ヤンデレ人魚を助けた漁師の末路

アールグレイ

第1話

 むかしむかし、あるところに一人の漁師がおりました。

 その漁師はいつも、自分の船で魚を捕っては、それを売りさばいて生活しておりました。

 ある日のこと。

 いつものように漁に出かけた漁師は、いつものように網を海に投げて魚を獲ろうとしました。

 しかし、その日に限って、網には何もかかりません。

 漁師は何度も何度も網を投げてみましたが、やはり何もかかりませんでした。

「ちぇっ」

 漁師は舌打ちをすると、網をたたんで、帰ろうとしました。

 その時でした。

 船の死角からうめき声が聞こえてきたのです。

 漁師は慌てて、声のする方に行きました。

 するとそこには、ひとりの少女が誰かが仕掛けたでしょう罠に捕まっているではありませんか。

「おい! 大丈夫か!」

 漁師は少女に声をかけるながら近づきます。

 次第に少女の全身があらわになってきました。

 漁師は驚きました。

 少女は、まるでおとぎ話に出てくるような、それは美しい姿をしていたからです。

 腰まで届く金色の長い髪に、海のように青い目、そして、雪のように白い肌に貝殻のビキニがとても映えていました。

 それ以上に特徴的なのは、下半身でした。

 少女の下半身は、美しい鱗でおおわれた魚のものなのです。

「にん……ぎょ?」

 漁師は思わず声に出してしまいました。

 だって、人魚なんて、御伽噺の中の存在だと思っていたのですから。

 ですが、そんなことを気にしている場合ではありません。

 人魚は苦しそうに身をよじっています。

 早く助けてあげなければ! 彼女の尾ひれに巻き付いた網を漁師はなんとかはずそうとします。

 しかし、網は頑丈でなかなか外れません。

「くそ!外れろ!」

 漁師は必死に網と格闘し、なんとか縄を外しました。網から解放された人魚は、そのまま力なく倒れてしまいました。

「大丈夫か!」

 漁師は人魚を抱きかかえました。

 すると、人魚はその手つきに安心したのでしょうか、静かに目を閉じました。

 しばらく、漁師は船で人魚を休ませてやることにしました。

 時折、海水をかけて、彼女のうろこが痛まないようにしてやりました。

 数刻後、人魚は意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けました。

「よかった。気が付いたか」

 漁師はほっと胸をなでおろします。

 そんな漁師を人魚は不思議そうに見つめます。

「お前、どうして罠なんかにかかってたんだ?」

 漁師は尋ねました。

「私は……、人間に捕まってしまったの。それで……」

 人魚は悲し気に目を伏せます。

 そんな彼女の姿を見て、何があったのかを察しました。おそらく、人間に捕まって売り飛ばされそうになったのでしょう。

「そうか……。それは大変だったな」

 漁師はそう言うと、人魚の頭を優しくなでてやりました。

 人魚は少しくすぐったそうにしていましたが、どこか嬉しそうでした。

 しばらく休んでいた人魚は、ゆっくりと立ち上がりました。

「助けてくれてありがとう。それじゃあ」

 そう言うと、彼女は海に潜ろうとします。

 漁師は、その後姿を優しく見つめるのでした。


 次の漁からでした、不思議なことが起こったのは。

「お、今日は大漁だ!」

 漁師は大喜びで網を引き上げます。

 そこには、大量の魚たちが入っていました。

 そうです、その次の漁から、思わず大漁旗を掲げたくなるような、大漁続きだったのです。

 まるで、「誰か」が手助けしているかのように、漁師の漁はうまくいきました。

「これであいつと……」

 漁師は微笑みながら、網をたたむのでした。

 実は、その「誰か」とは漁師が助けた人魚だったのです。彼女は、漁師に対する深い感謝から、毎日漁師の船を追っかけては、魚を捕る手伝いをしていたのです。

 しかし、それは単なる恩返しではありませんでした。

 人魚は、漁師に恋心を抱いていたのです。

 あの日、彼女を助けてくれたあの優しい手のことがずっと忘れられなかったのです。

 やがて、人魚は漁師と地上で一緒に暮らす夢をみるようにまでなりました。

