今、あなたの後ろにいるの

工事帽

今、あなたの後ろにいるの

 一人の部屋、外はいつの間にか夜になっていた。

 部屋を照らす明かりが、開いたままのドアから流れ込む闇に押されている。

 廊下の明かりもつけようかと考えては見るものの、立ち上がるのが億劫だ。


「私メリーさん、今、駅前にいるの」


 音声端末からひび割れた声が聞こえる。


「私メリーさん、今、マンションの入り口にいるの」


 モニタの画面では処理中を示すアイコンが踊っている。


「私メリーさん、今、あなたの後ろにいるの」


 後ろを振り返り言葉を返す。


「おかえり、メリー」


 彫の浅いあっさりした顔に黒く真っ直ぐな髪、赤いワンピース。

 そこには買い物袋を持ったままのアンドロイド『メリー』が居た。



 この国では家事全般はアンドロイドに任せるのが一般的だ。

 アンドロイドは高価ではあるものの、数年程のローンで手に入れることが出来る。自動車と似たような値段だ。移動が自家用車頼りの地域ならともかく、どこに行くにも電車で済む都市部では、車よりもアンドロイドが優先される。誰だって日々繰り返し続ける掃除や洗濯よりも、別のことに時間を使いたいと願うものだ。


 自分の所有するメリーも家事を一通りこなせる。だが新品のアンドロイドと同じように、とはいかない。

 昔、祖母が使っていたというアンドロイドのメリーは古く、有り体に言えばガタが来ている。直そうにも交換部品一つでさえ中古ショップで偶然見つけるような代物で、部品の交換もままならないほどだ。


 お使いに出したアンドロイドは、持ち主に位置情報を発信することで、いつどこに居ても分かる。だが、メリーはその部品が壊れているために、音声通信を使って位置を知らせることしか出来ない。

 そのために、メリーが外出中は定期的に電話が鳴る。

 アンドロイドの持ち主は、アンドロイドの管理が義務だ。機能が十全であれば自動的に端末にログが残る程度で、手間がかかるわけではない。でもそれが故障しているメリーからはログ代わりに電話が掛かってくる。だから出ないわけにもいかないし、作業は中断されるしで、効率が悪い。


 そんな古いアンドロイドは買い替えたほうが良いんじゃない?


 勿論だ。前にメリーを捨てて新しいアンドロイドに替えようとしたことがある。

 だが、いろんな機能が壊れているメリーは、工場に置いてきても廃棄待ちの間に家に戻ってしまう。

 それは、仕事が終わったらすみやかに持ち主の自宅に戻るという基本的なプログラムによるものだ。廃棄手続きの段階で、機能を停止させるはずの基本プログラムですら、停止コマンドを受け付けられないくらいに壊れている。勝手に家に戻ってしまって、今だ捨てることが出来ていない。


 こんなことなら、一人暮らしを始めるからと実家に残っていたメリーをもらってくるのではなかった、何度もそう後悔をしている。


 メリーは長い黒髪をなびかせる勢いでキッチンへ移動する。それは風に揺れ動くカーテンの何倍も意思を感じさせる動きだ。少し伸びたような気がする。アンドロイドの髪が伸びるわけはないから、なびく様がそう見えただけだろう。


 それはそうと、これで食事の用意が出来るまでの間は、メリーの報告に邪魔されずに作業が出来る。

 お腹はまだそれほど減ってはいないし、少しゆっくり準備してもらっても良いくらいだが、少しゆっくり、なんていう細かな指示にはメリーは対応出来ない。下手なことを言おうものなら、食事が出来上がるのが翌日になってしまうから、無言でメリーを見送るだけだ。


 ほどなくキッチンから何かを切るタンタンというリズミカルな音が聞こえ始めた。

 さあ、作業を始めよう。

 そう思ったのもつかの間、包丁の音を覆い隠すように着信音が鳴る。


 出鼻をくじかれた気持ちで電話に出てみると、それはアンドロイドの廃棄業者からだった。

 故障アンドロイドの廃棄手続きについて、やっと役所から許可が出たという連絡だった。


 アンドロイドは人間に似た見た目に作られている。だが機械であって生命体ではない。

 それなのに、見た目が人間のアンドロイドを動作したまま破棄、つまり破壊するのに役所の手続きが必要なのは、どこかの保護だか愛護だかという団体のせいらしい。

 リンリとかジンドウだとか御大層なこと言って、勝手に破棄したら犯罪だと法律を変えさせたそうだ。そのくせ故障アンドロイドを引き取るわけでもない。代わりに修理をしてくれるわけでもない。ただ面倒な手続きを増やしただけの団体だ。


 そんな法律のせいで時間が掛かった。それでもやっと許可が取れたので、あとは工場に連れて行くだけだ。

 そうだ、新しいアンドロイドも買わないと。前に調べたのはメリーを捨てようとした何カ月も前だ、新しいモデルが出ているかもしれない。


 ブラウザを立ち上げて、前に見たメーカーのページを開く。

 やっぱり新しいモデルが出ている。それなら古いモデルは安くなってるだろうか。いや、やっぱり新しいモデルのほうが。型落ちだろうとメリーに比べたら十分に新しい。それでもなんとなく最新モデルに引かれてしまう。


 そんなことを考えながらカスタム項目をチェックしていく。

 不意に、ブラウザの画面が暗くなった気がした。

 不思議に思う。モニタはまだ新しく壊れるには早すぎる。それとも部屋の照明だろうか。

 そんなことを考えていると、背後からひび割れた声が聞こえた。


「私メリーさん、今、あなたの後ろにいるの」

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