひとを探してきましょうか」
「寝ている皇帝をたたき起こして夜釣りにつれていく女などほかにおらぬ! あと、あのトゲの鎧は一体何だったのだ」
「特に意味はないです。その当時お気に入りだっただけですよ」
宰相がなぜか大きな溜息をついて片手で顔を覆った。どうも馬鹿にされている気がする。あの鎧、トゲの部分に荷物を引っかけられて便利で良いのにな。あと城ですれ違う人が道を譲ってくれる。トゲが刺さるから。ちょっと変な目で見られるけど歩きやすくて良い。ただあの鎧は蒸れるので、最近はクローゼットにしまいっぱなしだ。今は麻のワンピースの上に革の胸当てを身につけ、ムーンドロップを首にかけている。なんだかんだいって結局いつものファッションに戻るのよね……いや、そんな話ではなくて。
「わけがわからない。結婚してくれ、ハルーティ」
「いや、こっちこそわけがわからない。というか、宗教の問題があるんですよ。陛下は
「ならば我が改宗すればよい」
「そんな簡単に信仰を変えちゃうの、神官としては複雑なんですけど……」
というか世間的にはサーニスラ信仰が一般的なので、皇帝が改宗しても許されるものなのだろうか。宗教が絡んでくる国の行事とかもあるだろうし、いろいろ不都合があると思うのだが。
それに何より。
「なぜ私なのですか。今までのお話だけでは、どうも納得できません」
陛下は言葉に詰まった。私がまじまじと見つめると、目をそらされてしまった。
「……似ているのだ」
「何がですか?」
「そなたは似ている。我の……幼馴染みに」
切なさの滲む声にぴんときた。なるほど。皇帝がまだキッズだったころに仲良くしていた女の子がいて、その子のことが好きだったわけだな? 私はその代用品といったところか。
「よしわかった、みなまで言うな」
私は皇帝に向かって親指をぐっと上げてみせた。自信あふれるスマイルとともに。
「その幼馴染みとやらを連れてきてあげようぞ! おまかせあれ!」
私は謁見の間を飛び出した。
「ま、待て、そうではない! そうではなくて……」
背後から慌てたような声が聞こえたが、まあ、気にしなくていいでしょ。
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