 しかし、それは人魚にとってはとても難しいことでした。

 なぜなら、彼女は人間ではなく、海の生き物だからです。

「いつか人間になって、あの人と一緒に……」

 人魚はそう願いながら、今日も浅瀬から地上を眺めるのでした。


 しかし、ある日のことでした。

 人魚は、その日は漁師が漁に出なかったので、漁師との地上での生活を想像しながらのんびりと浅瀬でプカプカと浮き、地上を眺めていました。

 するとそこに、信じられない光景が目に飛び込んできたのです。

「そ、そんな!」

 なんと、漁師が見知らぬ女性と二人で歩いているではありませんか。

 人魚は知りませんでしたが、漁師には婚約者がいたのです。

「嘘だ……」

 漁師は、女性と浜辺を仲良さそうに歩き、そして……。

 唇と唇を重ねてキスをしたのです。その横顔は遠目に見ても、とても幸せそうでした。

 人魚の心は激しく傷つきました。

 そして、激しい嫉妬と絶望が彼女の心を満たしたのです。

「どうして……どうして……」

 人魚は涙を流しました。

「私はこんなにもあなたを愛しているのに」

 次第に、人魚の心には自分を傷つけた漁師に対する憎しみと、そして、自分以外の女性を愛した漁師に対する殺意が芽生えました。

「私は貴方を絶対に許さない」

 人魚はそうつぶやくと、どこか不気味な笑みを浮かべながら海の底へと消えていきました。


 数日後のこと。

 漁師はいつもの様に、自分の船で漁に出かけていました。

 すると、美しい姿をした人魚が近づいてきます。

 漁師は、人魚が漁の手伝いをしてくれていることに、薄々気がついていました。

 漁師は、人魚にひと言お礼を言おうとしました。

 人魚は、優しく微笑み、漁師を手招きしているようでした。漁師は不思議に思いながらも人魚に近づいていきます。

 そして、あともう少しで手が届くという距離まで来た時でした。

「え?」

 突然、人魚の表情が一変しました。

 彼女の瞳には深い憎しみと、歪んだ愛情が宿っていたのです。

「お前……」

 漁師が驚いた表情を浮かべると、彼女はいきなり漁師の手を掴み、水中へと引きずりこみました。

「う、うわああ!!」

 漁師は悲鳴を上げます。しかし、その悲鳴も水中に飲み込まれてしまいました。

 やがて、漁師の体は海の中へと消えていきます。

(く、苦しい……!)

 漁師は突然のことで呼吸を整える暇もなかったので、すぐに酸素が足りなくなり、意識が朦朧としていきます。

(だ、誰か……)

 漁師は必死に助けを求めますが、誰もいません。

 やがて、彼はそのまま意識を失いかけたその時でした。

 人魚が、漁師を海面へと引っ張り上げたのです。

 漁師は、必死に空気を吸い込みます。そして……

「げほっ! がはっ!!」

 彼はなんとか一命をとりとめました。しかし、まだ頭がくらくらします。

 すると、人魚がそっと漁師を抱きしめました。

(いったい何が……?)

 漁師が状況を掴む前にさらなる絶望が彼を覆います。

 先ほどまで彼が乗っていた漁船は、大きなタコの触手に捕まっていたのです。

 やがて、バキバキと音を立てながらその漁船は水中へと引きずりこまれていきました。

 漁師はその光景を呆然と見ていましたが、やがて我に返ったのか再び悲鳴を上げ始めました。

「や、やめろ!! 俺の船を返せ!!」

 しかし、その声は虚しく響くだけです。

 やがて、船は完全に水中へと消えて行ってしまいました。

 そのとき、彼はすべてを悟りました。

 私はここで人魚に殺されるのだと。

 漁師の生殺与奪の権利は、人魚が握っていました。

 この沖合で、船もなく、生きて地上に戻るには、人魚の協力が必要不可欠でしょう。

「頼む……命だけは助けてくれ!」

 漁師は必死に懇願しました。

 すると、人魚はニヤリと笑いました。

 まるで悪魔のような表情でした。

 そして、人魚は再び漁師を海中へと引きずり込んだのです。

「!?」

 漁師は抵抗しようとしましたが、水中で人魚に勝てるわけもなく、そのまま海中に引きずりこまれてしまいました。

(嫌だ……だれか!)

「ぼごぼごぼごぼご」

(もうだめだ……俺は死ぬんだ)

「ぼごぼごぼご」

 漁師は必死に抵抗しましたが、やがて酸素が完全に尽き、徐々に意識が朦朧としていきます。

 しかし、その時でした。

「げほっ! おえっ!」

 人魚は再び海面に漁師を引き上げたのです。

「はぁ……はぁ……」

 漁師は必死に酸素を取り込もうとしました。

 しかし、そんな余裕など与えてもらえるはずもなく、彼女は再び彼を海の中へと引きずり込みました。

「ごほっ! ぉぇ」

 漁師は再び、海面へと引き上げられました。

 そして、再び水中へ。

「ごぼぼぼぼ」

 漁師は、呼吸するタイミングを間違えて、大量の海水を飲み込みました。

「おぇ おえぇ」

 漁師は、海水を吐き出そうとしましたが、人魚はそれを許そうとはしませんでした。

 人魚は、自分の口で漁師の口を塞ぐと、そのまま彼の肺の中に直接海水を流し込んだのです。

「ごぼっ! ぼぼぼ」

 漁師は必死に抵抗しようとしましたが、人魚の力には敵いません。

 やがて、彼は窒息しかけます。

「ぶはぁっ!」

 漁師が意識を失おうとするたびに、人魚は彼を海上に引き上げました。

 そして、再び海の中へと引きずり込みます。

「はぁ……はぁ……」

 漁師の意識は朦朧としていました。もう限界でした。

 しかも、そのたびに潜り込む深度が徐々に深くなっているのです。

 やがて、漁師の体は、その気圧の変化に異常を来すようになりました。

 全身の筋肉は痛み、頭痛と吐き気に見舞われます。

 しかし、それでもなお、彼女は彼を殺そうとはしませんでした。

「ぜひゅー、ぜひゅー」

 漁師は、もうほとんど意識を失っていました。

 そんな彼に、人魚がそっと口づけをしました。

「!?」

 そして、人魚は漁師に二つの選択肢を迫ります。

 それは、ここで死ぬか。

 あるいは、人魚になるかです。

 漁師は朦朧とする意識の中で、必死に考えました。

 彼の脳裏には、婚約者の女性が浮かびます。

(俺は、ここで死ぬわけには……)

「分かった、俺を人魚にしてくれ」

 彼は、そう答えました。

 人魚は満足そうに微笑むと、彼を連れて海に潜っていきました。

「ごぼっ!」

(熱い……)

 漁師が海の中で最後に感じたのは、そんな感覚でした。

 やがて、漁師の体は変化を始めます。

 まず、彼の下半身は魚のそれに変わっていきました。

 そして……

(苦しく……ない?)

 次に、肺から空気が漏れていき、代わりに海水が満たしていきます。

「ごぽっ」

(ああ……これが人魚になった証なのか)

 漁師はそう思った瞬間、意識を手放しました。


 人魚は、男にある秘密を持っていました。

 男が人魚になるためには、それはもちろん対価が必要です。

 それは、人間の女の命でした。

 そうです、漁師の婚約者の女性です。

 人魚の姉たちは、人魚が漁師のことを好いていることを知っていました。

 だから、その日も人魚に協力しました。

「ねえ、あなたの大切な婚約者が海で死にかけているわ」

「あなたの命と引き換えに、助けてやってもいいけど」

 人魚の姉たちは、漁師の婚約者にそう告げました。

「彼を、離してください。私の命、差し出しますから」

 漁師の婚約者は、迷うことなく即答しました。

 人魚たちの姉たちは、そんな女性を嘲笑すると、そのまま海の中に引きずり込んだのです。

「ごぼっ!」

 婚約者は、必死に抵抗しようとします。しかし、人魚の力に敵うはずがありません。

 そのまま、婚約者の体は海中へと引きずり込まれていきました。


 漁師は人魚となってからも、必死に地上の婚約者を探し続けました。

 来る日も来る日も波打ち際ギリギリまで行って、婚約者が来ないか待ち続けました。

 しかし、婚約者が姿を見せることはありませんでした。

「どうしたんだろう……」


 そんなある日のことでした。彼に同情したウミガメが、彼に真実を伝えたのです。

 婚約者は、もうこの世にはいないことを。その死によって、自分は助かったことを。

「そんな……嘘だ……」

 それを知った漁師は、海の底へと沈んでいきました。

 ずっと、ずっと、深くまで。

 もう、なにも考えたくはありませんでした。

 やがて、深海の水の冷たさが漁師の体力を容赦なく奪っていきます。

(ごめん……今行くよ……)

 そして、漁師はこの世を去ったのでした。


 その後、彼の亡骸を、人魚の仲間である深海魚が人魚のもとに連れてきました。

 人魚は、その亡骸を愛おしそうに撫でると、そのまま彼を自分の住処に連れて帰りました。

 そして人魚は、永遠の愛を手にしたのでした。


 めでたし、めでたし

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